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炭焼きとニーム植林で森をつくり、カカオとガーナ農業を支援したい!+

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支援総額

35,000

目標金額 1,750,000円

支援者
3人
募集終了日
2024年2月9日

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プロジェクト本文

▼プロジェクトを立ち上げたきっかけ

なぜ、「クラファン炭窯造り」1号なのか? 

 

NPO-APTAAの和田は、2021年正月「ガーナで炭窯2基つくるも失敗、職人の指導で真の窯を造りたい」とクラファンを発起、見事に失敗しました。公開1週間後のガーナでパソコンを盗まれ、結果を知ったのは締切り後という体たらくでした。

しかし、翌2022年「公益信託地球環境日本基金」の助成を得たNPO-APTAAは、和田が帰国して3つの窯を訪ね、専門家に学んだ甲斐あって2023年4月、おそらくアフリカ大陸初になる日本式黒炭窯の炭焼きに成功したのです。

 

ところがこの年の9月21日、NPO設立以来十数年、二人三脚で活動していた和田の無二の同志・瀬川宗生が腎盂ガンで急逝したのです。ひとり絶海の大陸に取り残された和田でありましたが、闘病前の同志に炭焼きの成功を報告できたのはせめてもの慰安でした。80歳になる和田は、瀬川と共にした志の成就を急がねばならないと思い知らされたのです。それが「クラファン炭窯造り」1号プロジェクトの動機です。

 

NPO-APTAAのUCAES炭窯の全景。後方に並ぶのはUCAES寮棟

 

400年以上伝統する紀伊・吉野の杉密植方式で熱帯早成樹Neemを植林し、間伐材を世界最高水準の日本伝統の炭窯で炭に焼きながら森をつくる実験の成功は、炭焼きにもたついたために予定より4年遅れていました。NPO-APTAAは設立13年にして、ようやく炭焼き活動に集中できる条件が整ったのです。順次2号3号、4号5号とクラファンで炭窯を造るべしと発起したのであります。

 

多くの人の支援を受けて炭を焼き、森をつくりつづけねばならない。ガーナの森林資源劣化は限界を超えた危機にあります。(否、アフリカ大陸全体)日本伝統のSustainableな技術の組み合わせは窯造りを先行すれば、間伐材で焼く炭が売れ、新しく木酢液が現金をもたらします。現金を生みだす炭窯つくりが密植植林を推進し、加速するのは、経済原理であります。

 

マンクランソのNeem密植実験林(3年生)

 

1ヘクタール1万本の密植から順次間伐材を焼いていく炭焼きは、単一樹種の少ない在来の森林から炭材を伐りだすガーナ式伏せ焼に比べ、伐りだしコストははるかに低廉です。また、常設窯による品質と木炭歩留まり、あるいは全工程の管理効率、あるいは山火事予防に優れることは明らかです。また、単一林Neemの開花期は素晴らしい養蜂蜜源になり、伐採炭材の厖大な枝葉も堆肥や有機資材として多様な商品を展開します。ガーナの木炭市場がひっ迫する売り手市場であるとき、炭を焼きながら森をつくる魔術のNPO-APTAA方式は、化成肥料も農薬も買えない貧困農民に、安価にして安全な有機資材と自然農薬を提供するのです。   

 

 

「クラファン炭窯造り」1号プロジェクトの内容

人口増と炭不足、ガーナの森林が危機にある。窯と技術移転を急ごう

 

前回のクラファン失敗は植林用地取得の失敗に重なりました。植林用地を確保できないNPO-APTAAは、植林活動実践の危機に直面したのです。二重の失敗の直後、和田は農業大学UCAESの学長を務める古い友人ブリンポン・イエボア博士(Dr. Brempong)に、かねて打ち合わせ、準備もしていたNPO-APTAAとUCAESの提携を呼びかけました。和田が現地NGOとして2020年設立したAPTAA-GHANAの共同設立者でもあった彼は、ガーナ農業改善を目的とする提携を、即断即決してくれたのです。

 

大学構内に窯を造り、植林の実践もキャンパスで実習できる。農林学は数学や歴史学、哲学や電気工学とも全く異なります。教室は地球という野外なのです。文字や記号の代わりに地面に穴を穿ち、種子を播き、病害虫を追い払い、粘土を捏ねてなんぼという実業が農林学なのです。提携はまずNPO-APTAAの和田が、学生有志と共に炭窯築造と炭焼きの協働を率先、実行するところから始まりました。

 

ガーナを南北に縦断して北の隣国ブルキナファソに通じる幹線道路を初めて北上した2001年、和田は夜行するKintampo沿線に白い袋詰が延々とつづく異様に驚いたことがあります。白い袋は沿線の炭焼きがKumasiや首都Accraに向けてトラック輸送する木炭集積の光景でした。のちに和田はこの木炭集荷地の南下を“木炭前線”と言い表すことになりましたが、それから20年後の今日、木炭前線は北緯8度のKintampoから6.5度の南部森林帯アニナム沿線にまで南下しています。人口は当時およそ1800万人でしたが現在3200万人、ほぼ倍増です。

 

左から環境学部Ofori-Danson部長、アニナムに窯場を提供予定のGloria Ado女史、右端学長Dr. Brempong

 

森林資源減少の80%は、焼畑と家事熱源のための伐採と言われます。またガーナ人口の8割以上が薪・木炭を熱源にしているとみられます。一方に、20年前のガーナは木材を輸出していましたが、この間に輸入に転じ、製材業の稼働率も20%以下に低落している事実もあります。

 

木炭前線が国土の7割を占める北部熱帯季節林帯を乱伐しつくし、3分の1南部森林帯に侵入してきたのです。二度の雨季をもち土壌も肥えた南部はガーナ農業の中心であり、外貨の稼ぎ頭カカオ栽培の中心地でもあります。しかし、サハラ砂漠の乾燥した低温の北風ハルマッターンの防風堤だった北部季節林帯を失ったカカオは、栽培環境をいちじるしく悪化させていました。さらなる木炭前線の南下による森林喪失は、カカオ栽培はもちろんガーナ農業生産に甚大な被害をもたらす乾燥化に直接するのです。

 

カカオ栽培を含むガーナ農業の心臓部を保全しなければならない。そのためには現存の森林がこれ以上乱伐されてはならないのです。人口は倍増、薪・木炭需要はもちろん、食糧自体の倍増も避けられない時、窮地を脱する道はただ一つです。炭を焼きながら、同時に森をつくりつづけることができるかどうか? NPO-APTAAのもたついた炭焼き実験成功が、絶対矛盾克服の道を指し示してくれたのです。

 

炭を焼きながら、同時に森をつくりつづけるためには、農民が生活できる農林業の道が拓かれねばなりません。マンクランソという諸部族混淆の農村のただなかで、和田はたった一人、農民が生活できるかどうかを考えつづけてきました。もちろん流入したサバンナ諸部族民は、生き、生活しているのですが彼らの生活は決して人間にあるべきものでない貧困塗れでした。

 

ガーナの伏せ焼、平地に凹を造って炭材を積む。生草で厚く覆って上に土を被せて密閉、下部の焚口に火をつける。数日で炭出し。高熱の炭を出す作業は山火事、やけどに紙一重の危険に満ちている

 

おそらくサバンナの故郷を遺棄して数十年になるだろう彼ら流入民は、炭焼き前線の北辺の生活破綻民だったはずです。ガーナ炭焼きは、サバンナでは確実な現金収入でありましたが、農民が得た現金はわずかなものでした。なぜなら土地は首長階層の所有です。木炭業者は首長らにいくばくかの立木代を払い、農民を伐採と炭焼きに使役しますが、前線通過の後はあたかも台風一過の荒地が残るばかりです。木炭前線は農民を使い捨て、置き去りに南下を加速していたのです。

 

林業で農民が生活できる現場を作り出さねばならないのです。NPO-APTAAが提案するNeem密植植林+炭焼き+Agroforestryに学生を巻き込み、実習を持続できるならガーナ農業を賦活する新しい中心が形成されていくでしょう。APTAA-GHANAに結集する卒業学生有志たちは協働してどんどんNeemを植えながら、まずクラファン炭窯1号を造りたい。3ヘクタールの植林地があれば、1基の窯で年間12回の炭焼きができるでしょう。木炭約9トン、Neem木酢液1トンの製造が可能です。

 

クラファン炭窯1号が実現できれば、2号3号も、5年後に5~6人の卒業生が5基の炭窯で炭を焼くことができます。ご支援をお願いします。計算では、年40トン以上の木炭、5トンを超えるNeem木酢液生産が可能になります。青年たちが力を合わせる新しい農業モデルは、ガーナの、ひいては黒人アフリカすべての貧困克服の突破口になるはずです。

 

 

▼プロジェクトの展望・ビジョン

 

2022年、NPO-APTAAと農業大学UCAESの提携は、翌23年に炭焼きを開始した学内炭窯の炭焼き実習を中核に全く新しいNPO活動が根付いています。大学構内林地に実験規模4000本のNeem植林、あるいは構内圃場でオクロを対象にしたNeem木酢液の自然農薬効能実証実験、あるいはオガクズ鶏糞堆肥、干し草鶏糞堆肥の製造実習と施用実験等々を和田と有志学生は協働しています。

 

協働はもちろん正規の授業ではなく、NPOが学内に築造した炭窯での炭焼き、堆肥製造や栽培実験に有志学生が有給で働く“実習”です。協働は比較的講義の少ない4年生が中心になっています。彼らと共に植林、炭焼き、堆肥づくり、Neem木酢液の薬効実証実験を卒業まで協働していくというものです。1年間の協働体験をもとに、NPOは1名か2名を現場スタッフとして常傭、ガーナの問題をガーナが考える布石にしたいと願うのです。

 

先立つ2020年、和田とDr.Brempongは卒業学生有志の受け皿として、現地NGO APTAA-GHANAを設立しています。キビ王の土地を現地NGOが借地契約する構想から設立したものです。この現地NGOとNPO-APTAAが共同して借地したいと考えたのです。NPO-APTAAとAPTAA-GHANAの接点に位置する卒業生が、将来ガーナの農林業改善を担うべきであるという考えが根底にあります。農業を希望する卒業学生の障壁になる土地問題も、提携がキビ大王の翼下になされたことによって明るい展望をもたらしているのです。

 

 

炭焼きの発展的展開が克服する二つの課題

外国人違法金採掘業者の無情な犯罪、カカオ園破壊の土壌再生と植林緑化を実験したい

 

南米アマゾンの熱帯森林は無法金採掘業者に略奪され、激しく破壊されています。密林に重機と水銀を持ち込む略奪者に先住民コミュニティは破壊され、河川の水銀汚染の蓄積から、人びとはミナマタ病の潜伏に脅かされています。

ガーナの違法金採掘は密林ではなく、農民が営々と育てているカカオ栽培園のただなかを重機で引っ剥がす暴挙なのです。蛇行する河川に囲まれる集落は、泥水化した毒水のために農事にさえ使えなくなっています。なぜ、ガーナは防御できないのか?  ガーナの土地すべては首長階層が、永久的かどうかはともかく所有しています。狡猾なイギリス植民地政府は、地上の立ち木(ビクトリア朝の家具材になった天然マホガニー、チークなど)と金・ダイアモンド等地下資源は政府所有と強弁して略奪したのです。独立ガーナ政府は、おそらく財源のない事情もあったのでしょう。首長制と共和制二重規範の領土なき共和国政府は、悪法を踏襲しましたから、建国政府の首長階層は植民主義のくびきを引き継いでいることになります。しかし、真の被害者が1日の収入が0.5ドルにも足りない貧困小作農民であるのは間違いのないことです。

 

▲UCAESの西裏数百メートルにある違法金採掘現場、24時間操業。遠方に選別篩装置と重機が見える

 

1acreのカカオ栽培の利益が年700GHC(1GHC≒15円)前後の時、違法金採掘業者は地主・小作人に1acreあたり6,000~40,000GHCの追立金を払うのです。日暮らしもままならない貧困小作農民が、年収の何十倍もの現金を見せつけられて応じない道理がありましょうか? 政府は最近、軍隊を動員して違法業者の摘発を行いますが、軍部隊も筒抜けに買収されているのが実状です。

 

2015年衛星画像のデータによると違法採掘によって4万4000ヘクタールが破壊されています。そのうちカカオ園の破壊は19~22年間に2万ヘクタールが失われたと言われます。ガーナ・カカオ栽培のピークだった2017年から2022年にかけて21%減少しているという報告もあります。またこの5年間の金採掘量は、それ以前の5年間の5倍を超えているデータもあります。

 

地球の表土をなす土壌はたいへんに薄い、微小な粘菌やコケ類が5億年もかけて作ったのが土です。人間の皮膚より薄い表土に私たちは木を植え、作物を栽培しているのです。違法者が誰であろうと、強欲に引っ剥がされた赤土の薄い表土は絶対に再生されねばならないのです。ブルドーザーで整地しなければ手の付けようもない跡地です。NPO-APTAAにできることは、豊富な竹で炭と竹酢液を主に有機資材を生かした土壌再生のささやかな実験です。火傷の跡地に人工の皮膚を植栽するように、私たちは違法金採掘跡地 Galamsey の土壌再生実験を準備しなければならないのです。 

 

 

衰弱するガーナ・カカオの危機は、炭+木酢液+堆肥で救援できる

 

1940年代以降万能を誇っていたペニシリンなどの抗生物質に耐性を持つ病原菌が陸続と現れ、医学分野を恐慌させています。より強力な農薬の開発を競い合う農業分野も例外でなく、害虫皆殺しの合成農薬に対抗して、昆虫は抵抗遺伝子の保存と強化で生存し、繁殖するようになっています。

 

合成農薬が効かなくなったために開発・製造コストが高騰、劇薬化は農民の健康を脅かしています。ガーナ農民の多数は農薬を買う資力を持ちませんが、最大輸出産品であるカカオ栽培農民だけは、国家的規模で早くからウイルス媒介昆虫皆殺しの強力殺虫農薬購入を強制されてきました。しかしそれも、害虫の抵抗性と農薬のイタチゴッコの延長に過ぎず、すべてのしわ寄せが農民に押し付けられる構造は変わらないのです。 

 

上は被害の少ない区画。下、カタカイガラムシの被害果。被害は収穫の20%前後に及ぶ

 

樹高10m程度の陰樹カカオの木は湿潤な熱帯を好みます。絨毯のような樹冠の内側で、劇農薬を散布する農民を想像してみてください。まして彼ら一人の1日の収入が、国連のSDGsの貧困定義1.25$/dayの半分にも満たない0.4~0.45ドルと聞いて驚かない人が居りましょうか? 世界カカオ市場を寡占するカカオ仲買人、チョコレート会社等の暴利はとどまるところがないのに、なぜ農民が高価な化成肥料を買わされ、劇農薬で健康を害され、子供たちまで 親同様の奴隷労働を強いられねばならないのか? 

鶏糞とオガクズ堆肥を自作すれば、化成肥料と農薬でやせ衰えたカカオの土壌に微生物を呼び戻せるではないか? なぜ、細菌や微生物を皆殺しにする高価で有毒な化学農薬を、病原菌とさえ共生する自然農薬に切替えられないのか? 

 

UCAES農学部実験室のDr. Brempong

 

NPO-APTAAは、日本で産しないニーム木酢液の自然農薬効能を早くから期待してきました。2023年「公益信託地球環境日本基金」助成で築造した炭窯で採取したニーム木酢液を、助成金のもう一つのテーマであるカカオの木にウイルスを媒介するカタカイガラムシの駆除薬効の実証研究を開始しました。かつて名古屋大学に昆虫学徒として学び、学位も取得したDr. Brempongに研究委託した、害虫カタカイガラムシを室内飼育してNeem木酢液の自然農薬効果を実証するプロジェクトです。また、和田は学生たちと協働してキャベツとオクロの圃場で実施するNeem木酢液の自然農薬効果の二重盲検テストを持続的に行います。同時に希釈した木酢液散布による葉面活性の効果も検証します。また有機資材木炭や木酢液の土壌改良効果、あるいはネマトーダ駆除の追跡調査も実施する計画です。

 

なお、害虫殺しでなく忌諱性を高める木酢液を一層強力にするため、害虫の種類に即してニンニクNeem木酢液、ガーナのトウガラシNeem木酢液、アフリカ・マイマイNeem木酢液の施用実験をオクロとキャベツの圃場で実験します。最悪の毒こそ最良の薬たりうるのです。「すべてのものは毒であり、毒でないものはない。投与量のみが毒か否かを決定する」と言ったのは16世紀のスイスの医師パラケルススParacelsusと聞きます。毒か薬かは匙加減しだいなのです。 

 

 

リターンに未刊小説のデジタル原稿『膨張する神、ピッグバン』を贈る理由について

 

クラファンのリターンに和田の未刊の自作小説原稿贈呈というのは、異例というより非常識、頭は狂っているのではないか? 

1971年冬の東京で、和田は奇妙な夢を見たのです。豚飼いらしい男が、月明かりの阿蘇・波野高原の原野を、流星の落ちた集落を指して牛車で向かっているのでした。肥育して売るのが生業だったのでしょう。おかしなことにその買付仔豚の1匹がむやみな肥大膨脹を始めたのです。

 

外輪山の広大な裾野原野に蔽いかぶさる豚が、分厚い巨大なアメーバーのように広がり始めたのです。あちこちの窪地の集落を覆って膨脹する肉布団豚が、その怪奇な頭蓋を阿蘇谷のカルデラを眼下に見晴るかす大観峰に乗っけたところで夢は果てたのでした。

 

以来、奇怪な夢は脳味噌にこびりついた粘菌みたいに生命活動を始めました。のちにピッグバン・マダラと名付けた豚神が、なにゆえに出現したのか? 外輪山に突出する大観峰に頭部を載せた豚神の両翼は、外輪山を半分乗っ取って迫り出していました。肉塊の絨毯にも見える豚神は、離陸を考えていたのではないか? 無何有の何処へ? 

 

1960年代のキチガイじみた列島改造コンビナート建設に電工としてほぼ10年従事した和田は、すさまじい自然破壊に息をのみ続けました。1970年、遁走先のパリの落書、「舗石を剥がせば砂浜だ」に感動した記憶はありました。しかし、強い違和もくすぶっていたのでした。アスファルトで塗り固めたぼくらの都市は、剥がす舗石を待たないというイロニーはともかく、ぼくらの自然破壊が復元不可能であることを知って愕然としていたのです。

 

五月革命後のヨーロッパはコーン・バンディやアンドレ・ゴルツらに主導されるエコロジー運動が、イデオロギーの不毛から人間主体の都市的な緑の思想に転移したのに対して、日本の全共闘運動や新左翼運動は、言葉は同じエコロジーでも植物の生態的な団塊、“密植”状態に生まれた人口個別の均一な生存競争に過ぎなかった。それどころか我が国団塊世代の新左翼運動は、陰惨な連合赤軍事件や内ゲバ事件に見られるように、ありもしないイデオロギーの悪霊に憑りつかれた史実は周知のとおりです。

 

団塊世代はプラスチックの小さく、びっしり区分けされた育苗トレイに一粒ずつ蒔かれていたのであって、決して政治的な結合ではありませんでした。彼らの社会性は育苗トレイの密植面積の広さを超えず、均等に区分された光合成をすべて産業生産に吸収され、高度経済成長の原動力に変換する極めて行儀のいい、産卵率の優れたバタリー鶏舎養鶏の白色レグホンに過ぎなかったというのが、和田より4年下に始まる団塊世代の生態学的見立てでした。

 

復元不可能な自然破壊の悔恨のただなかで、ヨーロッパ的都市再生でなくアジアの洪水神話をよりどころに、生態を垂直に遷移させる物語を離陸させたかったのです。ギネスブック的50年を経た2021年、脱稿した寓意小説『膨張する神、ピッグバン』(当初の題名は豚神でした)は、豚神の生誕から死まで相伴した勇気ある子供たちの新大陸崩落、巫女姉妹と探検家の愛と死の物語になりました。同時に地球生命の壮絶な大量絶滅事件にもなりました。

激しい自然破壊に加担した自責の卒塔婆の1本『膨張する神、ピッグバン』をご希望の方にお届けいたします。

 

吉林勲三(本名和田洽史)略歴

1944年 旧満州国吉林省に生まれる

1963年 県立熊本工業高校工業化学科卒業。大昭和製紙入社1年で退社、以後電工とし列島改造コンビナート工事に従事

1969年 5月、立命大校庭の「わだつみの像」倒壊計画を遂行

1970年 5月、立命館大学中退、パリへ渡航。71年10月帰国

1972年 文化情報誌「東京スコープ」創刊、4号で廃刊。国書刊行会編集部入社、セリーヌ著作集全12巻、「日本近代と仏教」全7巻を   企画するも退社。写植オペレータに転職、開業

1974年 「セリーヌの会」主宰、パンフレット「夢の世界を今一度」写植印字コピーで発刊、11号廃刊。この頃出版社倒語社設立。

1978年 セリーヌ『ゼンメルヴァイスの生涯と業績』菅谷曉訳刊行、1982年セリーヌ『懺悔』生田耕作訳刊行、1983年吉林勲三名の自著『セリーヌ式電気餅搗器』、1988年評論集『群論 ゆきゆきて、神軍』共著等を写植印字刊行

1994年 東京湾11号ゴミ埋め立て地満杯の機に篠弘、三枝昂之氏ほか4名の歌人と共に上陸、各氏に5首の和歌を求めた90分のドキュメンタリー・ビデオ『6000万屯 夢の浮島』制作するも、倒語社倒産。以後2年間テキヤに属さない独立屋台「南方」を新宿・広尾に曳く

1998年 中国・山東省蓬莱の父の農園で洋ラン・蔬菜栽培に従事  

1999年 9月、ガーナ共和国渡航、翌年1月共和国大統領選挙候補J.A. Kufuor氏をインタヴュー取材。帰国後の2000年8月、候補に企画書「Ghana Art and Craft Village Plan」送付。送付を機に「ガーナ国民の友」設立

2010年 非営利活動法人 ガーナ農林工藝振興協会(NPO-APTAA)設立

2011年 4月、吉林勲三名の小説『壁なしの箱』(第三書館)刊行。「フクシマ3.11」勃発、ガーナ渡航延期して「福島原発行動隊」参加するも決裂。11月、ガーナ渡航。アシャンテ州クマシの友人にしてNPO-APTAAの設立理事、Edward Amponsah のマンクランソの土地15エーカーを無償で借り、Neem密植植林実験と日本式炭窯つくりの失敗を重ねる

2022年 NPO-APTAA、EASTERN州BUNSOの農業大学UCAESと提携

2023年 4月、UCAES構内築造の炭窯で炭焼き成功。現在に至る

 

プロジェクト実行責任者 和田洽史 非営利活動法人ガーナ農林工藝振興協会代表理事

作業日程計画 2024年2月 和田、NPO組織再編と資材・機械等購入のため約10日間帰国

3月~4月 リターン送付から炭窯築造開始5月 建屋工事6月 初窯火入れ。

 

プロジェクト実施完了日 2024年6月28日 

 

募金の使途と内容

・炭窯及び建屋資材費    60万円

・炭窯及び建屋工事人件費  30万円

・和田の一時帰国費     30万円

(和田が長年のガーナ駐在のところ、NPOの東京代表理事の瀬川宗生急逝のため理事会開催等組織の再編、また事務所を死去による移転、また炭窯資材・薪割り機購入のため)

・リターン品購入と送料   5万円

・炭材割り機等機械・工具費 20万円

合計 145万円

プロジェクト経費(早期入金手数料等)30万円

総経費175万円

 

注記:掲載写真の肖像についてはいずれもご本人の了承を得ています。

 

 

プロジェクト実行責任者:
和田洽史(非営利活動法人ガーナ農林工藝振興協会)
プロジェクト実施完了日:
2024年6月28日

プロジェクト概要と集めた資金の使途

作業日程計画 2024年 2月 NPO組織再編と資材・機械等購入のため約10日間帰国 3月~4月 リターン送付から炭窯築造開始 5月 建屋工事 6月 初窯火入れ。プロジェクト完了 募金の使途内容 ・炭窯及び建屋資材費    60万円 ・炭窯及び建屋工事人件費  30万円 ・和田の一時帰国費     30万円 ・リターン品購入と送料   5万円 ・炭材割り機等機械・工具費 20万円 合計 145万円 プロジェクト経費(早期入金の場合)30万円 総経費175万円

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プロフィール

和田洽史 1944年、旧満州国吉林生まれ。父母の生地・広島に引揚げ。国家は、軍は民を棄てます。開拓民と家族はその生贄でした。しかし時と場合によって民は、敵の民を助けることを苦難の中で学びました。父たちの金馬村開拓団600余人は、8万の死者を “道端に埋けた”開拓団24万人のなか、全員が帰還できた(病死や、事故死は除く)唯一の、稀有の開拓団だったのです。国家が民を棄てるとき民もまた国家を棄て、民を探す旅に発つのです。私が行き着いたのは西アフリカ・サバンナでした。茫々たる地平にわずかな木立が見えればそこに集落があります。電線も見えず、役場も学校も、病院も警察も銀行も見えない地平で、ひとは禽獣の小さな群れのように生きている辺境で、私は孤独のなんであるかを知らされたのです。無残に殺された開拓団の子供たちが、ここでいまを生きていると。

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リターン

5,000+システム利用料


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感謝のメール

●感謝のメールをお届けします。
●NPO-APTAAの活動記録、Neem密植植林と炭窯の写真記録(2011~2023)PDFを贈呈します。
●不定期メールマガジン「NPO-APTAA現場報告」を毎号お届けします。

支援者
1人
在庫数
制限なし
発送完了予定月
2024年3月

10,000+システム利用料


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20年前のガーナ写真ハガキ

●感謝のメールをお届けします。
●NPO-APTAAの活動記録、Neem密植植林と炭窯の写真記録(2011~2023)PDFを贈呈します。
●不定期メールマガジン「NPO-APTAA現場報告」を毎号お届けします。
●20年前、和田が撮影したガーナ各地の写真5枚セット絵葉書

支援者
1人
在庫数
制限なし
発送完了予定月
2024年3月

20,000+システム利用料


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小説「膨張する神、ピッグバン」

●感謝のメールと不定期メールマガジン「NPO-APTAA現場報告」を毎号お届けします。
●Neem密植植林と炭窯の写真記録(2011~2023)PDFを贈呈します。
●原稿用紙で約450枚の地球生命大量絶滅を描く小説『膨張する神、ピッグバン』のPDF原稿をお届けします。

支援者
1人
在庫数
制限なし
発送完了予定月
2024年3月

30,000+システム利用料


Nkawkawの茶器あるいはどんぶり

Nkawkawの茶器あるいはどんぶり

●感謝のメールをお届けします。
●NPO-APTAAの活動記録、Neem密植植林と炭窯の写真記録(2011~2023)PDFを贈呈します。
●不定期メールマガジン「NPO-APTAA現場報告」を毎号お届けします。
●Eastern州のNkawkaw市周辺は焼物が盛んです。以前釉薬は使わなかったのですが、幹線道路沿いの露店では10何年前ごろに見えるようになりました。神経が行き届いた繊細さはなく、いささかぞんざいな作りです。科学者とスポーツ選手の国際的な素晴らしい活躍を除いて、何もかも繊細・神経脆弱になってなお金銭に恥も外聞もなくなった今日この頃、器の粗っぽさはかえって安心を与えてくれるかもしれません。ぞんざい、素人っぽいと言っても”大名物”の風格には欠けますが、十分魅力的です。よい茶器茶碗にもなる気がします。ぼくはもっぱらスパゲッティ・ラーメンのどんぶりに愛用しています。
このNkawkaw(ココ)地域のどんぶりを1個贈呈します。

支援者
0人
在庫数
30
発送完了予定月
2024年3月

プロフィール

和田洽史 1944年、旧満州国吉林生まれ。父母の生地・広島に引揚げ。国家は、軍は民を棄てます。開拓民と家族はその生贄でした。しかし時と場合によって民は、敵の民を助けることを苦難の中で学びました。父たちの金馬村開拓団600余人は、8万の死者を “道端に埋けた”開拓団24万人のなか、全員が帰還できた(病死や、事故死は除く)唯一の、稀有の開拓団だったのです。国家が民を棄てるとき民もまた国家を棄て、民を探す旅に発つのです。私が行き着いたのは西アフリカ・サバンナでした。茫々たる地平にわずかな木立が見えればそこに集落があります。電線も見えず、役場も学校も、病院も警察も銀行も見えない地平で、ひとは禽獣の小さな群れのように生きている辺境で、私は孤独のなんであるかを知らされたのです。無残に殺された開拓団の子供たちが、ここでいまを生きていると。

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