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支援総額

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目標金額 1,100,000円

支援者
0人
募集終了日
2021年5月10日

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2021年05月03日 08:00

(下)『ゴトビキ岩大権現さま』。その1。「鎌倉七口」

    母が亡くなった。またしても癌。膵臓癌。享年六十六歳。まだまだ若い母。その若さが命取りになってしまった。若いと新陳代謝が活発。細胞分裂の活性化が癌細胞の発育を強め、至る処に転移してしまった。身体の奥深い処に発症した癌は転移が早く、抗癌剤の効き目も弱くなるそうだ。食道とか膀胱、大腸とか胃は身体の表層。此処での癌ならば余程の手遅れにならぬ限り治癒する。しかしリンパや肝臓と膵臓、そして子宮や腎臓となると難しいと担当の医師から知らされた。

 身体の変調を覚え、抗癌剤治療の入院に踏み切った時には、既に手遅れだった。膵臓癌の末期と医師に知らされた。わたしはそれを母に伝えなかった。母の命を預かる医師が告げるべきと思った。医師はわたしに知らせた次の日に母に告げた。

 余命は長くて半年だった。

 その時から母の顔をまともに見られなくなった。眼を合わせると号泣してしまう。母はこんな時でさえ気丈だった。途方に暮れているわたしを励ます。そして抗癌剤治療を止めた。痛みを和らげる医療用麻薬注射も最小限にと医師に懇願。医師は黙って頷いた。

「我家は癌に呪われている。のぞみも予防検診を怠ってはダメ」

「うん。そうする」

 父は七年前に肝臓癌で亡くなっていた。六七歳だった。父も若すぎる死。癌と診断されてから四ケ月で逝ってしまった。

「私は生まれながらに痛みには強い。心配しないで。心配されると心がくじけてしまう」

 応えられなかった。

「私は何時お迎えが来ても思い残すことはない。のぞみと言う作品を送り出したから」

 母はちょっぴり得意そうな表情を浮かべた。

 死を目前にしても普段通りの母。

「のぞみが書いた精神のリレーを私も遂げた。のぞみには私が果たせなかった数々の想いが宿っている。のぞみは『Spanish Dance』を書いた。読む者を仕合わせな気持ちにさせる、のぞみらしい作品。私は大満足。まだ本になっていないけれどそう遠くない内に刊行されると思っている。出版された時にのぞみは必ず私に報告してくれるから楽しみに待っている。精神のリレーは良い言葉だね。のぞみの本を読んで後に続く人が必ず出てくる。それを見届けられないのが唯一の心残り」             

『旅の途中』の編集者と支社長が出版社に売り込んでくれたけれど出版は叶わなかった。わたしが売り込みに同意した後に知らされたのは「無名な新人を売り出すのはリスクが伴う。売れる見込みがない」だった。残念だったけれど作品の評価では無かったのが救い。これが取るに足りないとか、ノンフクションの心得が成っていないとかの評価なら絶望的に落ち込んでしまっていた。出版社の判断も分からない訳ではない。出版は無理なんだと諦める他なかった。でも母の予言は的中する。何かしらの幸運が舞い降りるかも知れない。出版された時には誰が続いてくれるのかしら。楽しみでもあるし恐くもある。

 これからはわたしが分からない男を書きたい。

「小説は進んでいないようだね。恐らく同じ処をグルグル回っていると思っている。それはそれで大切な時間。遠回りしていると考えないのが大切。いちど男になって一人称で書いてみたら。『僕』ではなく『俺』を切り口にして挑戦すると途が拓けるはず」

 母の遺言のように想えた。                                     

 長い間わたしを包み込んでいた霧が晴れた。確かにそう云う切り口、方法もある。今までは三人称で書こうとしていた。小説は三人称で書くものと思い込んでいた。そうすると構えが大仰になってしまいわたしらしくない文体に。普段着で無くなっていた。正装とまでは云えなくともスーツ姿のわたし。わたしはラフな普段着でなければ書けない。湧いてくるイメージも何処か畏まっている。自由奔放が消えてしまっている。言葉が踊ってくれない。独り歩きしてくれない。そうなると友達も連れて来てくれない。書こうとする力が削がれてしまっていた。Plotを措定するどころでは無かった。

 確かに『僕』では可愛い過ぎる。おまけに上品。わたしが描きたい主人公が抱く志や野心、夢と目標に向かって突き進む主人公には幾多の困難が待ち受けている。男が向き合う現実は厳しい。わたしが想うに男とは向う見ずで馬鹿。夢や目標を追えない凡人は馬鹿になれない。当然ながら慎重で賢い。向う見ずとは遠い存在。

 

 母は半年を待たず、三ケ月で逝ってしまった。

「私の骨の半分は鎌倉。もう半分はサンタンデールの海に散骨して」が最後の言葉だった。この時わたしは一部を手元に置こうと決めた。母は穏やかな表情のまま逝った。

 断末魔の苦しみが全身を襲っていたに違いない。

 何もできなかったわたし。できたのは母の傍らに寄り添い、手を握り、見届けるのがやっと。母はか弱い力で握り返す。それがゆっくりと途絶えてしまった。          

 

 わたしが喪主の母のお葬式。近親者のみの母のお通夜。これはわたしの判断。母がそれを望んでいると思った。久しぶりの伯母と叔父。その連れ合いと子供達も。一〇年以上も会っていない従妹達はみんな大人になっていた。みんな母の若すぎる死を悼んだ。

 通夜は何かと準備が大変。仕出しやビールとお酒。お茶とお菓子。それからジュース。座布団の手配などなど。今夜は親族全員が我家に泊まる。そうなると寝具一式が足りない。他にもまだまだある。お坊さんへのお布施や戒名の打ち合わせ。                 

 それらを案じた母より三つ上の伯母が、「私に任せておきなさい」と、昨日の電話でキッパリ。祭壇は彼女が葬儀社に連絡。お陰で通夜と告別式から納骨までの段取りが整ったみたい。わたしは伯母に任せっきり。自分のを止めて母の喪服を着たわたしは母の遺影の正面にちょこんと座っているだけ。

「それで良いの。のぞみちゃんはお母さんの傍に居てあげないと」

 二人の孫を合わせると総勢で一七人の近親者は代わる代わるわたしに挨拶。失礼のないよう丁寧に応じた。親族ではない老若男女五人が集まってくれた。『茅葺の会』の人達。わたしが連絡した。母が望んでいると思った。幼い頃からの馴染みの人も居た。白髪のお爺さんは代表だった。『茅葺の会』は長寿寺と杉本寺が由来。活動的な母は会の中心的な存在。わたしは小六まで何時も母に連れられ後について行った。鎌倉に住んでいる人たちの素朴なボランティアグループ。鎌倉古道の維持が活動のひとつ。

    母は頼朝以前と都が京都の室町に移ってからの鎌倉を掘り起こしていた。ありていに言えば郷土史研究会の側面も持っていた。他にも望まれた時には観光ガイドを引き受けた。これが好評だった。何せ鎌倉の地誌に詳しくメンバー独自の解釈からの解説が面白い。まさに「記憶に残るガイド」の人たちだった。

 わたしの日本史好きは母の影響。 

「一所懸命」も母からの教え。

 二〇年にも亘る地道な活動に鎌倉市役所は年間一五万円の助成金を支給。このお金は年二回の春と秋に発行される会報に充てられいた。三二号まで刊行されているB5の冊子。わたしの記憶に残っている母の手記がある。高三の時の秋号。

 

■「秋ふかし 鎌倉の郷 幾重にも 白煙上る いにしえの跡」

 頼朝には幕府を開くにあたって鎌倉の人口を把握する必要が生じた。集落の数が分かるならおおよその人口も掴める。当時は道が整備されておらず、当然に七つの切通しも開かれていない。大小の丘が数多く点在。丘の周囲には沢があちこちに広がっていた。この沢に人々が田畑を拓き住んでいた。集落を結ぶのは獣道の如し。迷路のよう。住人も近隣の道しか、繋がりが分からない。一つひとつの集落を巡っての戸籍調査は手間暇が膨大。

 頼朝は一日で調べ上げる策を考えた。先ずは役人を鎌倉山の頂上に立たせ、鎌倉を東西南北に分け、時間をずらして定め、それぞれの地区に一斉に狼煙を上げさせた。合図は法螺貝。その本数を東西南北に分けた図面に書き記した。その狼煙の数が集落数。一日で調べを終えた。この頃の集落は七軒ほどが通例。これ以上、少なくなると農作業と他の共同性が難しくなる。多くなるのは問題なし。しかし開墾可能な鎌倉の沢は広くない。七軒以上の農地を確保するのは難しい。一世帯は七人前後。爺ちゃん婆ちゃん。家長と妻。子供が三人。狼煙の数は四二本。すると鎌倉の人口は二千人前後。これが鎌倉の原風景。狼煙を上げた後に頼朝はこの辺境の地に武士の世を示す幕府を置いた。鎌倉は守りが固いのだ■

                                                                    

 鎌倉でも人気のない頼朝。母は為政者としての頼朝の実力を示したかったのかも知れない。狼煙の図面を頼りに、『いざ鎌倉』となれば、御家人が八幡宮に馳せ参じる切通し七つが造られ、古道が整備されたと母は結んでいた。

「はるさんは才気あふれる人だった。気づいた時には古文書を読めるようになっていた。それもスラスラと。『吾妻鏡』の原文を読み解くのに何の苦労もない」

 白髪のお爺さんは読経が流れる前にわたしに挨拶。それから背筋を伸ばし、真直ぐに母の遺影を見つめた。彼からは一筋の涙が。

 わたしは堪えた。

 伯母が「母が妹を『はる』と名付けた。本当に名前の通りの妹。貴女もお母さんの血をしっかり受け継いでいる。明は平塚らいてうの本名。知らなかったでしょう。私は母が読んでいた『青鞜』を大切に保管している。妹も私も子供のころ読んでいた」と言った。

 伯母の眸には溢れてしまいそうな一杯の涙。

 わたしは奥歯を噛みしめて涙を堪えた。

    涙がこぼれ落ちてしまうと崩れてしまう。

 母はそれを望んでいない。

 わたしは母に語りかけた。

「子供の頃は『明』を『はる』と読めませんでした。漢和辞典を調べても納得できなかった。わたしは秘かに『みん』と呼んでいました。ゴメンナサイ」

 その時、母の遺影が微笑んでくれたように思えた。

 

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