医療・介護・看取り・暮らしに特化したラジオ局を作りたい!

医療・介護・看取り・暮らしに特化したラジオ局を作りたい!

支援総額

832,000

目標金額 800,000円

支援者
64人
募集終了日
2021年10月15日

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2021年10月08日 16:04

介護はある日突然に!

 皆様の温かいご支援、応援ありがとうございます。公開も残すところ1週間となりました。残り7日間も最後まで諦めずにがんばります。

 

きょうのタイトル。介護はある日突然に!

今回は私の介護経験をお話してみようと思っています。

私の介護生活は職場への1本の電話から始まりました。実家の隣に住むおばちゃんからの電話でした。「お母さんが倒れたよ。今病院に行ったからね。慌てずに帰っておいで」という電話でした。父親も病院に付いていったので連絡がつかず。その頃(15年以上前のこと、当時父親は携帯は持っていたのですがうまく使えていませんでした。)

職場の上司にすぐに連絡して人を手配していただきなんとか夕方までには病院にいきました。脳出血のため意識が朦朧とした状態。出血した場所が悪く片目は失明するだろうと言われ、父親と一緒に先生からの説明を聞いて入院に必要になる着替えやらを取りに実家に戻り準備をし、すぐに病院に届けました。

 

翌日からは、父親が一人で生活をしていかないといけないので、簡単に一人でも調理ができるようなものの買い出し。部屋の掃除などして、母に面会。近所の方々に父親が一人になることをお伝えして職場の連絡先、家の電話番号など緊急連絡先を渡して東京に帰宅。

 

金曜日仕事が終わると高速バスで実家に出かけ、夜中まで実家の片付けなどをして土曜日には面会、洗濯物などを持ち帰りすぐに洗濯して日曜日の帰る前に病院に届ける生活。1ヶ月くらいしたところでリハビリのために転院することになり、父親のことも考え入院は東京でということになり母親を連れて東京の病院に転院しました。

 

今度は毎日仕事が終わるとバイクで東京の病院に面会にいき、母親の話し相手といってもかなり認知症の症状もひどく私が誰だか日によってはわからない日もありました。母は日によっては女学生だったり、看護師だったり(母親は看護師、助産師、保健師の資格を持っていました)戦争中の思い出を話したり

かと思うとリハビリ中は早く家に帰りたいと言い出したりと、毎日私にとっては戦争のような毎日。面会が終わって帰宅すると9時過ぎ。それから夕食を摂ったり仕事をしたりしていました。

 

あまりにも母親が家に帰りたがるため、入院先の先生やリハビリの方と相談して退院、退院後の通院先を決めたりバタバタと過ごしていました。

私が母親にかかりきっている間に父親の病気が発覚、糖尿病から網膜症になり片目失明!父親もパニックを起こしていました。

 

母親の退院後、ケアマネさんを決めてケアプランを作り、ヘルパーさんに入っていただきなんとか二人の生活が回るようにして、金曜日仕事が終わってから高速バスで実家に向かい、洗濯や掃除、土曜日の通院の準備をして夜中仮眠。

土曜日の朝、家を一歩も出たがらない母親をなんとか説得して通院。

あまりにも家を出たがらないため、病院のケースワーカーさんと相談して、在宅訪問してくださる先生を見つけていただきました。当時はまだ田舎では在宅訪問してくださる先生はいらっしゃらなかったのですが、東京の先生が来てくださることになりました。高速を使えば1時間だから都内を走っていても同じだからと快くひきうけてくださいました。

 

初めて訪問の先生がいらした時にはやはり「緊急時の対応をどうするのか?」

「救急車で運ぶ、運ばない、挿管するか、輸液はどうするか」など今で言うDNRの打ち合わせ、情報共有をしました。

結局、積極的な医療は行わないということに決めました、当然人工呼吸もせず、意識がなくなったら自然に任せましょうという取り決めです。

 

その頃にはほとんど自分の意思を話すことも出来なかった母親ですが、最後に病院送りは望まないだろうなと判断しました。

 

それから2ヶ月くらいして朝食を食べた直後に意識がなくなりました。

その時家にいたのは父親とヘルパーさんだけ。

慌てたヘルパーさんと父親は救急車を呼び、病院で死亡確認をしていただきました。

 

でも、私はそれでも良かったなと思っているんです。あのとき何もせずに父親とヘルパーさん二人だけでいて、母親が亡くなっていたらヘルパーさんも本当に辛い思いをしただろうし、病院に連れて行ったことで母親が臓器提供の意思表示をしていたことがわかり、急遽母親の意思どおりに網膜提供ができました。後で母親の臓器提供の意思があったことがわかっても、逆にしてあげられなかったことに私は後悔したと思うんですね。

 

そこで私が在宅で看取りの近い方のご家族にお話するのは、いざとなった時に今まで決めたとおりにできなくても良いし、怖かったらすぐに先生や看護師さんに連絡してね。とお伝えしてきました。そのとおりにできなくてもいいんです。

 

そんなわけで私と母親の介護生活は終わりました。認知症になった母親、毎日今この人はいつの時代にいるんだろうか?どうしてこの思い出は忘れていないのかなど考えながら過ごしていました。

嵐のような毎日でしたが、今思えば親が居てこその嵐だったなとおもっています。

 

親の介護は本当に大変です。身内だからこそお互いに甘え、わがままがでてしまいます。それまでのしっかりした親と比べてしまうからこそのの辛さもありますね。

でもそんな嵐も過ぎてみれば良い思い出になる日がきっときます。

 

私の介護経験をつらつらと書かせていただきましたが、番組では介護されている方のお力になれるような番組もつくっていきますね。

 

あと7日となりました。皆様の温かいご支援ありがとうございます。

あと一息です。宜しくお願いします。

 

リターン

3,000


感謝のメールをお送りいたします

感謝のメールをお送りいたします

感謝のメールをお送りいたします。

支援者
14人
在庫数
制限なし
発送完了予定月
2022年1月

5,000


初回放送番組公開時に掲載するプログラムにお名前を掲載します。

初回放送番組公開時に掲載するプログラムにお名前を掲載します。

初回番組公開時のプログラムに支援者として皆様のお名前、企業名を掲載させていただきます。実名、ニックネームでも可。
☆<※注意事項:このリターンについては、こちら (https://readyfor.jp/terms_of_service#appendix)の「命名権、メッセージの掲載その他これに類するリターン」をご確認ください。>

支援者
24人
在庫数
74
発送完了予定月
2021年12月

10,000


パーソナリティー経験をしてみませんか?(10分番組)

パーソナリティー経験をしてみませんか?(10分番組)

ラジオパーソナリティ体験。10分番組(交通費は自己負担でお願いします)収録日の日程については改めてご連絡の上調整させていただきます。☆コロナウイルスの影響によって番組収録が遅延する可能性あり。遅延した場合には改めてご連絡の上日程を調整させていただきます。

支援者
23人
在庫数
15
発送完了予定月
2022年9月

50,000


ゲストとして番組にご招待いたします。一緒に30分番組を作ってみませんか。

ゲストとして番組にご招待いたします。一緒に30分番組を作ってみませんか。

ゲストとしてお招きして一緒に30分番組を作ります。(交通費は自己負担でお願いします)収録の日時はご連絡の上調整させていただきます。☆コロナウイルスの影響により収録が遅延する可能性あり。遅延した場合にはご連絡の上改めて日程を調整させていただきます。

支援者
1人
在庫数
14
発送完了予定月
2022年9月

120,000


年間スポンサーになってください。

年間スポンサーになってください。

私がパーソナリティーとして公開する番組(10分放送)放送時にスポンサーとしてお名前・企業名を放送。番組プログラムにもスポンサーとしてお名前を掲載。初回放送月から1年間。(30回/月予定)
☆コロナウイルス感染状況により収録の予定、回数等に影響がでる可能性あり
☆<※注意事項:このリターンについては、こちら (https://readyfor.jp/terms_of_service#appendix)の「命名権、メッセージの掲載その他これに類するリターン」をご確認ください。>

支援者
3人
在庫数
2
発送完了予定月
2022年9月

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