浅間大噴火から230年伝承を続ける鎌原の人々、三陸海の盆へ招待!

浅間大噴火から230年伝承を続ける鎌原の人々、三陸海の盆へ招待!

支援総額

462,000

目標金額 400,000円

支援者
34人
募集終了日
2016年8月10日

    https://readyfor.jp/projects/Kanbara-Wasan?sns_share_token=
    専用URLを使うと、あなたのシェアによってこのプロジェクトに何人訪れているかを確認できます
  • Facebook
  • X
  • LINE
  • note
2016年07月20日 11:14

熊本地震と浅間大噴火 〜 熊本藩民10万両(100億円超)の支援金

皆さま、おかげさまで目標の3分の2のご支援をいただきました。感謝です。

 正直に申し上げますと、全体の費用はかなりかかるので、40万円の目標を早めに達成できたら、さらに第二の目標を設定する可能性も出てきました。引き続き、どうぞよろしくお願いいたします。

 

熊本藩から10万両、100億円以上の支援金

今回は、熊本地震後、5月はじめに鎌原を訪問して知った驚きの事実をお伝えします。

 4月末に熊本、大分を回ってきた後のことでした。鎌原観音堂の隣にある嬬恋村郷土資料館の入り口に、「熊本地震災害義援金募集」の募金箱と「熊本藩主の支援」の説明があったのです。概略、こうです。

 

 

天明の大噴火の際、熊本藩は、幕府に命じられて、被害のあった鎌原村をはじめ吾妻川・利根川一帯の復旧費用を負担した。総額10万両、江戸時代の1両は現在の13万円ぐらいになる。実に100億円を超える額である。なぜ熊本藩が命じられたのか、阿蘇山があるからではという人もいるが、理由は明らかではない。一説では、当時の熊本藩の財政が、藩主の細川重賢(しげかた)が名君で破綻状態だった財政再建に成功し、豊かな状態だったからとも言われる(外川淳著『天災と復興の日本史』、グーグルブックスで閲覧)。

 10万両という巨額は、いくら豊かな藩の財政でも、とても負担できず、大半は藩民から「寸志金」として拠出されたという。つまり藩民あげての一大支援だった。

 

鎌原村には1億円が

詳しくは、中央防災会議「災害教訓の継承に関する専門調査会報告書」の『1783 天明浅間山噴火 』の「第3章 復興への努力と災害の記憶」をご覧ください。それによれば、幕府から鎌原村に850両(約1億円)が、被害が最も甚大であった吾妻郡19か村には合計4,766両(約6億円)が復興資金として支払われたそうです。

 犠牲者1500名のうち鎌原村だけで477名、約3分の1ですから、熊本藩かの100億円の配分は、もう少し多くてもよさそうに思えますが、下流地域での土木工事など規模が大きいことから、こうした配分になったのでしょう。

 

この熊本からの支援金の話を鎌原村観音堂奉仕会の方にしたところ、以下の写真を見せていただきました。鎌原の住民への「熊本地震義援金のお願い」という呼びかけ文です。一部抜き出します。

 

 

「熊本地震の様子が毎日、テレビ、新聞、インターネットなどで報道され、自然災害の恐ろしさを感じます。また、被害の状況を知るにつけ胸が締め付けられます。

 私たちの住む鎌原は、今から233年前の天明3年(1783)」に浅間山噴火による土石なだれで、鎌原はすべて押し流されたり、埋もれたりしました。唯一残った建物は鎌原観音堂です。生死を分けた15段を駆け上がって助かった者は93名でした。

 食べ物もなく、家もない悲惨な状況の中で、命をつなぎ、鎌原を復興してきました。93名の私たちの祖先が、それができたのは、いろいろな方々の支えがあったからです。

 復興には幕府による「御救い普請」があったといわれますが、実際には、熊本藩の領民のよる力強い支えがあったのです。甚大な被害を被った集落、耕地、道路、用水の堆積物を取り除いたり、大掛かりな土木工事をしたりしなければなりませんでした。その総工費は莫大な額になりました。その大半を負担してくれたのが、熊本のみなさんだったのです。そのおかげで今の鎌原区を作り上げることができたという熊本のみなさんのご恩を私たちは忘れることはできません」

 

 そして、熊本への義援金の呼びかけが続きます。

 

各地の被災地に欠かさず支援を続ける鎌原村

鎌原村観音堂に集まる人たちは、昔から、日本だけでなく外国も含めて大災害が報じられるたびに、義援金を集めて送っているそうです。たとえば昭和35年(1960)のチリ地震津波、2004年のインドネシア・アチェの津波などなど。2011年の東日本大震災の際には、緊急に水を集めて名取市などに送られたそうです。

 観音堂の内部には、そうした義援金に対する日本赤十字社からの感謝状が多数掲示されています

 

こうして、230年以上も前の祖先たちの災害を継承してきた鎌原村の人たちは、祖先の供養に加えて、他人の災害にも深い関心をもち、今日まで支援を欠かさないでいるのです。被災者同士、被災地同士の交流と教訓の継承の意義を、ここにも感じるのです。

 

 次回は、なぜ「三陸海の盆」に鎌原観音堂のみなさんをお招きするのか、東日本大震災、その復興、そして被災した人々にとっての郷土芸能の意義などを書いてみたいと思います。

 

追記:

『天災と復興の日本史』によれば、熊本藩は、わずか9年後の寛政4年(1792)に起きた雲仙島原岳の噴火・津波によりなんと5000名もの死者を出す大惨事に見舞われている。しかし、このときは幕府による資金援助はどこからも来ず、またもや財政危機に陥ったという。

 

 

 

リターン

3,000


★鎌原観音堂 小冊子『祈り』
★お礼状

★鎌原観音堂 小冊子『祈り』 ★お礼状

鎌原観音堂奉仕会の皆さんによって編集・発行された、浅間大噴火から今日に至るまでの村人の思いを記した小冊子です。

支援者
17人
在庫数
制限なし
発送完了予定月
2016年9月

10,000


◎鎌原観音堂「浅間大和讃」 DVD
◎ぼけ防止 特製箸

◎鎌原観音堂「浅間大和讃」 DVD ◎ぼけ防止 特製箸

1)に加えて、
◎「浅間大和算DVD」
鎌原観音堂の年命日の大供養、月2回の「回り念仏」和讃供養の模様を映像に記録したDVDです。
鎌原観音堂の関連映像、資料も収録します。

◎ぼけ防止 特製箸
鎌原観音堂和讚会の皆さんの祈りをこめて、ぼけ防止10カ条が同封された、特製のお箸です。観音堂でしか販売されていません。

支援者
19人
在庫数
1
発送完了予定月
2016年9月

記事をシェアして応援する

    https://readyfor.jp/projects/Kanbara-Wasan/announcements/41213?sns_share_token=
    専用URLを使うと、あなたのシェアによってこのプロジェクトに何人訪れているかを確認できます
  • Facebook
  • X
  • LINE
  • note

あなたにおすすめのプロジェクト

注目のプロジェクト

もっと見る

新着のプロジェクト

もっと見る