ご覧になられている方々、また御支援をいただいている方々、
本当にありがとうございます。心より御礼申し上げます。

 先週の中日新聞、フジ産経新聞、朝日新聞等メディアで、このプロジェクトが
取り上げられて多くの方々、日本中、一部は海外からも支援を
頂きました。人口15000人足らずのミカンの町の、霞んで行きそうな
69年の戦後の歴史にポツンと残っていた、小さな小さな話題です。

 星一徹のような頑固オヤジと私は、仲が良くありませんでした。
幼いころの父親と私との間の思い出は、たくさんありません。
そんなオヤジとの僅かな思い出の一つが、「健二、この橋から飛び込んで
みろ!お父さんは、遠泳の選手だったからな、ここから飛び込んで、
三ヶ日駅まで泳いで行ったんだ!飛び込むとな、この下に戦車が
沈んでいるんでいて見えるんだぞ・・・」。息子でしたら、すごいなぁと答える
べきでしょうが、オヤジの言う「橋」というのはかなりの高さで、
とても子供が飛び込める高さではありません。その時は、かなりな
ドメスティックバイオレンスのような「怖さ」と、もうひとつ、
「戦車が沈んでいる」ことがだけが頭に残りました。私が、小学生
低学年の夏の話でした。
このプロジェクトは、そんな小学生の私が父親から聞いた、その一言から
始まっています。

 



 昨日、新聞をみたぞと父親の友人から電話がありました。小さな
町ですから、どこの誰かは判ります。
「新聞を見たぞ、健ちゃん」「清水のオヤジサン、また戦車、始めたんだ」
「そうか、それでどうなんだ?」
「やっぱりダメさ。間違いなく泥の中さ、戦車はね」
「そりゃそうよ、俺が見たときだって、かなりの深さだったし、
70年も経ってれば、あんな重いものは泥の中に埋もれちまう!」
「俺が見たって、清水のオヤジサンは、場所が判るのか?」
「そりゃ、判るさ。お前のオヤジと俺は、遠泳の選手で、いつも
獅子岩から飛び込んで泳いでいたからな・・・」
「それは、チトか?」
「なんだか解らないが、デカかった。それは・・・」
私は、夢中で父親の友人から、その位置関係を聞きました。
水の中に大きな流れがあること。獅子岩が水中ではどんな形を
しているのか。戦車を入れたとされる湖岸が、60年前は
どんな様子だったのか、などなど。
「クニオ(私の父)が生きてたら、お前ももっといろいろ聞けた
のにな。クニオ、健ちゃんと一緒に戦車探してただろうな」と。
話を聞きながら、もう数えきれないくらい行ったあの湖岸と、
水深16mの水のなかを想像しました。そして、父親の面影を。

 明日にでも、また「現場」に行ってきたいと思います。
 
皆さん、御支援ありがとうございます。


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