今日は全国学校図書館研究大会の二日目。

小規模な小学校の「情報センター・学習センター」としての学校図書館の取り組みを聞いた時のこと。子どもたちが「発信」をしているという報告があったので、聴講者から「発信」はwebを用いているのかという質問がありました。回答は新聞づくりや読み聞かせを子どもがするということで、聴講者の何人かは首を傾げていました。

情報センターの意味、情報活用能力(インフォメーション・リテラシー)の意味、アクティブ・ラーニングの意味が、共通言語になっていないのですから、何度尋ねても回答は質問者の意図とずれてしまう、という現象を見てしまいました。実践そのものは、子どもたちを図書に親しませ、読み聞かせを子どもたちにさせることで人物の感情や立場を関係的に理解させる、というものであったり、図書館資料を授業単元で有効活用するために実践を蓄積してガイドブックを作成したりと、全校挙げてのとりくみで、頑張っておられる報告でした。

そこまでであれば、「ああ、頑張っておられるなあ」で終わるのですが・・。学校教育と学校教育の関係についての理論が未熟な日本では、ひとたびそれぞれが概念的な言葉を用い始めると多言語社会になってしまう・・。相手は何を言っているの?ということになり、まるでかみ合わなくなってしまう・・・。

ああ、これがわずか5科目、3か月程度の講習でしか学ぶ機会のない日本の学校図書館担当者の現状なのだなあ、とその責任はどこに?とはがゆくなってしまう・・。

その後、文部科学省の課長による発表があるというので期待して聴きに行ったのですが、学校図書館法制定に尽力した当時の文部省役人の新教育と学校図書館への期待を感じることはできず、今でも民主主義社会の礎として学校図書館を捉えることから構築している学校図書館理論の片りんを窺うことができなかったのは、私の理解力の不足でしょうか・・・。全校長が図書館長になればよいのではないかというアィディアは、長野県茅野市が実際に行っていることではありますが、司書教諭を管理者と同等の教育責任者として位置付けることはオーストラリアでは20年前からみられることで、アメリカでも校長の総合的な判断の一環に学校図書館への判断があり、school librarianは校長が学校図書館を認めてくれる実践により学校の中での学校図書館の地位を高め、活用を促しています。校長を館長にしても、専門的な知識がない人では、かえって弊害が生じることもあります。だから、school libararian/teacher librarianは闘っているのだと、私は聞いています。

学校図書館への理解と専門的な力量を高めること、専門的な職種として司書教師と学校司書を専任にすること、校長などの管理職研修をしっかりと行うこと。どれもできてないのではないだろうか。熱心な担当者や管理職ほど、大海をさまよってしまうのではないだろうか。IFLAの新ガイドラインの翻訳を早く完成させて刊行しなければと、灯台として機能させたいと、焦ってしまいます。すでに、一部は翻訳が済んでおり、それは「これからの学校図書館」の巻末に掲載するのではありますが・・・。ああ、あと何年生きられるのだろう・・。自分には時間がないのではないか。そう思うと若い方々に期待するしかありません。このプロジェクトを是非とも成功させ、若い方々が集まることのできるきっかけにしたいと願っています。

 

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