プロジェクト概要

要介護になっても海外行きを諦めず、絵を描き続けた佐藤美智子先生。

約50年の制作活動の集大成となる個展を教え子たちの手で開催したい!

 

はじめまして。相川浩之と申します。佐藤美智子先生には、高校時代、美術を教わっていました。先生は、毎年1月の初旬から中旬にかけて、東京・有楽町のギャラリー日比谷で個展を開かれています。そこをふらっと訪れるのが、新年の楽しみになっていました。先生は、1964年の第1回個展以降、ほぼ50年にわたり、毎年、欠かさず、個展を開いていました。

 

先生は79歳と高齢で、一昨年、脚立から落ちて骨折、要介護状態になりました。普通は、入院するのでしょうが、海外取材を諦め切れず、松葉杖での取材に出かけました。しかし、来年1月の50回目の個展の取材のためブータン行きを計画したところ、旅行会社に単独でのツアー参加を断られてしまい、節目の個展は開けないという状況になりました。180を超える国と地域を回り、その地に立って、民族の歴史や文化を肌で感じ、絵を描いてきた先生。最後に行きたかった国で取材し、50回展を飾るという目論見は消えてしまったのです。 そこで、都立富士高校の教え子たちが立ち上がりました。できるかどうか、わからないけれど、「佐藤美智子の50回目の集大成展を開催しよう、と。

 

個展開催費用は先生が「全額出す」とおっしゃっていますが、総費用は少なく見積もっても300万円かかります。会場運営などの人手は教え子たちのボランティアで賄うつもりですが、作品集を制作する費用も教え子で支援できないかという話になりました。1000冊で100万円の予算。今回、美術展を開くために自宅兼アトリエを探索したところ、これまで埋もれていた20代、30代の作品も見つかりましたので、とてもいい作品集になりそうです。佐藤先生の画家人生の軌跡を残すためにも作品集を作りたい。大勢の教え子が金銭面で応援することも、大変意義があると考え、クラウドファンディングでご協力をお願いすることにしました。

 

 

 

佐藤先生の自由な空気感が心地よく、個展にも顔を出すように

 

高校時代の佐藤先生は異彩を放っていました。まげを結った独自の髪型。鮮やかな紫色の服をいつも着ていて、口の悪い生徒は「紫ババア」などと陰口をたたいていました。当時、私は絵がうまかったわけでもなく、他の科目と同様、劣等生の部類だったのですが、いま、思うと一般の「先生」にありがちな押し付けがましさはなく、自由に楽しく授業を受けていた気がします。

 

「表現技法」を研究する課題を与えられ、円谷プロ制作の「ウルトラQ」のオープニング画面のような表現を墨と水を使って作った記憶もあります。その後、友人に誘われて、個展をふらっと訪ね、それから毎年、足を運ぶようになったのは、そんな先生の「自由な空気感」が気持ちよかったからかもしれません。今思えば、教師の仕事だけに甘んじるのではなく、ライフワークをとして世界を飛び回っていた佐藤先生。生き方にも共鳴していたのでしょう。

 

今年1月は、最終日にギャラリー日比谷に足を運びました。

 

 

 

 

デビュー作の「末人の海」(太平洋美術展で文部大臣賞を受賞)も54年ぶりに展示されるなど、充実した49回展でした。昨年1月に訪れたカリブ海の9カ国と、先生がどうしても行きたかったという、「ヨーロッパで唯一未踏の地」、ポーランドで取材した、海辺で遊ぶ子供たち、妖精やマドンナの絵が展示されていました。

 

 

私は「なぜか目が合った(笑)1枚の絵が気になって、初めて、先生の絵を購入しました。グダニスク・オリーヴァ大聖堂の「ケースに納まるマドンナ」。しかし、この絵が、先生の49回に及ぶ個展で買われた、最後の絵になるとは思いませんでした。

 

 

 

来年1月は節目の50回展。みんなで盛大に祝おう!そう思っていました。

 

ところが、佐藤先生は49回展を最後に個展をお終いにするとおっしゃるのです。理由を聞くと、ブータン行きを計画したものの、高地で空気が薄いなどの悪条件もあるため、旅行会社に単独でのツアー参加を断られてしまったというのです。

 

先生は79歳と高齢ですが、一昨年脚立から落ちて骨折し、要介護2になったにもかかわらず、入院せずに海外取材を続けるという “武勇伝”もあります。でも、このあたりが限界と、先生も思われたようです。

 

このままでは、50回の節目の個展は開けない、というところで、都立富士高校の教え子たちが立ち上がりました。先生の約50年に及ぶ作家活動の集大成展を「50回展」として開こう、というのです。

 

 

 

50回目の個展を断念していた先生も「運命を感じる」と乗り気に

 

個展開催が可能な美術館を探し、先生のお住まいになっている川崎市の美術館、アートガーデンかわさき(川崎市川崎区駅前本町12−1)で12月にキャンセルが出たという情報をキャッチしました。

 

先生は「運命を感じる」とおっしゃり、乗り気に。先生のギャラリーでの個展開催をずっと手伝ってきた卒業生の女性を中心に、数人が結束、プロジェクトチームを作り、12月16日から27日まで、開催することを決めました。

 

美術展は「佐藤美智子50年展」と命名。130号と言われる大型の作品数十展を3室を使って展示。フランスで展覧会を行った仏教絵画の作品も並べる予定です。

 

美術展をイメージするのはだれでもできますが、プロジェクトメンバーに美術展のプロがいるわけではなく、美術展を開くことを決めてから開催まで半年くらいしかないというタイトなスケジュール。プロジェクトチームのなかには「本当に素人に美術展が開けるの?」という心配も正直あったようです。

 

しかし、不安は「面白い美術展になりそう」という確信に変わってきています。9月7日の先生のご自宅兼アトリエでの埋もれた作品の「発掘作業」を行い、先生の作風が大きく変わる20代、30代の作品が多数見つかったのです。

 

 

主要な作品が揃い、作品集の撮影もできました。

 

 

 

佐藤美智子先生の作品が再評価されるきっかけを

 

今回の美術展を機に、改めて佐藤美智子という画家の作品が再評価されることを願い、プロジェクトチームは、それぞれの仕事の傍ら、美術展開催の準備を進めていきます。

 

先生は50年間も、ほぼ欠かさずに、美術展を開催。教師時代は春休みと夏休みに世界各国を回りました。いまは戦争やテロのために足を踏み入れることができなくなった砂漠や山岳地帯にも立ち、絵を描き続けた佐藤美智子先生の画業を改めて世に問いたい、という思いもあります。

 

佐藤先生のインタビューは都立富士高校の同窓会組織「若竹会」のホームページに掲載しましたので、こちらもご覧ください。

 

http://www.fuji-daigo-wakatakekai.org/report#post147

 

「今後、同窓生を中心に、関係者に“手作り美術展”の開催、運営への協力を呼びかけたい」と彼らは話しています。そうした彼らの思いを受けとめ、私は、同窓会「若竹会」の関係者の一人として、今回の美術展の広報宣伝や同窓生らへの協力呼びかけを手伝うことにしました。

 

開催費用は先生が「全額出す」とおっしゃっていますが、作品集やポストカードの制作費など、経費の一部を、皆様に出していただくという「資金面での協力」もお願いしたいと考え、クラウドファンディングを始めることにしました。作品集の制作費が、1000部で、ほぼ100万円の計算です。

 

先生が都立富士高校で教鞭をとる前に赴任した駒込中学校、後に赴任した都立千歳丘高校の卒業生だけでなく、先生のお住まいになる川崎市の市民、ひいては、日本中の美術愛好者の方々にも呼びかけたいと思っています。どうか応援をお願いします。

 


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