支援総額
目標金額 870,000円
- 支援者
- 90人
- 募集終了日
- 2015年3月19日
あの夏、私はガザにいた①
みなさん、こんばんは。パレスチナ・アマルの北村です。
今回はガザの友人からの言葉を受け、私が見たガザの姿を描くことにいたします。
それは2001年8月、第二次インティファーダ中のガザのことでした。インティファーダとは民衆蜂起、つまり住民による抵抗運動のことです。
NGOのミッションを携えガザに訪れた私は、必然的に紛争の只中に置かれました。
第二次インティファーダがはじまる前に訪れた時は、人々は憤懣とした思いを腹の中に収めながらも表面上は穏やかに生活をしているように見えました。
しかし、それが一気に噴出して、みんなイライラしており、一触即発のピリピリした空気が街中に漂っていました。
セルビス(乗り合いタクシー)に乗っている私を見ると、外国人に対する憎しみをむきだしにして、ツバを吐いたり、窓を叩いてくる人もいました。
そこで私はある家族と出会い、その家に泊めてもらうことになりました。宿泊予定のホテルには、いつイスラエルの攻撃をうけるかわからないから、だれも泊まっていないのだ、ということでした。
外国人の私を泊めてくれるだなんて、今考えても、とても勇気のいることだったのではないかと思います。
その家の長男さんが、イスラエルの入植地近くにある破壊された家々まで連れて行ってくれました。
彼らの生活は瓦礫と化していました。その石屑やセメントの塊を踏みしめ、長男さんがどんどんと先を行きます。だけど私は、足を踏み出すのをためらいました。
だって、それはもともと石屑でもセメントの塊でもなかったはずです。彼らの生活の礎であり、かつては家族団らんの一部であったはず。そう思いを巡らすと、その瓦礫の山が巨大なお墓のように思えました。
その前で私は、しばし立ち尽くすしかありませんでした。
そんな瓦礫のなかでも、子供たちがスカートをひるがえして遊んでいました。
カメラを向けるとピースサイン。リアルに感じざるを得ないその意味の重さ。
目の前にある光景が、現実としての深遠をまるで失っていました。
テレビや映画を見ているようで、そのスクリーンの中にいるはずなのに、それを遠巻きに眺めているような心もちでした。
しかし、それがガザの現状で、もちろんそれだけでもありませんでした。
(つづく)
* * * * *
パレスチナの最後の織物を守るためのプロジェクト。このままREADYFOR?のトップページに掲載され、このような織物があるのだと広く知って頂ければ幸いです。
情報拡散にご協力いただければうれしいです。いつも、ご支援・ご協力を頂きまして、ありがとうございます。
パレスチナ・アマル
リターン
3,000円
■みなさまからのご支援で完成させるブランドブック(非売品。A5サイズ・約16ページを予定)
■現地の写真家が撮影した写真で作るサンクスカード
■アマル通信(報告書)
- 支援者
- 52人
- 在庫数
- 制限なし
10,000円
3,000円の引換券に加えて、
■現地の女性たちが作ったパレスチナ刺繍の小物製品
*色やデザインはこちらで選ばさせて頂きます。お楽しみに。
- 支援者
- 26人
- 在庫数
- 74
20,000円
3,000円の引換券に加えて、
■パレスチナ写真集「PALESTINE -CHILDREN OF BIL'IN-」
*流通などの問題により、他のパレスチナにちなんだ本になることもございます。予めご了承下さいませ。
- 支援者
- 2人
- 在庫数
- 8
30,000円
3,000円の引換券に加えて、
■カラーの「ラスト・カフィーヤ」1枚
*色柄はこちらで選ばさせていただきます。お楽しみに。
- 支援者
- 10人
- 在庫数
- 20
50,000円
3,000円の引換券に加えて、
■カラーの「ラスト・カフィーヤ」1枚
色柄についてはプロジェクト成立後メールにてご相談させてください
- 支援者
- 2人
- 在庫数
- 13
100,000円
3,000円の引換券に加えて、
■白×黒のパレスチナオリジナル「ラスト・カフィーヤ」1枚
■カラーの「ラスト・カフィーヤ」1枚
色柄についてはプロジェクト成立後メールにてご相談させてください
- 支援者
- 1人
- 在庫数
- 4