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紅花は、古代エジプトのナイル川流域が原産地と言われています。

シルクロードをラクダの背にゆられ、中国・朝鮮へと渡り、

七世紀初めごろ日本へもたらされました。

山形で紅花栽培が始まったのは室町時代末頃で、

最上川河畔の肥沃で広大な土地は、

紅花の生育に最適な条件を備えており、河北町もその一つでした。

また、河北町での栽培に加え、近郷からも紅花を買い集め、

口紅や紅染めの原料となる“紅餅”に加工し、

最上川舟運を使って酒田経由で京都に送りました。

 

具体的な輸送ルートは、

まず羽州街道を大石田河岸まで駄送し、

ここから酒田まで最上川の舟運に託します。

酒田からは積合問屋の手を経て海路敦賀に送り、ここから再び駄送。

さらに琵琶湖を渡して大津へ着け、京都方面の紅花問屋に到達しました。

酒田港から敦賀港までは、天気が順調な場合は十日足らず、

大方二週間前後で入港できました。

 

江戸時代、紅花は「紅一匁金一匁」といわれ、

紅花を摘む農家の娘たちとは無縁のものでした。

実際に紅花から採れる口紅用の紅は、生花のわずか0.3%程度。

 

そんな高価な紅花ですので、海上輸送上で破船した場合、

荷主にとってその損失は大きいものでした。そこで、

酒田の積合問屋では紅花をなるべく多くの船に分載する工夫がなされました。

 

紅花商人たちの商い方法は、

山形から京へ紅花を出荷し、京からの帰り荷として古着などを持ち帰り、

各地で広く商いました。

行きで儲け、帰りでも儲けるので、“ノコギリ商売”と呼ばれたそうです。

このように、山形市と並び紅花荷主問屋が多かった河北町では、

“紅花大尽”と称される豪商が輩出されました。

 

中世末期から明治初期に至るまで、常に全国生産額の過半を占め、

「最上紅花」として名声を高めた紅花は、県を代表する花となっております。

 

 

河北町には、全国でもめずらしい紅花資料館があります。

申込制ですが紅花染めも体験できます。

昨年6月18日には、天皇皇后両陛下の行幸啓を賜りました。

ここは、地方きっての豪商であった堀米四郎兵衛家の屋敷跡で、

享保雛を展示するなど、京都との往時の交易の様子を知ることができます。

山形にお越しの際は、ぜひお立ち寄りください。

http://www.benibananosato.jp/kahoku/benibanashiryoukan/

 

以上、私たちの町を語る時に、絶対に欠かすことのできない

“紅花”をご紹介させていただきました。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

 

永昌寺・副住職 布川浩久

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