プロジェクト概要

山形県西村山郡河北町の永昌寺・副住職の布川浩久と、地域文化財の修復や保護の支援を行っている「文化財マネージメント」代表の宮本晶朗です。私たちは、永昌寺に安置されている「木造十六羅漢像」のうちの1体を修復するために、協働でプロジェクトを行っています。このたび、皆様のご支援により目標金額の83万円を達成することができました。 次の目標は143万円です。

 

16体で1セットの十六羅漢のうち、最初に修復を予定していたのは「第三 迦諾迦跋釐堕闍(かなかばりだじゃ)尊者」ですが、他の15体も修復できる日を待っています。そのため、次の目標として「第七 迦理迦(かりか)尊者」もあわせて修復したいと考えています。この「第七 迦理迦尊者」が座っている台座の内側には「七条左京」と墨書きがあり、この発見によって像を制作した仏師が京都の仏像工房「七条仏所」の「康朝」であろうことが判明しました。

 

修復予定の第七 迦理迦(かりか)尊者

 

そのため、永昌寺の十六羅漢像の中で重要度の高い像といえます。143万円あれば、「第三 迦諾迦跋釐堕闍尊者」と「第七 迦理迦尊者」の2体をこの機会に修復することができます。 損傷の状態についは、「第七 迦理迦尊者」も経年劣化によって表面に塗られた漆や絵具の層に大きく亀裂が入り、剥がれ始めています。

 

経年劣化によって表面に塗られた漆や絵具の層に大きく入った亀裂

 

加えて、右手に持っている「柄香炉」という柄の付いた香炉の香炉部分が失われています。具体的な修復内容は主に、漆・絵具層の剥落止めと表面汚れのクリーニングとします。失われている香炉部分については、復元的に新たに作ることも可能ですが、今後の損傷につながるものではなく、また重要度の高いものでないため見送ります。

 

なお、143万円まで達成できなった場合は「第七 迦理迦尊者」の修復はできませんが、それに代わり、十六羅漢像が安置されている須弥壇付近の「環境整備費」に当てたいと思います。環境整備というのは、今回のような文化財ができるだけ損傷しないような環境を作っていくことを指します。

 

そのために、文化財が損傷する原因となる様々な要素を取り除きます。たとえば、仏像や須弥壇に積もっている埃を払ったり、湿気を取ったり、虫やネズミが近づかないようにしたりします。環境整備にも専門知識と技術が必要となるため、修復作業と同様に修復家に行ってもらいます。 次なるゴール143万円を達成できますよう、改めて皆様からのご協力がいただければ幸いです。

 

 

山形県河北町・永昌寺に安置されている、江戸時代に制作された「十六羅漢像」の損傷を修復!貴重な文化財を後世に遺します!

 

はじめまして!山形県西村山郡河北町の永昌寺・副住職の布川浩久と、地域文化財の修復や保護の支援を行っている「文化財マネージメント」代表の宮本晶朗です。永昌寺は、永禄年間(1558~1570年)に開かれた曹洞宗の寺院で、県指定文化財の「木造聖観音菩薩坐像」などの貴重な文化財を有しています。

 

永昌寺の本堂と庫裏

 

 

県指定文化財「木造聖観音菩薩坐像」鎌倉時代後期

 

 

布川は、人口2万人弱で過疎高齢化が進む河北町で、永昌寺の管理だけでなく、地域の仏教文化や文化財の掘り起こしや保護活動を行っています。宮本は以前、山形県内で学芸員として勤務し、文化財の展覧会・調査・保護活動を行ってきました。そうした活動の中で布川副住職や永昌寺の文化財と出会い、今回協働して、損傷が激しい「木造十六羅漢像」を修復するプロジェクトを立ち上げました。

 

修復をきっかけに文化財に興味を持ってもらえるよう、仏像修復家による「公開修復」を行いたいと思っています!文化財を修復し、遺していくためにも、皆さまのご協力をどうぞよろしくお願いします!

 

釈迦三尊像と十六羅漢像

 

 

山形県河北町・永昌寺に安置されている、鎌倉時代には運慶らも活躍した仏像工房で江戸時代に制作された「十六羅漢像」の損傷を修復します!

 

布川が副住職を務める永昌寺には、仏像である「木造十六羅漢像」があります。「十六羅漢」とは釈迦の弟子で、特に優れた代表的な16人の弟子のことです。木造十六羅漢像は、これを仏像彫刻として表した16体で1セットの群像です。

 

釈迦三尊像と十六羅漢像

 

 

江戸時代に造られた永昌寺の十六羅漢像は、経年劣化によって表面に塗られた漆や絵具の層に大きく亀裂が入り、剥がれ始めているなど、かなり損傷が進んだ状態になっています。このまま放置をすると、漆や絵具の層を失いかねません。16体すべてがそういった損傷状態ですが、今回のプロジェクトでは、その中でも特に状態の悪い1体、「第三 迦諾迦跋釐堕闍(かなかばりだじゃ)尊者」(像高 約65cm)を修復を行いたいと思います。

 

十六羅漢のうちの1体 「第三 迦諾迦跋釐堕闍尊者」

 

 

表面に塗られた漆や絵具の層に大きな亀裂が入り、剥がれかけている

 

仏像などの文化財の修復には、高い技術と専門性が必要です。そこで、文化財修復の専門家である木製彫刻文化財保存修復研究所・代表の岡田靖さんに、修復処置をお願いします。具体的な修復内容は主に、漆・絵具層の剥落止めと表面汚れのクリーニングです。今回は、地域の方々にこの十六羅漢像のことをもっと知ってもらいたいという想いや、文化財修復に関心を持ってもらう目的から、永昌寺内において「公開修復」を行います。

 

表面に塗られた漆や絵具の層に大きな亀裂が入り、剥がれかけている

 

 

修復する仏像の歴史的価値(※ややマニアックな話になります)

 

2014年に、木製彫刻文化財保存修復研究所の代表を現在務める岡田靖さんに永昌寺の「十六羅漢像」を調査してもらったところ、仏像が座っている台座内側に「七条左京」と墨書きがありました。これは、京都の仏像工房である「七条仏所」の仏師によって造られたことを意味しています。

 

永昌寺では十六羅漢像が造られたのは江戸時代の文化年間(1804~1818年)頃と伝わっていることなどから総合的に考えると、七条仏所の31代「康朝」のことであると思われます。

 

七条仏所は、鎌倉時代には皆さんご存知の「運慶」を始めとした慶派が活躍していた最高ブランドを誇る仏像工房です。七条仏所は、江戸時代初めには日光東照宮の仏像の数々など江戸幕府の仕事にも多く携わりますが、江戸時代末期には完全に衰退し、残念ながら途絶えてしまいます。

 

康朝らが活躍した江戸時代後期の七条仏所は、鎌倉時代ほどのブランド力はないものの、それでも「最も正統で、最も高い技術を誇る工房」という認識は失われていませんでしたし、永昌寺の十六羅漢像を造ったと考えらえる康朝は、同時代では最高峰の仏師であったことでしょう。

 

実際、永昌寺の十六羅漢像を見てみると、特に顔の写実的な表現の的確さは群を抜いたものがあり、鎌倉時代の写実的な仏像彫刻の技術を七条仏所が脈々と保持してきたのであろうことが想像できます。当時、これほどの写実性を表せる仏師はほとんどいなかったでしょう。京都から遠く離れた山形の寺院が、こうしたレベルの仏師に仏像制作を依頼するのは簡単なことではなかったはずです。

 

高い写実的表現

 

 

ここで注目したのが江戸時代の最上川舟運の発達です。山形では江戸時代に最上川を使った舟運が発達し、日本海側から大阪や京都などの上方や江戸への運輸が活発になります。山形からは高価な特産品である紅花などが大阪や京都に運ばれて莫大な富を生み、同時に大阪や京都の物や文化が山形に流入しました。

 

河北町の谷地船場では早くから「御城米(ごじょうまい)」といわれる年貢米を最上川を通じて輸送しており、永昌寺の本堂を寄進した豪農・和田兵左衛門もこうした御城米を取り扱っていました。

 

天保13年(1842年)以降は紅花なども谷地船場から輸送できるようになり、河北町の物流は非常に発展しました。こうして得られた富と人的・文化的な交流が、康朝のような名高い京都の仏師に仏像制作を依頼する契機となった、というようなことが推察されます。

 

河北町沢畑山からの風景。左奥に最上川が流れ、手前に町が広がる。

 

 

また、ごく最近の調査・研究によって、山形県内に七条仏所の仏師が造った仏像がいくつか発見されています。同じ河北町の長谷寺には康朝らの十六羅漢像、米沢市龍泉寺には康朝らの十六羅漢像、白鷹町には康朝の弟子である福地善慶の大日如来坐像が確認されているなど、七条仏所やその一門の仏師が山形県内で盛んに活動した痕跡を見ることができます。永昌寺の十六羅漢像を含め、仏像は京都で造られて山形に運ばれたと考えられる一方、康朝自身が山形に来て制作したようなことも考えられます。

 

 

山形と京都との文化的交流のあかしである仏像を、後世に遺したい。

 

いずれにしても永昌寺の十六羅漢像は、江戸時代後期の山形と京都との文化的交流などを示す貴重な文化財であるといえます。また、仏像彫刻史においては江戸時代の仏像の研究も近年進んできており、それに伴って今後増々評価されていく仏像と考えています。

 

このように大変貴重な文化財である十六羅漢像でありますが、経年劣化による損傷がかなり進んでいることが判明したので、失われていくことを少しでも防ぐために、一刻も早く修復をして後世に遺していけるようにしたいと思っています。

 

 

皆さまからいただいたご支援金の使い道について

 

今回ご支援いただきた金額は、「十六羅漢像」の中でも特に状態の悪い1体、「第三 迦諾迦跋釐堕闍(かなかばりだじゃ)尊者」の修復費に充てさせていただこうと思っています。

 

永昌寺にはもちろん檀家様もいらっしゃいますが、2013年に仏像や位牌を護るために本堂・庫裏・開山堂の屋根改修工事を行った関係で、どうしても十六羅漢像の修復にまで資金が至らないという現状があります。

 

また、仏像は「地域の文化財」といった側面がありながら、国宝、重要文化財、県指定文化財といった「指定文化財」といわれるものを除いて、修復費が国や自治体の補助金で賄われることはありません。仏像は宗教に関わるものであるため、政教分離の原則が適用されてしまうからです。こうした制度上の問題からも、我々としてはクラウドファンディングを通して、ぜひ皆さまのお力をお借りしたいと思っています。

 

 

最後に・・・

 

損傷してしまっている「十六羅漢像」が修復され、将来にわたって安心して遺していける状態になることで、まずは永昌寺の檀家様や参拝者の方々に健全な状態になった十六羅漢像をお見せできるでしょう。

 

またこのプロジェクトを通じて、河北町や山形の人々に、十六羅漢像が大変貴重な文化財であることを知ってもらい、それを修復して遺していくことが、そのまま地域の歴史文化を遺すことに繋がることも伝えられればと思います。遺すことはできても、同じものを新たに造ることはできないのです。

 

地域に残る貴重な文化財を守るため、遺していくため、皆さまのお力をお借りできたら嬉しいです。

 

最後に仏教的な観点から。

クラウドファンディングのように、多くの人々から仏像や寺院の修復費を募ることを、古典的には「勧進」といいます。仏像修復勧進は、仏像を修復することだけが目的ではなく、仏縁を結ぶことを通して、皆様に仏心に目覚めていただくことも目的です。そのために、勧進を修行させていただきます。

 

・永昌寺 http://eishoji.info/

・文化財マネージメント http://bunkazai-mgt.jp/

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇ リターンについて ◆◇◆◇◆◇◆◇

ご支援いただきました皆さまには、お礼に以下のリターンをお送りします。

 

■ 奉加証明書

「奉加」とは神仏に金品を寄進することで、その証明書を墨書きなどで制作します。

 

■ 十六羅漢ポストカード

今回修復する「迦諾迦跋釐堕闍(かなかばりだじゃ)尊者」2枚、十六羅漢群像1枚、本尊の「聖観音菩薩坐像」(県指定文化財)1枚、の4枚セットポストカードです。

 

■ 修復報告書

「迦諾迦跋釐堕闍(かなかばりだじゃ)尊者」を修復する工程の画像や説明、像の前後左右の画像などが掲載された修復報告書。通常の仏像鑑賞や拝観ではなかなか見ることのできない情報です。

 

■ 支援者様のお名前が書いた木札を仏像台座内に納入

「迦諾迦跋釐堕闍(かなかばりだじゃ)尊者」が座っている台座内に、支援者様のお名前を書いた木札を納入し、仏像とともに後世まで安置します。支援者様のお名前は永昌寺で墨書きします。

 

(この台座内にお名前を書いた木札を納めます)

 

■十六羅漢オリジナル手ぬぐい

「迦諾迦跋釐堕闍(かなかばりだじゃ)尊者」をデザインしたオリジナルの手ぬぐいです。

 

■ 御城米(十六羅漢オリジナルパッケージ)

御城米(ごじょうまい)とは江戸時代の年貢米のことで、永昌寺周辺でも作られてきました。そこで、この地で現在作られている米を御城米とみなし、支援者様にお届けします。品種としては「つや姫」で、量は3kgです。「迦諾迦跋釐堕闍(かなかばりだじゃ)尊者」をデザインしたオリジナルパッケージです。

 

■ 日本酒(十六羅漢オリジナルラベル)

永昌寺の筆頭総代である和田酒造で生産された、日本酒「出羽燦々 純米吟醸 あら玉」720ml。「迦諾迦跋釐堕闍(かなかばりだじゃ)尊者」をデザインしたオリジナルラベルです。

 

■ スリッパ(山形エクセレントデザイン)

河北町では古くから日本有数の草履の産地として知られていました。現在はその草履作りの伝統を活かして、スリッパが特産品となっています。今回リターンとするのは、「山形エクセレントデザイン2011・エクセレントデザイン大賞」を受賞した阿部産業の「HAKAMA JITATE リゾート・スリッパ」です。

 

 

■ 河北町の名所旧跡ツアー

永昌寺副住職による、河北町およびその周辺のツアー。普段はなかなか立ち入りにくい寺院の参拝や文化財見学、酒蔵見学、特産品の紅花染め体験など、ご希望に応じた半日ほどのツアーです。ご希望の日程をご予約ください。なお、山形までの交通費や宿泊費は支援者様のご負担となります。

 

 


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