分科会報告~リーダーシップ分科会~

最終報告会に来れなかった、という方にも京論壇の議論を紹介したいと思い、分科会の議論を紹介したいと思います。

 

第一回はリーダーシップ分科会。

抽象的かつ様々な切り口から議論が出来るだけに、議論の構成や言葉選びに慎重になった分科会です。

 

 

分科会メンバーから議論を紹介してもらいました。

 

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私達はそれぞれの国のビジネスにおけるリーダー・国内政治におけるリーダーの相違点について議論しました。

 

私達は議論の最初にそれぞれの政治的リーダーの特徴について知るため、東大側・北京大側に分かれてそれぞれの国の政治的リーダーの特徴を五つの単語にまとめました。北京大側から出てきた単語の中で、彼らがその後も繰り返し強調する言葉がありました。それが"undeniable"(「否定できない」)という言葉でした。

 

この言葉から、強圧的なリーダー像を想像する方もいらっしゃるでしょうか。しかし、彼らの言うundeniableには二つの意味、即ちpowerfulとtrustworthyの意味が含まれるというのです。powerfulとは強力なイメージを持つこと、「反論が難しいこと」であり、trustworthyは言ったことを必ず達成するということだそうです。

 

中国の政治的リーダーは議会の多数派の党首である日本のリーダーと異なり、国民による直接選挙を経て地位が変わるわけではないので票を得るために国民に対し約束(公約)をする必要がありません。そのため彼らは本当に実行可能なことしか約束せず、彼らの言うことのすべては政策に基づくのです。

 

 

彼らはスピーチ(講話と言って、民衆の前ではなく部屋の中で関係者に向けて行うもの)を時々行いますが、それは多くの政府関係者が練ったうえで発表され、新聞に載るものもあります。何らかの政策についてスピーチがなされる時にはその政策はある程度実行可能性とそのための基盤があるとみなされ、またリーダーのスピーチを元にした政策は地方レベルで具体化し実行に移されることが多いため、人々は未来の政策のヒントを読み取って今度の行動を考えようと強い注意・関心を向けます。 

 

ここで東大側には疑問が生まれました。いくらリーダーがよく練られ準備万端な政策しか発表しないといえども、政策がうまくいかないこともあります。その時でさえも人々はリーダーをtrustworthyな人として見るのでしょうか。

 

北京大側によると、ここ10年以内に誤りだったとされる政策もありましたが、その結果政治的リーダーが責められたわけではないそうです。理由は二つあって、一つ目は政治的決定が集団的になされるので個人に責任を帰そうと思えないから。二つ目は人々が誤りを自然に受け入れるからだそうです。どうやら中国では、日本よりもリーダーの誤りに対する寛容度が高いようです。リーダーが誤りを犯しても、日本のように別の人に取って代わらせようとはしません。仮にリーダーを責める場合があったとしても、それは彼の今後の改善を期待してのことだそうです。

 

ビジネスリーダーについて議論していた時もこれと少し似た話がありました。会社が不祥事を起こした時、日本ではリーダー(社長、会長など)が辞任することがしばしばあります。しかし北京大側は「新しい人は前のリーダーより能力の劣る人なのではないのか?」という疑問を投げかけてきました。この二つの議論で共通して言えるのは、東大側はリーダーを変えたらより良いリーダーになると思っている(少なくともそう信じようとしている)一方、北京大側はその逆のことを思っているということです。私は面白い発見をしたと思いました。

 

しかし、少なくとも政治的リーダーに関しては、北京大側は自分たちで失敗したリーダーを辞めさせたり、新しいリーダーを選んだりすることができないからこそリーダーに期待することしかできないのではないか、という声も東大・北京大両側で上がりました。ただ北京大側によると彼らがリーダーを変えたくないと考えている理由には、歴史的原因のためstabilityを重視していることと、最近の共産党の経済政策をある程度評価していることも挙げられるそうです。

 

このように、日中間でリーダー観の違いがあってもそれがシステムに由来するものかより根本的なもの(文化、個人の考え)に由来するものか判断するのが難しい時もありました。

 

リーダーの特徴を表す言葉の話に戻ると、東大側が選んだpatrioticという言葉に対しても北京大側から驚きの声が上がりました。日本では、特に自民党出身の首相が靖国神社に参拝するなど、patrioticと言われるリーダーが目立ちます。

 

しかし、中国側としては政治的リーダーはnaturally patrioticな存在なのだそうです。中国では国を愛し国のために働こうと思うと、政治家になるしかその思いの実現手段がないからだそうです。彼らの話を聞いているうちに気づくことがありました。日本ではpatriotism(愛国主義)とnationalism(国家主義、民族主義、ナショナリズム)がしばしば混同されるということです。おそらく日中戦争・第二次世界大戦中にこの二つが同一視されていたことが原因なのでしょう。

 

しかし、中国ではpatriotism(愛国主義)は国家への愛と貢献を表すポジティブな言葉である一方、nationalism(民族主義)は自分のnation(国家・民族)、歴史、文化が他のものより優れているとしてネガティブ・アグレッシブな意味で用いられるのだそうです。北京大生はnationalismは暴走しやすく例えば反日デモの際の日本車破壊のような非理性的な行動を生むとして批判的に見ていました。

 

この時の会話からも読み取れましたが、北京大生は一般民衆に対し複雑な感情を抱いていました。「現在の中国では農村部の人々の声が反映されることが少なく、利害が十分に代表されていないのでは」と東大側が訪ねた時、北京大生側は現状は感情的には間違っていると思うがある程度仕方ないとしつつも、改善の方法としては党内で監視システムを強化する方が日本のような多数決原理(具体的には地方自治体、国政レベルの議会の選挙)の導入より優れていると言いました。

 

彼らの中には農村出身者もおり、また北京大生の多くは農村でボランティアをするので農村の実情を知っているそうです。だからこそ、彼らは農村部の人々は目先のことしか考えていない、政治のことを知らないと断言することができるのです。農村部にはless educatedどころかnon educatedな人もいるという現状は、日本とは大きく異なるものです。

 

 

中国の地域間格差について知っていたつもりではありましたが、肌感覚で理解している彼らの言葉には重みがありました。これこそが、彼らが現段階では日本のような選挙制度の導入が自国ではできないと考える理由なのです。ただ、彼らは教育水準の向上が見られればこの限りではないとも考えていたようには思います。

 

北京大生と議論を重ねるうちに両国間の政治制度・政治的リーダーシップの違いには合理的な理由があることを身を以て知りました。ですがそれでも、日本型の間接民主主義に馴染んでいる私は偏見があると捉えられかねない発言をしてしまうことがありました。その時北京大生に言われた言葉"Don't judge our system by your values."は鮮明に心に残りました。

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如何でしたでしょうか。
私たちの議論は、議論を通してお互いの事を知ると同時に、どうしても理解し合えない部分にぶち当たることもあります。
 
ですが、その壁すら共有する。
 
そのことに意義を感じています。
 
残り二つの分科会についても、ご紹介していくので是非ご覧ください。
 
 

 

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