2006、7年頃だったろうか。

浅草の千束通りを歩いていた時、僕と同じ星野さんという銅製の道具を商っている小さな店を見つけた。おろし金。薬缶。酒器。鍋…等々。店の裏手が自宅兼作業場で、何代目かとその息子さんがとんてんかんと作業している。間口一間の店には若干の小売の製品。そんな下町の職人の店。

最初におろし金を購入した。
僕も星野って言うんです。
そんな話をした。

次に四角い玉子焼き器を手にいれた。

何回めかに訪ねた時、片隅に奇妙な形の道具を発見した。

 

 

今川焼きでも焼くような小判形の蓋と取っ手のついた「赤(胴)」の代物。

 

「これなんですか?」

と星野父に尋ねる。

「あ、これね。神田にまつやって蕎麦屋があるんだけど、そこの玉子焼きの型は、うちで作っておろしているんだ」

「えええええ!」

神田まつやは僕が宇宙で一番好きな蕎麦屋である。というか、ここで蕎麦屋酒をすることが、僕にとっては全世界のどの場所よりも(もちろん僕の拙い経験の中で)好きな、酒を飲むシチュエーションなのだ!

 


「こ、これを譲ってもらえませんか!?」
「いやいや、あくまで神田まつやさんから受注して作っておろすだけなので…これはウチこんな仕事してますという見本みたいなものだから」

それからさらに話し込んで、というか粘りに粘ってこういう話になった。

「それじゃね、今納めてある道具のくたびれ加減次第なので、いつになるとはぜんぜん約束できないけど、次回にまつやさんから発注があった時に一個余分に作る、そんなことで良ければならなんとか出来るかも。急ぐの?」

 

当時まだ自分が飲食業に手を染めることになるなんて微塵も考えていなかった頃である。ただ自分は道具が好きなのだ。

急がないのでいつまでも待ちますと答えたのは言うまでもない。

 

 

一年七ヶ月が経過して自分でも忘れていた頃、浅草の星野さんから小樽の星野さんに電話がかかってきた。

 


「まつやさんから発注があったよ。まだいるのかい?」

 

 

神田まつやは、数年前に火事で全焼して今年復活した神田藪蕎麦の間近にある。
まつやと藪は東京神田江戸の蕎麦屋の双璧である。どちらも平日のお昼にスーツの紳士がお銚子を傾けている情景が見られる江戸の蕎麦屋の世界。

僕は日本の蕎麦屋の代名詞である神田藪蕎麦よりも「たかが、されど」の魅惑に満ちた神田まつやが好きでたまらない。

あの池波正太郎さんのエッセイや久保田万太郎さんの俳句にも登場する神田まつやの玉子焼き。前述した「平日昼からお銚子」の神田の蕎麦屋世界だけれど、それでも玉子焼きの昼時の注文に限っては、かまどを長い時間ふさいでしまうのでご法度である。

そういう断り書きを品書きに記している老舗の蕎麦屋もあるくらいだ。
神田まつやはというと、もはや玉子焼きは品書きにすら載せられていない。

つまりその存在を知らぬ人は注文することすらできない。
常連のみぞ知る秘密の?頼み方があるのだけれどここには書かない。

 

ずっと以前、神田まつやの相席当たり前の大きなテーブルにひとり座って、僕は蕎麦味噌とわさび芋と鳥わさで酒を飲んでいた。しばらくして僕の目の前にやはりひとりの客が促されて着席した。

偶然ながら彼も蕎麦味噌とわさび芋と鳥わさでぬる燗をちびちび始めた。
そこに僕の玉子焼きが運ばれてきた。彼はまつやには日の浅い客なのだろう。
僕の玉子焼きを見て顔色が変わり、改めて品書きを見直している。
 

僕は心でつぶやく。ごめんなさい。そこには書いてありません。
聞かれる。彼はきっと僕に尋ねてくる。彼は怪訝そうな顔で酒を飲んでいる。

ややしばらく時間が流れたのち、もうどうにも辛抱できない!そんな風情で彼はついに僕に話しかけてきた。

「あ、あの、それはどこに書いてあるのですか?」

僕よりもかなり年長者であるその紳士には大変申し訳なかったけれど、ここで僕が常連ヅラして玉子焼き注文の奥義を開陳すれば、店に少なからず迷惑をかけるし、同様の他の客人にも失礼になるので、僕は内心手を合わせながら質問には答えず、

「よかったら一緒にやりませんか」と言った。

それからしばらく見知らぬおじさんと二人、目の前にはそれぞれ同じ酒肴を並べ、真ん中のひとつの玉子焼きを両側からつつきながら、お銚子を差しつ差されつした。


 

 

小樽 嵐山新地の星の庵 風の色では、浅草の星野さんが作った銅製の型を用い、味付けは自分流にアレンジした玉子焼きを提供している。だから僕の店の品書きには、神田まつやに “捧げる” 玉子焼きと記されている。



 

 

 

 

 

 

 

 

 

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