盛り場の空地に町の活性化を牽引する語り場=隠れ酒場を建てる

盛り場の空地に町の活性化を牽引する語り場=隠れ酒場を建てる

支援総額

1,003,000

目標金額 650,000円

支援者
73人
募集終了日
2015年12月17日

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2015年12月08日 14:04

12風の物語3___なぜ三冷ホッピーなのか?後日譚

 

2007年の九月から十一月の母の入院期間中。そして母を小樽の施設に移送して以降、母が独り住いしていたマンションの売却が成立する2008年の春まで。

およそ八ヶ月間に渡って僕は小樽から神奈川県の横須賀に通い続けなければならなかった。その回数約二十回。

母が病院で転倒して大腿部頸部を骨折したショックで意識が混濁してしまったことがある。いよいよ母を小樽に移送するために迎えに行った時だった。飛行機に乗せるどころではなくなり、母の回復を日々待ちながら僕の滞在は二十日間にもなった。


京浜急行の横須賀中央駅から母の病院までの途上に、朝九時から営業している「大衆酒場もーり」があった。

 

さすがに飲んでから病院に行くことはなかったけれど、ほとんどが厳しい話ばかりの病院通いの帰り道、朝昼晩のあらゆる時間帯にもーりのカウンターに座った。

 

 

 

 

       

 

店主の寡黙が優しかった。
三冷ホッピー専用の金宮キンキン冷え冷えポットが僕を癒した。
 

 

2009年の四月に母が亡くなり、六月の納骨、2010年の一周忌、2011年の三回忌と横須賀中央駅を通り過ぎて三浦海岸にある両親の霊園を訪ねたけれど、親族の集まりだったので、行きも帰りも途中下車することは出来なかった。

 


同じく2011年の十一月。三の酉の日に僕は両親の墓参りに向かい、帰り道に横須賀中央駅を降りた。あろうことか大衆酒場もーりは半年前に廃業していた。

 

なんてことだ三回忌の頃にはまだ営業していたじゃないか!

また必ず訪ねて来い、母親を大事にしろ、
俺はきっとお前のことを忘れない。

そう言ってくれた店主の安否すらわからなかった。

飲み屋の親爺の消息を求めて身が引き千切られそうな気持ちになったのは初めての経験だった。

 


とある友人が見かねて、その人なりの方法で消息を当たってくれた。
雲をつかむようなお話がそう簡単に解決するはずは…。
そうして友人は行き着いた。なんと大衆酒場もーりの店主の息子さんだった。

インターネット上での人探しに応えて息子さんが名乗り出てくれた。
友人が息子さんから彼のメールアドレスを聞き出してくたので、そこからは僕が直接コンタクトを取った。

 


僕はメールで息子さんに、僕の2007年から2008年にかけての八ヶ月について話をした。母のこと、母の病気のこと、北海道小樽から横須賀に通い、大衆酒場もーりが道すがらにあったこと。お父さんの店に通い詰めたこと。それが計り知れないほど僕の救いや安らぎであったこと。

父上と三冷ホッピーに何度も何度も会いに行ったこと。

そして、最後の挨拶をした時に、とてつもなく優しく響く言葉を僕にくれたこと。

だから母の亡くなった2009年の暮れに、三冷ホッピーを飲ませる酒場を札幌の狸小路に開いたこと。ゆえにそれまでよりも忙しくなって、なかなかもーりを訪ねることができなくなり、ようやく訪れた2011年11月に店がなくなっていて死ぬほどショックを受けたこと。

以降ずっと父上の消息を探していたこと。

 

 

大衆酒場もーりの店主はちゃんとご存命だった。
縁起の悪い言い方だけど、それまで何の手がかりもなかった。
最悪のことばかり考えていた。

体を壊しはしたけれども、生命に別条はない。現在は静養している。

朝九時から夜十時までの店を、たったひとりで、休みなしにやる。ただそう決めてやり続けてきた。でも身体が言うことを聞かなくなった。決めたことが貫けないくらいなら、決まりを緩やかにして続けるよりも辞めるしかない。そう決断したという。
 

それからしばらくの間、息子さんとのメールのやりとりという形で、スキンヘッド店主とのコミュニケーションがとれた。

「父は星野さんのこと、よく覚えていましたよ。
 そんな風に思っていてくれたなんてとても嬉しいと」

僕は眼球の奥のあたりがつーんとして駄目になった。

何度目かのやりとりの後、僕は意を決して自分の希望をお父さんに伝えて欲しいと息子さんに言った。いつか、お茶を飲むだけでいい、そちらの都合のいい、言われた場所に出向くので、お父さんと少しだけお話がしたい。あの時のお礼も言いたい、と。

分かりました。父に伝えてみますね。とご子息。
しばらくして息子さんから返事が来た。

父に星野さんが会いたがっていることを話しました。
父はそこまで言ってくれるなんて本当に喜んでいました。
でも、父はこう言っています。本当にありがたい申し出だけれども、私たちはこのまま、あの時の店主とお客様のままで終わりましょうと。

僕は涙が止まらなかった。
あの、強面の、寡黙な、スキンヘッドの店主にふさわしい、とても正しい言葉だと妙に納得した。天晴れだと思った。感動した。

分かりましたと伝えてください。ありがとうございました。
それからご子息にメールも送っていない。


そのかわり、その後、年に一度あるかないかだけれど、三浦海岸の帰りに横須賀中央駅で下車して、かつて大衆酒場もーりがあった場所にしばしたたずみ、駅前の通称チューサカ(中央酒場/ここも三冷の聖地)に立ち寄って、スキンヘッドを想いながらホッピーか焼酎ハイボールをひっかけて帰るのを両親の墓参りの恒例にしている。








 

 

リターン

3,000


alt

お手軽支援コース

・サンクスレター

申込数
11
在庫数
制限なし
発送完了予定月
2016年2月

10,000


<自宅で風の色コース>

<自宅で風の色コース>

・サンクスレター
・お店に支援者のお名前を記載させていただきます。
・オリジナル吟醸酒 風の色の贈呈(※ 富良野の名店「くまげら」の森本店主との三十年のご縁で生まれた、店主の醸造プロデュースによる、弊店のみで賞味いただける稀少な吟醸酒です)

申込数
29
在庫数
制限なし
発送完了予定月
2016年2月

3,000


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お手軽支援コース

・サンクスレター

申込数
11
在庫数
制限なし
発送完了予定月
2016年2月

10,000


<自宅で風の色コース>

<自宅で風の色コース>

・サンクスレター
・お店に支援者のお名前を記載させていただきます。
・オリジナル吟醸酒 風の色の贈呈(※ 富良野の名店「くまげら」の森本店主との三十年のご縁で生まれた、店主の醸造プロデュースによる、弊店のみで賞味いただける稀少な吟醸酒です)

申込数
29
在庫数
制限なし
発送完了予定月
2016年2月
1 ~ 1/ 4

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