我々のくろがね四起は製造銘板が失われているための、製造年の特定は不可能と思われました。研究としては、故人である影山夙氏や五十嵐平達氏の優れたものがあり、昭和10年(1935年)に試作車両が作られ、これを影山氏が1型と称し、翌11年には先行量産型が240台程量産。これを2型と称します。昭和12年から4000台以上が量産され、一般にくろがね四起前期型と呼ばれます。これを影山氏が3型と称しました。昭和15年からは、ボディー形状やエンジン懸架方式などが大幅に変更された後期型の生産が始まり、これが4型と称されます。

 

 これだけの情報を元に、我々のくろがねの生産年を特定することは非常に困難で、昭和12年(1937年)~昭和14年(1939年)の間に生産された前期型(3型)としか判りませんでした。

 

 ここで、視察したロシア現存車と、昨年4月に大阪市立大学の坂上茂樹教授により 「日本内燃機 “くろがね” 軍用車両史95式“側車付”と“四起”の技術と歴史的背景」という、まさに我々のためにまとめて頂いた様な、論文をもとに、もう少し考察してみたいと思います。

 ロシアに現存する3台の前期型の内、2台は製造銘板が残っています。一台は修復済みのレン氏の車両で、昭和14年8月製造の車台番号3800号車(昭和13年度型)。

 

 もう一台は現在修復中のニコライ氏の緑色の車両で、昭和15年4月製造の車台番号4612号車(昭和14年度型)です。これらの確定情報を念等に、坂上教授の論文を読み進め、考察を進めます。


 我々のくろがねは、エンジンの燃料ポンプが機械式ですから、昭和12年度型は当たりません(12年度型までは電気式)。これにより、昭和13年度型と、14年度型のいずれかということになります。そこでこれらの識別点である、座席改造と制衝器(ショックアブソーバー)が気筒型に変更という点について考察します。

 

 まずは座席にどのような改造があったのか?とても気になるところですが、坂上教授によれば文章の文言以上の資料は無いとのことです。そうなると識別しようがありません。判らないものはスパっと諦めて、次の制衝器(ショックアブソーバー)に的を絞ります。

 我々のくろがねには、昭和13年度型まで使用されていたレバー型制衝器でではなく、気筒型の制衝器がついているので、14年度型と判断したいところですが…、経年変化で朽ちてた制衝器が工場生産時の物なのか?それとも戦後に部品不足で在り物流用で取り付け加工された物なのか?正直なところ判断がつきません。その理由は、レバー式制衝器取り付け用ねじ穴が、フレームの前後4箇所にしっかり残っているからです。

 ロシア視察で明らかになった事は、昭和13年型のレン氏のくろがねは、レバー式制衝器が付いていますが、何と気筒型制衝器の取付け金具も付いていること。そしてニコライ氏所有の修復中の昭和14年型くろがねにも、レバー式制衝器取付け穴と、気筒式制衝器取付け金具が両方確認出来ました。

 この点から推測すると、3型は昭和12年の量産当初より気筒型制衝器の導入が決まっていたと考えられますが、部品調達或いは製造コスト問題などで当初レバー式制衝器で工場出荷、昭和14年10月の生産から気筒型制衝器で工場から出荷されたことになります。日本内燃機はボディーやフレームは完全社外注だったので、仕様変更に何時でも対応できるように両方の型式対応できる仕様となり、後世混乱を招く事になってしまったと考えられるのです。

 

 その証左として、日本内燃機で内製されていた後部車軸には、昭和14年型から気筒型制衝器取付け専用金具が溶接されていますが、それ以前にはレバー式制衝器取付け金具が溶接されており、両者は互換性がありません。

 レン氏のくろがね。レバー式制衝器の逃げが燃料タンク上面に確認出来ます。工場出荷時に、レバー式制衝器が取り付けられていたと考えられます。

 

 

 こちらは我々のくろがねの燃料タンク。タンク上面が平らで、フレームはレバー式ショックの取り付け穴があっても、タンクに干渉するために円筒形制衝器しか取り付けできません。

 

 以上の考察から、我々のくろがねは昭和14年10月~昭和15年7月までの間に製造された昭和14年度型(車台番号4054~5571号)であると判明しました。ニコライ氏の4612号車と同じ生産時期ということになります。

 

 断片的な情報を繋ぎあわせて、正しい答えを導き、往時の姿に正しく修復することがレストアの醍醐味でもあり、とても大切な作業工程と言えます。

 

 実行者:小林 雅彦