太平洋戦争の敗戦時には軍人・民間人計660万人以上が海外に在住していたとされます。

 

戦後の1945年10月ごろから、引揚者が順次日本に帰国し、46年末には500万人にのぼりました。

 

当時、北は小樽港から南は鹿児島港までの15の港を引揚港として日本政府は定めました。

 

その中の大竹港(広島県)が南方からの船を多く引揚げていました。特にサイゴン(現ホーチミン)港からの船が一番多かったのが大竹港でした。

 

「戦没した船と海員の資料館」(兵庫県神戸市)で入手した資料

 

まりこさんは「1945年の5月~7月ごろに父は帰国した」と話されていますが、戦没した船と海員の資料館職員によると、「45年の4月~9月というのは、一番の激戦だったため、そのころ船は一隻も入港していません」と話されました。

 

翌46年だと、資料にもあるようにサイゴン港から帰港した船がいくつもありました。

 

まりこさんは当時1歳。戦後に母親から聞いた話を記憶していて、年月日が定かではないのも可能性としてはあります。

 

現在、大竹港は埋め立てられ、当時の面影はない(大竹市歴史研究会)とのことですが、大竹港及び引揚の歴史資料がある大竹市教育委員会を訪問しようと考えています。

 

 

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