おはようございます。

NPO法人海の森・山の森事務局の理事長務めています豊田直之です。

昨日より公開となり、支援募集開始となりました。開始早々にも関わらずご支援いただける方がいらして、もしかしたら誰もいないのではという不安をまずはぬぐうことができました。

さて、本日の写真は、横浜市の水道の水源のひとつ、山梨県の道志川。正式には道志川に流れ込む沢のひとつで、ここは雌滝と呼ばれているところです。道志と言われてもピンと来ない方も多いでしょう。ちょうど富士山麓に山中湖があり、そこから神奈川の方に向かうところに山伏峠があり、その峠を越えると道志村です。

そもそも、この近代的な上水道が敷かれたのは、明治20年の話で、日本の中でも横浜が最も早く現代の上水道を敷いたそうです。その際に、イギリスからH.S.パーマーという技術者が呼ばれ、敷設工事のトータルディレクションしたと聞きます。ただスゴイのは、横浜の水源を山梨県の道志として、そこから水を引くという発想が、まさに先見の明があるというか、あの時代にそこまで考えられた氏のすごさ。今の時代なら、横浜市内から2時間もクルマで走れば道志に行かれます。明治時代だと、徒歩か馬でしょう。そんなおぼつかないような移動手段で、水のクオリティーを確認し、しかも言ってみれば山梨から水を引くなんていう大それた発想は、今の時代でも難しいかもしれません。

横浜に上水道が敷かれ、横浜は貿易港として外国の船が当時も数多く出入りしていました。横浜港で船に水を積み入れ、長い航海に出ます。当時から、「横浜の水は、赤道を超えても腐らない」という話が伝わり、海外の船は積極的に横浜港で水を積んだそうです。おそらく雑菌が少なかったこと、不純物も少なかったことがその理由だと考えられます。

現代でも、横浜市の水道には、場所によって、その割合が多少違うようですが、この道志川からの水が含まれています。道志に行き、水源となる沢を見ると、まだまだ水はとても清らかで、こんなところにこんな大自然が残されていることに喜びを覚えます。ただ、私たち人間は、ついついエゴで行動してしまいます。水源地に別荘を建てたり、それこそ道路を造ったり、住宅地としてしまったり・・・。そんな貴重な自然は、実にもろく破壊され、あっという間に姿を消してしまうものです。

将来的にそんなことで貴重な水源地を失わないように、次世代、さらに次の世代の子供たちに、水の大切さ、そしてどのように水を使ったらいいか、まさに「水育」は大切なことだと考えています。私たったひとりでは何もできないでしょう。でも、これから多くの方たちが「水育」に関わり、「水育」を受けた子供たちが、みんなでチカラと知恵をしぼって暮らして行ってもらえば、それは大きなチカラとなるはずです。

みなさま是非ともおチカラをお貸しください。

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