現在の達成金額1,446,000円。目標金額の70%を超えました!
金額も大切なことですが、何よりも、108人もの方々にこの取り組みについてご共感、ご支援頂いていることに心震わせています。
本当にありがとうございます!

そして、クラウドファンディング上でのご支援だけではなく、SNSや口コミ、チラシなどでこの企画の宣伝にご協力頂いている皆さまも、ありがとうございます!

皆さまの共感と支援が、また誰かの理解と共感を生み、そうした想いのつながりによって、このプロジェクトを形にすることも、意義の一つだと思っています。

さて、今回は当事者の方へのインタビュー。
彼らは、どのような人生を歩んできたのか、なぜ身寄りを失うのか。
そして、何より、自身の死後についてどのように思いを巡らせているのか。
お話を伺ってみました。

このインタビューとレポートは、山友会ソーシャルメディア活用プロジェクトチームの菅原久美子さんが担ってくださいました。
菅原さん、ありがとうございました!

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宮川 照夫さん(仮名)

1953年、青森県生まれ。中学校卒業後に上京し、町工場、運送会社、土木業、日雇い労働等の仕事を転々とし、40年以上を東京で過ごしてきた。10年前に山友会と出会い、仕事の紹介を受け、現在は清掃の仕事に従事している。

 

ずっと孤独で、仲間つくるのもだめだから、だから死んでも孤独。これだけは怖いんだけど。自分もそうなるんじゃないかなって思う。」

10代半ばで一人上京。血縁関係がないこと、言葉の訛り、田舎者であることで、虐めに遭った。頼れる人がいないため、ひとりで人間関係に悩み苦しみ耐えてきた。

田舎に帰っても仕事がなく、都会で仕事をしても宿代を稼ぐことは難しかった。
路上生活をするしか選択肢がなく、孤独、恐怖、冬の厳しさに耐えて、生きてきた。

「もう我慢。それしかねぇから。ほとんど独り、ただ人を頼りにしないって方向で。でもね、もう怖くないっていったら嘘になる。自分で何でもやっていかなきゃって言ってても、そういつもいつもね。やっぱり寂しいよ。ひとりは一番つらい。」

ただひとり我慢をして、孤独と闘ってきた。
孤独に耐えてきた人生は、いつの間にか独りで生きることを貫く人生、そうせざるを得ない人生へと変わった。
 


「家離れて何年も経ったからね、墓に入れるかなんかわからない。
どうせ友だちもいないし、兄弟もいなかったら、誰もいないからね・・・」


田舎へ帰る交通費が高く10年に一度だけ帰省することができた。
帰省すると母親がいつも温かく迎えてくれた。
母親が10年前に他界した後は、実家との縁も薄れている。

「入れるお墓があるってことはいいね。こっちにも関係ない、どこにも関係ないんじゃね。死んでからお墓に入れるのか、なんて誰が決めてくれるんだろう。」

「友だちがいれば、助けてくれるけど。友だちとか、仲間とかあんまり作んない。ただ何でも自分で。そうやって生きてきた。それしかできねぇんだもん。誰かを頼りにばっかりしてられねえから。でもね、山友会はたまにしか来ないけど。来れば話せるから。」

インタビュー後、代表のジャンやおじさんたちに混ざり、お互いの近況を語ったり冗談を言い合い、大きな笑い声が山谷に響く。一緒に笑える人間がここにいる。

 

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