プロジェクト概要

 

アミロイドーシスニューロパチー(家族性アミロイドポリニューロパチー 略称FAP)とは

 

FAPは、アミロイドという物体が肝臓で作り出され、それが全身に巡ることで発症する難病です。末梢神経に付けば手足が痺れたり動きにくくなりますし、消化器官に付けば極端な便秘や下痢、排尿・排便異常を来します。心臓に付けば心臓が弱りますし、脳に付けばアルツハイマーのような症状を示します。発症からの平均余命はおよそ10年といわれています。

 

妻が描いてくれた説明イラスト
妻が描いてくれた説明イラスト②
妻が描いてくれた説明イラスト③

 

私から多くのものを奪った難病
その体験で感じたことを多くの方に伝えたい。


はじめまして。シロクマセンセイこと森内剛です。私は28年間、北海道で公立小学校の教員をしておりましたが、アミロイドーシスニューロパチーという難病にかかってしまい、治療のため、現在は妻と2人で福岡県で生活をしています。

 

2016年3月に熊本大学病院へ入院し、手術、壮絶な闘病生活を経て、2017年6月に退院しました。しかし、この難病は完治することはないため、通院し継続的に治療を受けながら生活する必要がありました。

 

今回、九州6箇所で講演を開催します。命ある限り、私の体験を多くの方々に伝えていきます。どうぞ応援のほどよろしくお願いします。

 

 

 


遺伝性の病。
「やっぱり、私もだった...。」

 

実は恐らく、私と同じ病気で母と妹を亡くしています。

 

2012年の冬、妹に発症した病がアミロイドーシスニューロパチーでした。症状は母が亡くなった時と同じものでした。

 

この病気は遺伝性のため、2014年の正月には、妹の主治医から私も血液検査を勧められました。血液検査の結果、DNAの変異が認められるので、できるだけ早く熊本大学病院の診察を受けてほしいと言われましたが、私はすぐには病院に連絡しませんでした。

 

仕事を言い訳にしていました。

 

しかし、本音は、かつて母を襲い、今は妹を蹂躙(じゅうりん)する病が我が身にも眠っていることを認めるということに恐怖を感じていました。

 

 

2016年2月2日。

 

私の体にも病魔はじわじわと広がっており、耐えられなくなりつつありました。

 

その日あまりにも体が辛く早退しましたが、翌日になっても体調が回復することはなく、私は不安になり、血圧を測ってみることにしました。通常であれば最高血圧は110前後、最低血圧は70前後ですが、この日の値は最高血圧69、最低血圧40。遂に、病院に行く決断をしました。

 

私は地元北海道の病院を訪れ、血圧測定、血液検査、尿検査、心電図検査、エコー検査、CTスキャンなど様々な検査を受けましたが、結果は全て異常なし。

 

この瞬間、それは難病の発症を意味していると感じさせるものでした。

 

そして、2016年3月28日、私は熊本大学病院にお世話になることを決意しました。

 

 

 

恐怖、制御できない症状との闘病生活

 

私を襲った症状には、起立性低血圧、口の中の渇き、手足のけいれん、筋肉の攣り、食欲不振、嘔吐、失神、動悸、呼吸困難、体重の減少、便秘や下痢、一時的な記憶喪失などがありました。その中でも特に辛かったのは、起立性低血圧です。

 

先述の通り、異常なほどに血圧が低いため、通常の生活すら送ることができません。急に立ち上がれば気を失い、気がつけば2時間が経っていた、ということも日常茶飯事で恐怖と戦う毎日になりました。

 

突然襲ってくる下痢も恐ろしかったです。なんの前触れもなく、勢い良く水のような状態の便が出てきます。そんな状況を出先などでも迎えるようになり、私は自尊心が粉々に打ち砕かれていくのを感じました。それからというもの、私は常に大人用おむつを着けて生活するように。

 

食欲も極度に減退し、身体は何も受け付けない状態。水を飲んでも吐き戻す…それが目が覚めている間続くのです。私の血管は細くなり、ついには極細の注射針も受け付けなくなりました。

 

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極限状態の中、
私を支えたのは子どもたちとの約束でした。

 

時系列は前後しますが、検査入院をするにあたり、全校児童にお別れをする場を設けてもらったときのこと、体育館に集められた子どもたちに、

 

「必ず生きて帰ってくる」と約束しました。

 

当時の私は手術の成功率が90%以上と聞いていたこともあり、入院生活を楽観視していたので、軽い気持ちで子どもたちと約束したのですが、この約束がのちに私を支えてくれることに。

 

私の入院生活は過酷を極めました。手術は成功したのに、いっこうに改善しない。なぜ改善しないのかが誰にもわからない。

 

そんな状況を半年間送った私は、生きる希望を完全に失っていました。実際に刃物を手に取ったこともあります。病室の窓から階下をのぞき込み、飛び降りようとしたことも。

 

でも、そんな私の愚挙をその都度押し返したのは、子どもたちとの「必ず生きて帰る」という、約束でした。

 

私は小学校の教師です。教師は絶対に子どもに嘘をついてはいけない。私をリハビリに向かわせたのは、「生きて帰るという約束は守らなければならない」その一念でした。

 

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自分の中に希望を生み出し、退路を絶っていました。

 

 

今の自分にできること。
それはこの体験を多くの方に語ること。

 

私は死にものぐるいでリハビリに取り組み、2017年6月にようやく退院しました。数ヶ月の療養の後、教育委員会の許可を得て、無事に復職することができました。

 

その後半年は子どもたちと保護者、そして同僚にきちんとお別れをするべく働きました。私は子どもたちに闘病生活について話をすることが、彼らのためになる、生きた教材だと思いました。

 

私は子どもたちに、諦めなかったのはあなた達のおかげだということ、これからも前向きに生きていきたい、ということを伝えました。子どもたちは身じろぎもせず、私の話を聴いてくれました。

 

気がつけば、教室の後ろの方で授業を見ていた同僚たちは泣いていました。この授業の日から、子どもたちの大きな成長が見られるようになりました。

 

「先生の話を聞いて励まされました。」

 

「夢を捨てずに進もうと思いました。」

 

「命を大事にします。」

 

など、子どもたちからの感想は、どれもまっすぐな気持ちであふれていました。

 

私の話が、人を励ましている。その人の人生に影響を与えている。その実感は、強烈なものでした。私はこれから、自身の体験を語り続けねばならない、そう思いました。

 

<講演会詳細>

8/7 大分 別府ビーコンプラザ会議室2 14:00-16:00
(〒874-0828 大分県別府市山の手町12番1号)

8/9  宮崎 若草B-スタジオ 14:00-16:00
(880-0805 宮崎市橘通東3丁目3-8カブトビル2階)

8/17 熊本 えきまえスペース 14:00-16:00
(860-0047 熊本県熊本市西区春日2丁目3−1)

8/20 長崎 長崎県婦人会館小会議室B  14:00-16:00
(〒850-0015 長崎市桜馬場1-12-18)

8/22 佐賀 ホテルグランデはがくれ 1階黒髪の間(13:30-15:30)
(〒840-0815 佐賀県佐賀市天神2丁目1-36)

8/24 福岡 宝ビル  14:00-16:00
(福岡県福岡市博多区博多駅東1-1-25宝ビル806号)

 

 

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私の話が、誰かの背中をそっと押すことに繋がれば。

 

私の話は、さまざまなことで悩んでいる方々の背中を、そっと押すことができると感じています。

 

それは、話を聴いてくださった全ての方が、自分へのエールとして受け取り、日々の生活を前向きなものにしていくことを私に約束してくださったからです。

 

私は命ある限り、できるだけたくさんの場所で、たくさんの方々に話をさせていただきたいと思っています。この講演会はその第一歩。

 

ここまでページを読んでいただき本当にありがとうございました。温かいご支援をどうかよろしくお願いします。
 

 

 


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