北海道、道東の風景を全国へ。松本直樹初の画集を出版したい
支援総額
目標金額 500,000円
- 支援者
- 9人
- 募集終了日
- 2018年6月29日
4回目の投稿です。
まず、つい先ほどですが「代理購入」と言う形でご支援してくださる方が現れました。小野様、誠にありがとうございました。責任を持って私が代理で購入させて戴きました。
ここから本文です。
昨日・一昨日と北海道道東地方を巡って取材をしてきました。
「霧の摩周湖」として有名な道東の摩周湖も晴れていて大変に良い取材ができました。現地では北海道としては季節外れの28℃超えの気温でして、汗だくになりながらの取材でした(笑)
何の取材かと申しますと、私のもう一つの顔である漫画の取材でありまして、ブログ等では発表させて戴いているのですが、夏より「漫画の連載」が決まりましてそれに関する取材でした。
連載のスタートはこのプロジェクトが終了した後になるのですが、「M.ナオキ」と言うペンネームで活動をしておりますので併せて応援して戴ければ幸いです。
さて、前回の続きである人生初めての心療内科を受診した出来事から進学についてまでを書いて参ります。
高校野球の北海道大会で初めてのパニック障害による発作が起きてから数か月。野球部と美術教師からの特別指導で忙しい毎日を送りながらも、発作は全く小康状態とはなりませんでした。
看護師だった母の助言もあり、人生初めての心療内科へ行くことに…
世間からの理解が年々増している現在であっても、心療内科や精神科と言う場所は偏見がありますが、15年以上前の当時は今以上に心療内科へ行くことに抵抗がありました。当然、父は猛反対。隠れるように予約をして病院へ行った記憶があります。
そしてカウンセリングを兼ねた診察の後、医師からは「不安障害」と診断され未成年でも飲むことのできる弱い向精神薬を処方してくださいました。(この時点では、まだパニック障害とは診断されていませんでした)
これがその後、約18年に渡り薬を飲み続けることになった原点になります。
この病院には2~3か月通院したのですが、自宅からも高校からも遠かったため、より近くで通うことのできる病院へ転院しました。
飲み始めた薬はほとんど効かなかったため、転院先の病院で少し強い薬に代わりました。確か、ソラナックスやデパスでしたでしょうか。
こちらは少しだけ私の症状にも効果を示したようで、学校には行きやすくなりました。
そうこうしているうちに、あっと言う間に高校3年生となり進路を決める季節がやってまいりました。
(写真は夏の釧路湿原)
進学校でもありましたし、道内の野球の強豪校でもありましたし、高校に進学した時点では「絵も野球もできる学校」を選んでいたのですが、指導を続けてくださっていた末期ガンで余命少ない美術の先生が私の絵に対する努力を認めてくださって、全国的にも大変に有名な藝大にも推薦で口利きをしてくださったのですが…
3年生となっていた私は、薬を飲んでいるとは言え止まらないパニック障害の発作に野球で食べていきたいと言う夢は諦めざるを無く、病気への恐怖で道外の進学校へ行く勇気もありませんでした…
ただ、野球は仮に諦めたとしても「絵で食べていく」と言う夢だけは必ず叶えるつもりでした。
特に当時は絵画よりも漫画を優先したい気持ちが強く、漫画を学ぶことのできる進学先を探す必要がありました。
残念ながら地方都市の釧路には漫画を学ぶことのできる進学先がありません。当時の北海道で唯一学ぶことができたのは札幌です。更には大学では無く専門学校でした。
高校の美術の先生はせっかく私のために(もしかすると美術部員よりも優先して)進学先の大学を用意してくださっていたのですが、丁重にお断りをして札幌の専門学校へ進学をすることにしたのです。
高校最後の夏も釧路の大会で優勝し、旭川で行われる北北海道大会で優勝すれば念願の甲子園へ行くことができるところまでは行ったのですが、残念ながら3年間ともあと一歩のところで甲子園へ出場する夢は叶いませんでした。
薬を飲むことによって多少抑えられていた病状も、少しずつ薬が効かなくなってきているようにも感じました。
当時は決して太っていた訳では無かったのですが、野球の筋力トレーニングで筋肉が発達し、体重はピークで81キロまで増えたのですが極度の食欲不振と吐き気で体重は72キロまで落ちました。
「札幌に進学なんかせずに自宅で療養をするべき」と、実は心の底では分かっていたのですが(今だから言えることですが…)、当時は周りに絵のことに詳しい知り合いも居なかったですし、進学を諦めるイコール野球だけでは無くもう一つの夢であったプロの絵描きになる夢も捨てることになるため、病状のことは誰にも相談することができませんでした。
結果としてこれは良かったし、その選択を選んだからこそ今プロとして活動できているのですが、当時としては本当に勇気のいる決断でした。
野球部引退後は、あっと言う間に専門学校による推薦の審査があり、毎日のように深夜までデッサンと漫画の練習をする日々が続きました。
そして月日が流れるのは早いもので、2003年3月。初めてパニック障害の発作が起きた、私にとって「因縁の地」でもある札幌に移住し、人生初めての一人暮らしを開始することになりました。
この時、人生の中でも本当の地獄の一年間が訪れることは、この時はまだ思いも寄りませんでした。
「この札幌の新天地で病気を治しながら、専門学校を卒業する2年後には鳴り物入りでプロの漫画家としてデビューする!」と言う、甘酸っぱい妄想を抱いたまま……
次回は「死」をも覚悟した地獄の一人暮らし。そして本格的に活動を開始した「絵」と専門学校生活について書いて参ります。(長くなるので前編・後編に分けるかもしれません…)
そしてそのようなこともありながら、20歳よりプロとして本格的に描き始め15年の節目に当たる来年に向けて、画家人生初めての画集を何としてでも出版したいと決意しております。
本日はありがたいことにご支援を戴きましたが、まだまだ目標金額までは遠く足りません。命がけで取り組む画家としての活動にご理解とご支援を戴けましたら幸いです。
何卒宜しくお願い致します!
リターン
5,000円
【画集出版を全力応援!】ポストカードセット、お礼のお手紙
・2018年5月より販売を開始した松本直樹の作品のポストカードセット
(6種類1組、表紙に直筆サイン入り)
・一筆箋によるお礼の直筆お手紙
- 支援者
- 3人
- 在庫数
- 制限なし
- 発送完了予定月
- 2018年7月
10,000円
【画集出版を全力応援!】アルファポスター、サイン入り画集
・2018年5月より販売を開始した松本直樹の作品のポストカードセット
(6種類1組、表紙に直筆サイン入り)
・一筆箋によるお礼の直筆お手紙
・2018年に行われた個展ポスターをランダムで3枚セット
(在庫が無くなり次第、代替品に変更)
・サイン入り!画集
※画集は11月以降の発送となります
- 支援者
- 3人
- 在庫数
- 制限なし
- 発送完了予定月
- 2018年7月
30,000円
【画集出版を全力応援!】複製画、画集にお名前の掲載、サイン入り画集
・2018年5月より販売を開始した松本直樹の作品のポストカードセット
(6種類1組、表紙に直筆サイン入り)
・一筆箋によるお礼の直筆お手紙
・2018年に行われた個展ポスターをランダムで3枚
(在庫が無くなり次第、代替品に変更)
・サイン入り!画集
※画集は11月以降の発送となります
・画集にお名前の掲載(ご希望者のみ)
・額装した松本直樹作画の複製画
(通常12,000円で販売のもの)
- 支援者
- 3人
- 在庫数
- 2
- 発送完了予定月
- 2018年7月
50,000円
【画集出版を全力応援!】直筆松本直樹作画のクロッキー、サイトにお名前の掲載、サイン入り画集
・一筆箋によるお礼の直筆お手紙
・北海道銘菓の詰め合わせ
・2018年に行われた個展ポスターランダムで5枚セット
(在庫が無くなり次第、代替品に変更)
・サイン入り!画集
・画集にお名前の掲載(ご希望者のみ)
・松本直樹オフィシャルサイトにて半年間お名前又は企業名の掲載
※サイトがある場合には相互リンク
・額装した松本直樹作画のクロッキー作品
(画像のような早描きデッサンのようなもの。15,000円相当)
- 支援者
- 0人
- 在庫数
- 3
- 発送完了予定月
- 2018年8月
100,000円
【画集出版を全力応援!】松本直樹作画のアクリル画又は水彩画の原画、ポスター・サイトにお名前の掲載、サイン入り画集
・一筆箋によるお礼の直筆お手紙。
・北海道銘菓の詰め合わせ
・2018年に行われた個展ポスターランダムで5枚セット
(在庫が無くなり次第、代替品に変更)
・松本直樹オフィシャルサイトにて1年間お名前又は企業名の掲載
※サイトがある場合には相互リンク
・サイン入り!画集
・画集にお名前の掲載(ご希望者のみ)
・2019年に行われる予定の個展ポスターに「スポンサー」として個人名又は企業名を掲載
(12月末まで)
・額装した松本直樹作画の作品、アクリル画又は水彩画の原画
(通常50,000円以上で販売しているもの)
- 支援者
- 1人
- 在庫数
- 2
- 発送完了予定月
- 2018年8月