
支援総額
目標金額 720,000円
- 支援者
- 67人
- 募集終了日
- 2016年3月15日
移民体験記(ブラジル移民)
今日は移民体験記をお届けします。
移民をせざるを得なかった背景や、移民当初の苦労が語られています。
今とは通信状況も、生活水準も全然違う、ましてや異国の地で過ごすということが、どういうことだったのか。
とても大変の苦労をされてたのだろうと想像できます。
そんな中でも強く生きたウチナーンチュの物語です。
宮平ヤスの体験記(ブラジル移民)
1942年4月15日神戸出向のシカゴ丸で、400人の移民のうちの一人としてブラジルに渡った。シカゴ丸の移民は東京大震災の避難民が大部分で、沖縄県民はわずか13人だったので小さくなっていた。沖縄の方言で話すと馬鹿にされるから使うなと注意されていたので、あまり話もせずに静かにしていた。65日間の長い船旅は、あるときは暑く、あるときは寒く辛い旅であった。やった人間の住める大地にたどり着いた感激は今でも忘れたれない。サントス港にはたくさんの人々が出迎えに来ていた。夫となるべき青年は、5年前に親類が選んでくれた人で同じ字の青年であったが、はっきり顔を覚えておらず探し充てるのに時間がかかった。5年文通し、気持ちはお互いに充分知り尽くしたと思っていたが、夫は外国人かと思うほど日焼けで真っ黒になっていた。初めて食べたブラジル料理は油いりのご飯、豆と肉と野菜を似たおかずがとてもおいしかった。コーヒーだけは慣れないため、にがくて飲めなかった。
入国手続きが済むと記者に乗り、2日かけてリンスの町に行った。そこで夫は野菜作りをしていたのである。兄夫婦と一緒だったので心強かったが、何より困ったのは言葉がわからないことであった。パンひとつ買うにも紙に書いてもらって行くありさまであった。
上の兄が土地を買って3人共同でコーヒー栽培をした。そのコーヒー園は山奥にあり、山と空だけで人影のない淋しい所であった。道もない未開地で、ブラジル語が少しも上達せず、ドイツ人が初めて訪ねてきたときにはただ目と手であいさつを交わすことしかできなかった。隣近所というものはなく、奥地で私たちだけの淋しい生活であった。しかし、だんだん入植者が増えてきて近くにコーヒー園や牧場ができ賑やかになっていった。近くのコーヒー園に日本人が10家族ほど6ヶ年契約で入って来て話す相手もでき、やっとに人里らしくなった。
そんな奥地で私は3年の間に3人の子どもを産んだ。3キロ先のコーヒー園に昼食を運ぶときには1人は手をひき、1人はおぶって、食事は頭にのせて運んだ。
入植者がだんだん増えてきたが店がないために不自由をしていた。そこで私たちは住居を改造して店をはじめた。たった1軒の店でとても繁盛したがmすぐに第2次世界大戦が始まった。子どもたちが学齢にたっしていたので、主人はブラジル人の女教師を雇って授業を始めさせたが、政府命令で中止にさせられてしまった。しかし、子どもにはなんとしても学問をさせなくてはいけない。私たちのところから5.6キロ離れた土地に日本人が学校を建てたと聞いたので、子どもをそこに通わせた。なんとは日本語を覚えてもらいたいと思っていつも子どもと日本語で話をすることにしていたが、子どもはブラジル語を使う方が多いのでどうにもならなかった。
教育問題は、私たちをすごく悩ませた。こんな山奥でどうすれば中学以上の教育を受けさせることができるのだろうか、そのことばかりが頭をはなれなかった。そのうち私は6人目の子どもを生んだ。6人の子どものうち女の子は4歳と17歳の時に亡くなり、男の子だけ4人が元気に育った。この子どもたちだけはなんとしても立派な教育を受けさせ、一人前にしたいとそればかりを念じて必死に働いた。
入植地が便利になったとたんに戦争でバスも通らなくなり、町に行くこともできなくなった。敵国人となった日本人への圧迫は特にひどく主人は町に出た時に捕らえられて監獄に入れられ、2、3日帰らないこともあった。日本語は禁止され、手紙も禁じられ、どうなることかと不安の日を過ごした。日本の勝敗をめぐって兄弟同士でも敵味方になり、精神的にも苦しい毎日であった。ある日のこと1人のドイツ人が訪ねてきた。日本で6年間勉強したというこで日本語を話した。カトリックの神父でいろいろな日本語の本を持って来てくれた。当時、日本の本を求めることは極めて難しくなっていたので、これ以上の貴重なものはなく大事に読んだ。この日本語の聖書は私の心に勇気と希望を与え、キリストを信じその教えを守る気持ちを私に起こさせた。
家族7人洗礼を受け、4任の息子たちは神父様のお導きでカトリック教育を受けた。各自の希望にしたがって中学に入り大学まで卒業し、長男は聖職者となって人々をやさしく助け励ます仕事をしている。次男、三男、四男は結婚して各自家庭を持ち幸せに暮らしている。私たち夫婦は現在サンパウロに住み、県人会や婦人会に入り、メンバーのひとりとしていろいろな催しに出席し、充実した日々を送っている。11人の孫の成長が楽しみである。
(出典:CHAMPURREANDOより)
リターン
3,000円

スタッフからのサンクスレター
①感謝の気持ちを記したサンクスレター
②活動報告レター
(海外からの支援者には活動報告mail)
③当センターホームページにて支援者さまのお名前を記載させていただきます。
- 申込数
- 42
- 在庫数
- 制限なし
- 発送完了予定月
- 2016年5月
10,000円

過去教材をプレゼント
①感謝の気持ちを記したサンクスレター
②活動報告レター
(海外からの支援者には活動報告mail)
③当センターホームページにて支援者さまのお名前を記載させていただきます。
④過去の移民教材をお届けします。
- 申込数
- 14
- 在庫数
- 制限なし
- 発送完了予定月
- 2016年5月
3,000円

スタッフからのサンクスレター
①感謝の気持ちを記したサンクスレター
②活動報告レター
(海外からの支援者には活動報告mail)
③当センターホームページにて支援者さまのお名前を記載させていただきます。
- 申込数
- 42
- 在庫数
- 制限なし
- 発送完了予定月
- 2016年5月
10,000円

過去教材をプレゼント
①感謝の気持ちを記したサンクスレター
②活動報告レター
(海外からの支援者には活動報告mail)
③当センターホームページにて支援者さまのお名前を記載させていただきます。
④過去の移民教材をお届けします。
- 申込数
- 14
- 在庫数
- 制限なし
- 発送完了予定月
- 2016年5月

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