プロジェクト概要

沖縄文化を色濃く残し、沖縄をこよなく愛している、

日本の裏側、南米にあるオキナワと、日本の人々がつながる移民教材を作りたい!

 

はいたい!NPO法人沖縄NGOセンター(ONC)の上原真紀と申します。突然ですが、みなさんは地球上に2つの”おきなわ”があることをご存じですか?日本の”沖縄”とは別に、日本の裏側、南米ボリビアには“コロニア・オキナワ”があります。

 

南米には沖縄から移民した人たちが100年かけて作りあげた地域があり、現在でもオキナワのルーツを持つ人々が生活をしています。その地域には金城さん、新垣さんといった沖縄固有の苗字を受け継ぎ、驚くほど沖縄文化を受け継いでいる家族がいます。

 

ボリビアのコロニア・オキナワの入り口にある看板は
日本語、スペイン語両方で書かれています。

 

そして彼らは、沖縄の文化をこよなく愛し、いまだに日本の沖縄を故郷だと感じてくれています。しかし、現在沖縄の人たちの中にはもう一つのオキナワを知らない人たちが増えてきました。

 

そこで今回、日本の沖縄と南米のオキナワが

お互いに想いを伝えあえる教材を作成したいと考えております。

しかし、そのための現地取材費が足りておりません。

皆さまにご支援をお願い致します!

 

 

 

1、そもそもなにが課題?

①日本の教科書には載っていないオキナワの移民物語があります。

 

皆さんは、南米にウチナーンチュ(沖縄人)が暮らしているということをご存知でしたか?実は彼らは、今では日本の沖縄ではほとんど話されなくなった琉球語を話し、歌・三線(さんしん)、踊りを愛し、ウチナーンチュであるという誇りを、世代や、国境を越えて引き継いで暮らしています。

 

しかし、移民した人たちの存在は、私たちの沖縄(日本)の教科書には載っていない物語で、多くの人の記憶から忘れ去られようとしています。これを私たちは“オキナワ物語”と名づけました。

 

この写真がアルゼンチンの移民100周年パレードの様子だなんて想像できますか?
(出典:CHAMPURREANDO)

 

 

②どうして南米にウチナーンチュ(沖縄人)がいるの?

100年前から続くウチナーンチュの大移動。

 

沖縄の移民の歴史は、サトウキビ栽培が主産業だった沖縄経済が第一次世界大戦後の世界大恐慌によって大打撃を受け、生活の貧しさから仕事を求めて海を渡った労働移民が始まりでした。この時沖縄では多くの人は飢餓に苦しんでいました。

 

そして1899年、移民の父と呼ばれる当山久三を筆頭に沖縄初となる集団移民がハワイへと出発しました。移民先ではいい暮らしができると夢見ていた移民者でしたが、現実の生活は沖縄で聞いていたものとはだいぶかけ離れており、とても苦労したそうです。

1910年ごろのブラジル、サンパウロ州のコーヒー農園で作業をする移民者
(出典:CHAMPURREANDO)

 

 

また第二次世界大戦後も、沖縄はアメリカの統治下に置かれたため、多くの人々は土地を米軍基地に奪われ、生活苦に陥り、戦後も沖縄は移民を送りだし続けました。特に戦後移民は南米のボリビアに多く、沖縄から移民した方(移民一世)が健在です。現在多くの地域では世代が3世、4世の時代になり、今では世界に約40万人のウチナーンチュがいます。

 

100年以上前に始まった沖縄移民の人たちは、送金や支援物資等で戦後生活苦に陥った地元である沖縄を支えてくれました。しかし、戦後、移民者に支えられていたことや移民の事実さえ知らない世代が増えてきているのが現状です。

 

ウチナーンチュは世界にわたっています。

 

 

③私が幼少期の2年間を過ごしたもう一つのオキナワ。

今、沖縄では揺らぎつつある沖縄のアイデンティティが

そこには存在しています。

 

移民した人たちはウチナーンチュであるという誇りを、世代や、国境を越えて引き継いで暮らしていました。この事実を知ったのは、私が幼少期のとき、父の仕事の関係でもう一つのオキナワ(ボリビアのコロニア・オキナワ)で2年間過ごした時でした。

 

コロニア・オキナワに住んでいた当時。
学校では午前中はスペイン語、午後は日本語の勉強をしていました。

 

そこでは流暢な琉球語が飛び交い、祈りや沖縄の祭りを大切にし、沖縄の楽器、三線の音色が聞こえる、まさに“沖縄”そのものの世界でした。沖縄にいるおじー、おばーと変わらない優しさと温かさがそこにはあり、コロニア・オキナワは私のもう一つの故郷になりました。

 

現在のヌエバエスペランサ校。現在も午後から日本語の授業があります。

 

そして数年前、コロニア・オキナワのおじさんたちに、「ウチナーンチュなのになぜ琉球語がしゃべれないんだ?今度来るときは勉強してきなさい。」と言われ、ふと自分のアイデンティティについて考えるようになりました。

 

MARKET OKINAWAではのりやラーメン、醤油など日本の食材が手に入ります。

 

 

 

 

2、語られない物語は、忘れ去られ始めています。

 

①そこで生まれたのが、日本の教科書には載っていない

移民物語を”オキナワ物語”として残し、交流をうみ出そうという企画でした

 

100年前に始まった移民事業は、現在はもうありません。今の小学生の代ですと、曾おばあちゃんなどに親戚がいるかいないかでしょう。

 

沖縄を訪れた日系人ウチナーンチュが小学校で講演している様子。

 

そこで、せっかくこんなに素晴らしいオキナワが海外にあり、苦しい時にともに頑張ってきた、そして沖縄をだれよりも愛してくれている県系人を知らなくなってしまう問題を何とかしたいと考え、私たちはこの活動を10年前から仲間の教師と共に行ってきました。

 

資料収集は沖縄県内にある書籍を中心に、帰国した県系人からのインタビュー等を併せて、現在は2冊の教本、1冊のかるた集にまとめて出版、教育現場への配布を行ってきました。

 

移民教材作成メンバーです!

 

 

そして、今までに述べにして220校、約20,000人の沖縄県内の子どもたちや教育現場の先生方がこの教材を基に県系人の事実を学びました!

 

過去の”オキナワ物語”(沖縄移民教材)

 

 

②ちょっとオキナワ物語の内容をご紹介

 

②-1 移民教材第一作目~初期移民について~

戦後、移民者に支えられていたことや、移民の歴史を知らない世代が増えてきているため、移民の歴史的背景や移民地での苦悩と努力を子どもたちに伝える内容を、「世界のウチナーンチュ大会」に合わせ作成し、県内の学校で出前授業を行いました。

 

出前授業の様子

 

 

②-2教材第二作目~日系人のデカセギ~

”日系人・出稼ぎ労働”をテーマに多民族社会の移民先で、沢山の違いを乗り越えながら生活してきた世界のウチナーンチュの生き方に焦点をあて教材を作成し、第一作目同様県内の学校を中心に出前授業を行いました。海外雄飛の武勇伝だけでなく、哀話だけでもない奥深い人間ドラマは子どもたちに驚きだけでなく、元気と勇気を与えました。

 

その際作った移民カルタは、世代を超えて移民学習を楽しみました。

 

 

③授業をうけての、子どもたちの学びの声

 

これまで作成した教材の学びの中で、沖縄の子どもたち(小学生~中学生)の声を紹介します。

 

・昔の写真を見て国内と思ったけど、意外と他の国だったりして驚いた。日本人やウチナーンチュが移住して、文化を各国に広めたり、各国から文化を取り入れて発展したんだな、と思った。

 

・海外に渡った人達は、なぜ辛い仕事を最後までやるのかと思ったけれど、家族を守る為だと分かると苦しくてもやる理由が分かって、良かった。

 

・昔のウチナーンチュがペルーに住んでいたことや、苦労したことをクラウディア・ナオミ・ホヅミ・ギマさんが丁ねいに話してくれました。また、ペルーの言葉がスペイン語なので、言えそうで難しいし、アクセントが面白くて、何を言っているのかさっぱりわかりませんでした。でも言葉は通じなくても、気持ちや思いやりでコミュニケーションができる交流会はすごいと思います。

 

移民初期の写真を通して、移民の歴史を学びます。

 

 

 

3、今回生み出す新しいオキナワ物語とは?

 

①県系人は現在4~5世の時代になっていますが、

文化への愛は衰えていません。

彼らの暮らしをヒアリングし、まとめます

 

移住をした県系人は、現在は4~5世の時代になっており、実際に沖縄を訪れたことのない世代が増えています。そんな彼らの間で、語り継がれる沖縄、継承される沖縄文化を大事にする人の多さに驚かされます。

 

例えは、南米のおうちの一角に沖縄風の仏壇が置かれています。南米にいるほとんどのウチナーンチュは普段はキリスト教徒ですが、文化のひとつとして、今でも仏壇行事はきちんと行っています。

 

ブラジル日系2世の方の自宅リビングの様子
出典:CHAMPURREANDO

 

②紅型を学び、現地で制作活動に取り組むボリビアの友人も。

 

また、ボリビアにいる私の友人は一年間沖縄で紅型を学び、現在ボリビアで紅型作成に取り組んでいます。ボリビアやブラジルで、沖縄と同じ素材が手に入らないなかで、そのにあるもので活用できる素材を探し、工夫しながら沖縄の文化を引き継いでいる人たちがいるのです。コロニア・オキナワにある学校からも、子どもたちに沖縄の文化を伝えたいと、友人へ紅型体験の依頼が来たほどです。

 

ボリビアで紅型に取り組む友人の作品

 

 

③~海外に存在するオキナワを沖縄へ、沖縄にある今を海外のオキナワへ~

オキナワ物語の目指すところ

 

海外に暮らすウチナーンチュとっての沖縄文化は、“文化”としてあるだけではなく、自分が沖縄ルーツを持つ一人としてのアイデンティティを確立するためのものかもしれません。

 

徐々に失われつつあると叫ばれている沖縄の文化を移民教材を通して伝え、沖縄の子どもたちのウチナーンチュアイデンティティと向き合うきっかけを作りたいと思っています。それと同時に、教科書では語られない“オキナワ物語”を私たち沖縄に暮らすウチナーンチュへ伝えたい、そして海外に暮らすウチナーンチュとつながりたいそう願ってやみません。

 

日系ウチナーンチュの視点を知ることで、沖縄のアイデンティティを知ることに。

 

 

④今回は、沖縄文化が根強く残る4か国

(予定:ボリビア、ブラジル、ペルー、アルゼンチン)を周り、調査します

 

今回の作業では、彼らの沖縄文化に対する想いや沖縄県人会活動を伝える物語をインタビューし、記録に残す作業を中心に行います。訪問する中で収集した情報は、沖縄に戻った後、一年をかけて沖縄の先生方と“オキナワ物語”を製作し、参加型教材として出版、2016年度には沖縄の全地域の教育現場、県外および海外に存在する沖縄県人会(約100ケ所)へ無償配布する予定です。

 

ボリビア、ブラジル、ペルー、アルゼンチンを周る予定です。

 

 

 

 

4、最後に、このプロジェクトへの想いを。

①失われつつある沖縄文化

 

人や言語、文化が自由に行き来できる現在、さまざまな文化が沖縄に入ってきています。そのおかげで沖縄の社会が豊かになった一方で、琉球語を始めとする紅型や織物、三線や琉舞などを継承する若者が減り、沖縄文化が徐々に失われつつあります。

 

沖縄文化は徐々に消えています。

 

②物語をきっかけに想いを伝えあいたい

 

今回の移民教材のテーマの一つを海外で継承される沖縄文化とし、なぜ遠い南米で今なお沖縄文化が受け継がれているのか、継承される意味と人々の想いを探り、持ち帰ってきたいと思います。

 

その情報を元に教材化し、県内の学校を中心に出前授業を行うことで子どもたちや一般に、海外にいるウチナーンチュの想いが伝わり、沖縄の若者・子どもたちが自分たちの文化を見直すきっかけになれることを願っています。

 

ボリビア日系2世の友人。独学で三線を学び、魅力を沖縄で伝えている。

 

③そして海外のウチナーンチュと、

沖縄の人々が繋がっていかれるよう、活動をしていきます!

 

また、この移民学習を通して、海外のウチナーンチュと沖縄の人々が繋がり、より固いウチナーンチュネットワークを築いていきます。今回も教材作成のチームとして結成し、動き出していますが、ぜひ現地に出向いた教材があるとよりリアルな教材になると確信し、資金援助という形でより多くの仲間を募り“オキナワ物語”(移民教材)を完成させたいと願っています。

 

ご支援をどうぞ宜しくお願い致します!

 

 

★★★リターン★★★

以下のリターンを、ご支援頂きました金額に合わせてお送りさせて頂きます。

 

①感謝の気持ちを記したサンクスレター

 

②活動報告レター(海外からの支援者には活動報告mail)

 

③当センターホームページにて支援者さまのお名前を記載させていただきます。

 

④過去の移民教材をお届けします。

過去の移民教材

 

⑤完成した移民教材をお届けします。
※完成がH29年3月を予定しているため、H29年4月以降の発送になります。

 

⑥各離島の特産品セット(お菓子など)をお送り致します。
 

イラストはイメージです。

 

⑦南米のお菓子セット

 

⑧南米の雑貨

 

 

⑨南米の楽器(写真の中からいずれか一つ。どれが届くかはお楽しみ♪)


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