プロジェクト概要

ボランティアの皆さんとの「つながり」を大切にしたい

 

はじめまして、こんにちは。私は岩手県陸前高田市出身の佐藤貞夫と申します。

 

私は東日本大震災の津波で、経営していたガソリンスタンドを流失しました。自宅も浸水して大きな被害を受け、多くの友人を亡くしました。被害の大きさに何も考えることができず、ただただ言葉を失うばかりでした。



(震災から1週間後の様子。左端の白い建物が私のガソリンスタンド)
 

しかし、発災直後から多くのボランティアの皆さんが陸前高田市へ駆けつけてくれました。私自身もボランティアの力をお借りして、泥まみれの自宅を隅々まできれいにしていただきました。本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

 

ガソリンスタンドの跡地はガレキで埋め尽くされ、自分だけではどうにもできないと途方に暮れていましたが、「この土地をそのままにしておくのはもったいない」と友人に言われ、心が動きました。再びボランティアの皆さんにお手伝いをお願いし、被災した土地を花壇とグラウンドゴルフ場として再生させることができました。

地元の人が気軽に集まれる場所として、そしてそこに関わってくれたボランティアの皆さんがまた帰ってきてくれる場所として生まれ変わったのです。

 

ボランティアに訪れた皆さんとは、その後も手紙を交換したり、花壇に咲いた花々の写真を送ったりして、交流を深めています。私たち住民にとってはボランティア活動そのものも有り難いのですが、わざわざ被災地と呼ばれる地域へ遠方から足を運んでくれる気持ちが嬉しいのです。

活動後も想いを持ち続けてくれている方々と、ずっとつながっていたいと思い、自分が出来ることで感謝の気持ちを伝えています。

 

(ボランティアに来た中学生の皆さんとはいまでも手紙で交流しています)

いまは、震災後に立ち上がった地元のNPOの職員として、ボランティアの受入拠点である「陸前高田市復興サポートステーション」(通称:サポステ)の運営を担っています。地元住民から寄せられたニーズをボランティアの皆さんにつなぐ仕事です。


サポステは、2013年度からの2年間に限って、緊急雇用創出事業の予算で運営していますが、2015年4月以降もボランティアの受け入れを継続するには、運営資金を独自で確保する必要があります。

運営には最低3人の専従スタッフが必要となり、そのための人件費の確保が必須です。また、事務所、大型バス用駐車場、資材用倉庫を維持するには、ある程度の広さの土地が必要になり、その賃借料も必要になってきます。

 

サポステを運営するには、最低でも年間800万円の予算が必要で、今回はそのうちの250万円の獲得を目指しています!

 

 

NPO法人パクトの活動

 

NPO法人パクトは、発災時に設立された「陸前高田市災害ボランティアセンター」のスタッフ有志が中心となり、人と人をつなぐことで復興の一助となることを目指し、2011年7月に設立された地元発の非営利団体です。
 

現在は、サポステの運営、子ども支援活動、簡易宿泊所の運営の3事業を行っています。
 


サポステは、閉鎖した災害ボランティアセンターの想いを引き継ぐかたちで2013年1月に立ち上げしました。

年間約1万人(2013年度及び14年度実績)のボランティアを受け入れ、地元住民と市外から来る人々をつなぐ「窓口」としての役割を果たしています。
 

活動内容は、「奇跡の一本松」で有名な高田松原の植樹、畑の再生、花壇の整備、各地の除草、お祭りなどのイベントの手伝い、遺留品の捜索・思い出の品の返却、漁業・農業支援など、多岐にわたります。

 


(高田松原再生のための植樹活動の様子)


私たちにとって、ボランティアの皆さんは復興への道のりを応援してくれる大切な仲間です。

 

震災から3年半以上経った現在も、いまだ仮設住宅などで不自由な生活を強いられている住民が多く、震災の影響による負担は少なくありません。家族や家を失った悲しみは簡単に癒えるものではありません。だからこそ、仲間であるボランティアの存在が大きな心の支えになっています。

 

最近では、仮設住宅にお住まいのおばあちゃんからの依頼で、被災した家の跡地にある畑の整地とごぼうの収穫という活動がありました。

おばあちゃんは震災後、夫婦2人で暮らしていましたが、ご主人が今年の春に亡くなられ、好きな畑仕事も一人ではままならない状況でした。大学生のボランティアの皆さんのおかげで、畑の整地とごぼうの収穫を無事終わらせることができ、孫と同じ年くらいの学生の皆さんの一生懸命な姿に目を潤ませながら、「本当にありがたい」と何度も感謝されていました。

 

「作業」だけでなく、今もこうして「想いを寄せてくれる人がいる」ということが、被災された方々にとっては何よりも心の支えになっているのです。

(津波で流された家の跡地にある畑の整地・ごぼうの収穫を神奈川大学の学生の皆さんにお手伝いいただきました)


サポステはまだまだ必要とされています

 

陸前高田市の人口は震災前(2011年3月)に比べると16.5%減少しています。津波により1,800名の方々が亡くなったり行方不明となったりし、さらに震災による様々な影響で人口減少が加速しています。

そのため、住民自らの力だけでは解決できない課題を、全国から集まったボランティアがサポートする仕組みが引き続き必要とされています。

 

2013年10月~2014年9月の1年間で、サポステには約80件のニーズが寄せられ、述べ11,698名のボランティアへ活動を紹介しています。

そして、2014年10月に私たちが実施した市内全域のニーズ調査の結果によると、今後は災害公営住宅や高台移転先の整備に伴い、仮設住宅からの引っ越しに対するお手伝いのニーズが増加していくことが見込まれます。

 

また、教育委員会や学校が被災地でのボランティア活動などを通じた「復興教育」を推進していることから、サポステには全国から多くの中学生、高校生、大学生が訪れ、学びの一環としてボランティア活動を行っています。

 

さらに、主に学生の皆さんを対象に、サポステスタッフが震災発生当時の様子を伝えています。

災害は、いつどこで起こるか分かりません。「二度と同じ悲しみを繰り返してほしくない」という想いは私たち住民の願いです。私たちが経験したことを伝え、想いを持ち帰ってもらうことで、ボランティア活動へ参加してくれた方々が、少しでも防災に対する意識を持ってくれることを願っています。

(震災当時の様子について写真を交えてお話ししています)
 

サポステが閉鎖されたらどうなる?

 

大切なものや大切な人を失った悲しみを持ち続けながら生活する人々にとって、心の支えとなるものがなければ、生きていくことすら困難です。「仲間が来なくなる」「もう誰も助けてくれない」という不安の中では決して前を向くことなどできません。誰かがいてくれる、誰かが想ってくれているという安心感があってこそ、人は踏ん張ることができるのです。その支えとなる仲間を受け入れるための「窓口」をなくすわけにはいきません。

 

ボランティアの皆さんからも、活動の継続を希望する声が多数寄せられています。

例えば、3年間継続して陸前高田でのボランティア活動に参加されている岩手県一関市出身のMさんは、「陸前高田市のお手伝いをしたいと思っている人達はまだ沢山います。今後もパクトさんを通してのお手伝いを継続していきたいと思います。」と温かなコメントを寄せてくださいました。

 

しかし、サポステがなくなれば、このような思いを寄せる人々の活動の場が失われ、多くの人々にとって、陸前高田を訪問する目的や理由がなくなってしまいます。

 

また、数十人規模の団体を受け入れ可能な拠点がなくなってしまうと、陸前高田を訪問する学校や企業の数が減少してしまいます。つまり、サポステの閉鎖は交流人口の減少を意味しています。

 

(ボランティアの皆さんを見送る陸前高田名物(?)「手振り隊」)


今後もボランティア活動によって、自らでは解決できない市民の課題を解決するとともに、引き続き多くの人々を呼び込むことでまちの活性化に寄与します。さらに、全国から集まる人々に対して陸前高田での交流や体験の機会を提供することで、一人でも多くの人に「高田ファン」になってもらうことを目指します。


人と人との「つながり」を大切にしながらサポステの運営を継続し、多くの人に陸前高田に来て、見て、肌で感じてもらいたい。

そして、その感じたことを自分の地域の人たちに伝えてほしい。元の街には戻せませんが、震災前よりも良い街を作っていけるように、興味を持ち続け、関わり続けてほしい。それが私たちの想いです。


皆さまのご協力を何卒よろしくお願いします!



 

引換券について

 

サポステTシャツ

 

陸前高田のお土産:三陸産ワカメ(下記は一例です)

 


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