ここまでたどり着くことができました。みんな、ありがとう!
ご支援くださった皆さまへ
こんにちは。新しい年が明けました。2022年もどうぞよろしくお願いします。

加工しようと思って挫折した…。
一昨年から去年にかけて行ったワンラブ再建のためのクラウドファンディング。おかげさまで予想をはるかに上回るご支援をいただきました。ご協力くださった皆さま、本当にどうもありがとうございました。クラウドファンディング中は、毎日ページを開くたびに「今日はいくら集まったかな?」と捕らぬ狸の皮算用をしながら一喜一憂していました。
皆さまからのご支援をいただいてから今日まで、ずっと義肢製作所の建設を進めてきました。コロナの時期とも重なっていたので、途中ルワンダでもロックダウンになったり、動きの制限があったので、少しの間ストップしていた時もありましたが、ほぼ毎日どこかで金槌の音や溶接する音、作業員の騒ぎ声や喧嘩する声、大声で討論したり、笑う声が聞こえてきました。
コロナ禍だったので、作業中は基本的にはみんなマスク着用。ルワンダは涼しいとはいえ、赤道直下なので直射日光は厳しく、顎マスクで作業をしている姿も見かけました。そんな時は注意をするよう心掛けましたが、またいつの間にか顎マスク。
現場の片隅には簡易手洗い場を設置し、手を洗うようにしました。でもこういう事って、最初はやるんだけど、そのうちみんな慣れっこになってやらなくなっちゃうんですよね…。

残念なことに私たちの所からもコロナ感染者が二人出てしまい、その時は作業員全員に簡易検査ではあるけれど、検査をさせ、1週間ほど作業をお休みにしました。私もガテラも同様に検査を受けました。
ルワンダは94年の虐殺後は建設ラッシュが続き、最近では商業施設の建設もあちこちで行われており、建設作業員の争奪戦も起こっていました。建設を開始した頃、一番下っ端の作業員は200円の日当でしたが、近くで他の建設作業が始まり、そこでは日当300円出していたので、みんなそっちに行ってしまったり…。結局250円出すということで、また作業に戻ってきてくれました。他より賃金が低いので、その代りたまにビールや地酒を振舞ったりして、みんなの機嫌を取りました。
毎日喧々諤々の作業ではありましたが、おかげさまで建設予定の建物、ほぼ最終段階に至りました。
土地が道より低い場所にあるので、実はこの下にまだ1階分ある。
なかなか素晴らしい!
クラウドファンディングを始めた時は、近所に家を借りて、そこから現場に通う日々でしたが、一昨年の暮れに建築現場に引っ越し、そこで生活をしながら作業を進めていました。借家に毎月の家賃を払うのももったいなく、現場の障害者が来た時に使おうと思って用意した部屋を整え、そこに移りました。

そして次に完成させたのは義肢製作所。建設を進めている間も、義足を求めてやってくる人がいました。借家の時はその一角を仮の義肢製作所に改造して対応し、新しい所では横でトンテンカンテンやりながら、彼らを受け入れてきました。
決して多くの障害者に対して義足を提供できたわけではありませんが、それでも月に二人ほどは対応できました。今回私たちの拠点が強制撤去されたことは、多くの障害者が知っており、もう活動を止めたと思った人もいたようです。でもルワンダは狭く、口コミでいろんな情報が流れるので、どうやらまた新しい所を作っているらしいという噂も広がり、そんな噂を聞いた人がチラホラやってきてくれたのです。そして政府の強引なやり方に一緒になって腹を立ててくれたり、元気づけたりしてくれました。

とりあえず作業はできる。


次に完成させたのは自分たちの住居となる部分です。建物の2階の一角です。実は先に引っ越した場所は、水も電気もあるし、生活をするには十分なのですが、日が差し込みにくく、寒い…。湿気もあるので、買ってきたパンや野菜がカビたりしてしまうのですね。だからずっとそこにいるのはちょっとしんどかったので、終の住居部分を完成させました。
ここが完成した時は嬉しかったなぁ。建物を壊されてから、精神的に落ち込むことが多かった私たち。だけど落ち込んでもいられず、先に進まなくてはいけないという焦り。いろんな感情が入り混じって日々過ごしていたので、心落ち着くことがなかったのです。だからこの終の棲家に引っ越せて、心底嬉しかった。少し自分たちの肩の荷が減ったように感じました。ここから見る夕日や土砂降りの雨、晴れ渡った空。そんなものを私たちにくれた皆さまに感謝です。

そして住居の隣部分はレストランになる所。今はカウンターを作るべく小細工をしているところです。
3階はゲストハウス・シェアハウスになります。ここもほぼすべて出来上がり、細かい所を調整中。昨日は窓につけるカーテン布を探してきました。私が買いに行くと、外国人値段を言われるので、いつも縫物を頼んでいる女性と一緒に行きました。そしてついでに足踏みミシンを購入。これで簡単なものは自分で縫おうと思います。だって誰かに頼めば人件費がかかるから、それならば自分で作れるものは作って、浮いた経費でビールを飲んじゃおうなんて不埒な考えを持ったから。
作業中なので汚れているのはごめんなさい。
こうしたバスタブも泥棒市場
(市内に建築資材を扱っている市場があるのです)
から安いのを買ってきた。
私たちの建設はあともう少しだけ続きます。今年の早いうちにはすべて完成し、義肢製作所もレストランもゲストハウスも、正式にオープンできることと思います。
建物を壊された時は途方に暮れ、この先どうするのが一番良いのかさんざん考えました。このままワンラブを続けたいという思いが根底にあるものの、再び立ち上がるためには資金が必要でした。しかもたくさんの資金が。
そんなものを集められるのか、みんなもコロナや災害で大変なのに、資金のお願いをして良いのだろうか。ずっと悩みました。そんな状況にもかかわらず、私たちのことを思い、こんなにたくさんの資金を集めることができ、引き続き応援してくれている人たちがいるということ。ありがとうとしか言えないけれど、私たちは皆さんによって生かされてきました。
建設作業はあちこちでサバイバルでした。限りある資金をいかに有効に使うか。頭を悩ますとともに、自分たちの根性を見直しもしました。
基礎に使う石はなるべくワンラブランドから拾って持って来ました。ワンラブランドは元々水はけの悪い場所だったので、基礎石をたくさん使っての建築でした。その石を拾ってきたのですね。
そしてレンガ。これも壊された建物から取り出したレンガを再利用しました。再利用しながら、97年頃にみんなでレンガを造って焼いた光景が浮かんできて、壊した政府に対してなぜか「ざまあみろ」という気持ちになりました。

25年を経て、再び生まれ変わる。
それから木材。建物は鉄筋とコンクリートなので、木材が使われているところはありません。でも足場として使ったり、コンクリートを流す際に使った木や板がたくさんあります。それらはもう用のない資材でもあるのだけど、もったいないから再利用しました。例えば家やレストラン、ゲストハウスで使う家具。キッチンとして使うカウンター。最近ルワンダで建てられる家には、西洋風の家具を置くことが多いけど、私たちの所はアフリカチックにまとまっています。一度使われた木から釘を抜いたり、継ぎ合わせたりして、一つの家具を作るのに結構手間暇はかかったけど、ペンキを塗ってみると、これがまたとても素敵なものに仕上がっています。

あとはクッションを作って出来上がり。
こんなふうに新しいワンラブは、昔のものを使ったり、使い古しを使ったり、継ぎはぎだったりするけれど、なかなか立派な建物です。道から見ると2階建て。でも土地が道より下にあるので、実は3階建ての建物です。向かいの丘からも、なかなか存在感のある建物として眺めることができます。
そして予定と変わった部分として、屋上があります。本来屋上はそのまま何も利用するつもりはなかったのですが、作っているうちにだんだんと欲が出てきて、ここをレストランの一部として開放することにしました。屋上でルワンダ名物ヤギ肉の串焼きを焼きながら、ビールを一杯。眺めは抜群です。
レストランやゲストハウスからの収益は、ワンラブランドにいた頃と同じように、ワンラブ本来の活動である障害者支援のために使います。未だコロナ禍なので、飲食や観光業については引き続き厳しい状況ではありますが、細々とやっていこうと思います。
皆さまも日本からお越しの際は、ぜひ私たちの所でお食事してください。そしてワンラブファミリーすべての皆さまの血と汗と涙の結晶であるゲストハウスにお泊りくださいね。一緒にルワンダの夜景を見ながら乾杯しましょう。そしてついでに私の愚痴も聞いてください。
作業に関わった人たちにも、改めて感謝したいです。ルワンダの人件費は日本と比べれば低いです。先に書いたように、一番大変な下っ端の肉体労働の人たちにはたった一日200円の報酬でした。ルワンダは日本よりは物価が低いとは言うものの、所得と物価を考えると決して楽なわけではありません。そんな安い日給で家族を養わなくてはいけない人たち、子供を学校に通わせるためにがんばっているお父さん。妊娠してお腹が既に大きくなっているお母さんも作業を手伝ってくれました。彼らのタフさには頭が上がりません。朝まだ暗いうちからセメント流し込み作業をする際には、総勢100名以上にもわたる人たちが手伝ってくれました。機械ありきの作業ではなく、セメントを捏ねるのも人力。それを運ぶのも人力。そんな過酷な作業が夜暗くなるまで続きました。

途中景気づけなのか、あるいはやけくそなのか、みんな大きな声で歌い出します。そして私がカメラを構えて撮影していると、俺も撮れとアピールしてきます。

彼らは踊り出す。
足場の悪い作業場であるにもかかわらず、人によっては裸足で作業。よく怪我をしないものだと呆れました。彼らの足の裏は鋼でできているのです。
でも一度だけ、建物の上で作業をしていた作業員が落ちて怪我をしてしまいました。幸い大事には至らなかったものの、焦りました。もし下にガラスやトタンの破片があったら流血の事故となってしまいます。その人も数日作業を休んだものの、また懲りずに仕事にやってきて、彼らのタフさには勝てません。
建物が壊され、再建を余儀なくされたことは大変ではあったけど、これがあったから新しく安心して働ける場所を作れたし、自分たちの心のよりどころとなる砦を作れました。そして今回のことで、たくさんの人が支援してくれ、決して自分たちは孤独ではないということを教えてくれました。
私は時々人に疲れ、引きこもりたい時もありますが、こんなふうにみんなが後ろにいると思うと、やっぱり引きこもれません。もし私がまた引きこもりたくなるようなことが起きたら、その時はまた蹴っ飛ばしてください。
悪いこともあれば良いこともある。今回じっくりとそれを実感し、この先もしまた悪いことが起こったら(起こってほしくないけど…)、その時はまたなんとかなるさ、何とかしようと思っています。
ガテラと私はあの壊された日以来、じっくりその出来事を振り返って話をするということをしていません。話せば辛くなる。愚痴になる。泣きごとになる。恨み節になる。そんなことがわかっていたから話せなかったのだと思います。でもきっと何年かして、その日を振り返り、思いっきり愚痴ることができるのではないかと思います。それはつまり心の痛みが治ったことを意味するのではないでしょうか。
どうぞこれからのワンラブを見守っていてください。問題発生は日常茶飯事、それ故打たれ強くなったワンラブは、これからもずっと続いていきます。
皆さま、本当にどうもありがとうございました。

雨降って地固まる。これでいいのだ。
(自宅のベランダから)
ムリンディ/ジャパン・ワンラブ・プロジェクト
ガテラ・ルダシングワ・エマニュエル
ルダシングワ真美
*この報告をもって、今回の再建のためのクラウドファンディングのご報告とさせていただきます。
*オンラインやネットを通してのリターンはすべて終了しておりますが、ワンラブの歩みのデータのダウンロードをしていない方で、やっぱりほしいという人、ご連絡ください。追ってご連絡差し上げます。
*ワンラブグッズや「義足と歩む」をリターンとして選んでくださった方、本来であれば21年中に帰国し、その際に送付をしようと思っていましたが、コロナの影響で帰国ならず…。そのため送付が少し遅れます。ごめんなさい。