みなさん、こんにちは!
実行者のSPUTNIK International、秋沢淳子です。

新しい目標額を設定、再スタートしてから新たに4名、開始以来の合計で38名の方に購入の申し込みを頂き、達成率は112%となりました。大変うれしく、また身の引き締まる思いです。残り30日となったプロジェクト期間、最後まで頑張ります!

さて、朝の連続テレビ小説「花子とアン」はいよいよ最終週ですが、新しい目標を設定したまさにその日、20日の放送のこんなセリフにお気づきになったでしょうか?

主人公の花子は、戦後再開した自分のラジオ番組で、英語との出会いを父との想い出を交えて語った後、次のように聞く人を励まします。

「外国の言葉を知るということは、それだけ、多くの心の窓を持つということです。戦時中は、その窓も、閉ざさなければいけませんでした。さあ、心の窓を大きく開けて、一歩を踏み出しましょう。それぞれに、戦争のむごさや、家族を失う悲しみを経験しましたが、勇気を出して、歩いていけば、その先にはきっと、一番よいものが待っていると、私は信じています」

私たちスプートニクの理念、「多くの人に異文化を知り、世界に通じる心の窓を持ってもらう事により、世界平和に貢献していく事」に通じるものを大いに感じて、思わずうんうんとうなづいてしまいました!

本日は、先日上京してくれた大分の立命館APUに留学中の第一期生テジャニが、虎ノ門のAFS日本協会本部を訪問した時の様子を、彼女への一問一答とともにご紹介します。

(AFS本部入口に掲げられている、AFS around the worldの世界地図の前で「ここがス私の国です!」)

AFS日本協会の、高田祐三事務局長をはじめ、オフィスの皆様にご挨拶したあと、オフィスで、AFS日本協会、大野博通さんと再会を喜び合う二人。



大野さんは私やエシャンタとともにニュージーランドに留学したAFSの同期生で、この支援プログラムの創設、その後の運営はもちろん、今回のプロジェクトでも協力してくれています。スプートニクのスタッフが話を聞きました。

-日本に興味を持ったきっかけは?

教育委員会で働いていたお母さんが、1998年に横浜で開かれた国際会議に出るために来日しました。私はまだ10歳で小さかったので覚えてないですが、母の日記に書かれていた日本の様子と、「3人の子どもの誰かに、また日本を訪問させたい」という母の言葉は心のどこかに残っていて、2003年、10年生になって第二外国語を選ぶ時、ごく自然に日本語を選ん勉強しはじめました。

-選考試験から合格までの事を教えてください

日本語を学ぶクラスで、「このプログラムで日本留学のチャンスがある」という説明があった日、実は私はたまたま学校を休んでいて、募集があることを知らなかったんです。第一次の面接の当日にその話を聞いて驚き、何としても応募したいと、学校にやって来た試験官の先生に直接掛け合ったんです。それが、エシャンタ先生でした。
話を聞いたエシャンタ先生は、「では一番最後に面接をしましょう」といって下さいました。

学校に迎えにきた母にその事を話すと、何も聞かずに「頑張りなさい」と励ましてくれたのを覚えています。その頃は、まだあまり日本語の会話が上手ではなかったのですが、いっしょうけんめいに質問に答えました。その夜、一次面接は合格したという電話をもらった時は本当にうれしかったです。二次面接では、自分の気持ちと家族も応援してくれていることを、ただただ正直に話したことだけを覚えています。

-日本に来た直後はどうでしたか?

何もかもが初めて、まだ日本語もうまく通じなくて、これから10カ月いったいどうやってやって行くの・・・まったくわかりませんでした。でも、第一期生の私がうまくいかなかい事で、”スリランカの高校生は・・・”と思われてしまたら大変と、我慢しようと思いました。でも、ホストファミリーがとてもよい人たちで、本当の家族のように面倒をみてくださったので、少しず不安が消えて行きました。



-ホストファミリー、ホストスクールについて教えてください。

私の日本の家族、ホストファミリーはお兄さん2人、お姉さん1人の3人兄妹、でした。お姉さんは、AFSでアルゼンチンに留学した経験がありました。お父さん、お母さんはとても良い人。お母さんは、「お腹を痛めて産んだ子ではないけれど、私の娘」といってくれました。鶏肉以外の肉が苦手だった私の事を考えながら、おいしい食事をつくってくれました。

ホストスクールは、港区の三田にある、普連土学園でした。クラスメートも先生もとても親切にしてくれて。私がまだ分からない日本語の表現が出て来ると、他の言い方をみんなで見つけてくれたり、日本語の先生にもとてもお世話になりました。
キリスト教主義の学校で、毎日の礼拝、聖書の授業があり、自分が信じ、親しんできたのとは異なる宗教について学べたのはとても良い経験でした。

-ホストスクールでの学校生活にはどんな想い出がありますか?

学科では、家庭科が得意でした。自分の浴衣も作りました。書道も大好きでした。テニスや、バスケットボールもよくしましたし、京都と奈良の修学旅行も楽しい想い出です。h祭では、入口のアーチを作る係になりました。「FRIEND EXPO 2005」という文字を木材を切って作るのは大変でしたが、とても楽しかったです。

※この翌日、当時のLP(リエゾンパーソン)の方と再会したテジャニは、LPの方の計らいで、その足でホストスクールをサプライズ訪問。当時お世話になった先生方に、とてもあたたかく迎えていただきました。
翌週16日には、普連土学園の特色ある授業のひとつ、CCU(Cross Cultural Understading=異文化相互理解)の授業に飛び入りで参加する機会を頂き、南アフリカからの後輩AFS留学生を含む生徒のみなさんと意義深い時間を過ごしました。この場をお借りして、普連土学園の先生、生徒の皆様に、心より感謝申し上げます。

-スリランカに帰ってから、再び日本に留学するまでの事を。

帰国して、翌年もう一度、日本の高校2年生にあたる学年で勉強した後、Aレベル試験を2度受験しましたが、残念ながら合格点に達しませんでした。それでも、勉強、特に日本語の勉強をどうしてもしたくて、先生について日本語を勉強しながら、旅行会社や中古自動車輸入の会社で、日本語の通訳や日本語の書類の翻訳の仕事をしていました。そうして過ごすうちに、日本語、英語とスリランカの言葉の通訳をすることが大好きになり、「もう一度日本で勉強したい」という想いが強くなってきました。
もう、ホームシックどころか、”ジャパンシック”でした(笑)。

-大分の立命館APUでの学生生活について教えてください。

立命館APU(立命館アジア太平洋大学)は、学生の半分くらいが外国からの留学生のとてもユニークな、2000年にできた大学です。日本語、英語二つのコースを選んで受験して、入学したらその言葉で授業を受けます。スリランカからの留学生は50人ほどいますが、日本語で授業を受けるコースのスリランカ留学生は私が最初です。勉強しているのは、観光学で、将来、日本とスリランカをお互いに知ってもらうのに役に立つと思って選びました。

最初は寮生活をしていましたが、現在は日本人学生と一緒にルームシェア生活をしています。二人の会話は、日本語だったり、英語だったり。大学のプログラムで、大分県の島の小学校に英語の授業の手伝いにいったり、地域の小学校で、異文化紹介の授業に参加したりもしています。

-将来の夢はなんですか?

まず、大好きな日本語と、今やっている観光関係の勉強を活かして、日本で仕事をしたいです。卒業すると間もなく2020年、東京でオリンピックがありますので、その時は、日本で、外国から来るたくさんの人を迎える仕事をできていたらいいと思います。そして将来は、兄弟や家族で支え合いながら、、日本とスリランカを結ぶような仕事をするのが夢です。


-どうもありがとうございました。



今日も最後までお読み頂き、ありがとうございました。

新しく設定した目標額に向かって、残り30日、一人でも多くの方にこのプロジェクトを知ってもらえるように、努力を続けます。
どうぞ、応援よろしくおねがいします。


秋沢淳子
SPUTNIK International 一同






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