この作品『暗黒』の底に一貫して流れていて、言わば裏の主人公となっているのは、ヤン・ネポムツキー(ヤン・ズ・ネポムク、1340頃-1393年3月20日)です。彼は、現在のプラハの基礎を築き名君とされたカレル四世の、息子ヴァーツラフ四世(在位1378-1419)の時代に、プラハ大司教代理としてヴァーツラフと大司教の争いに加わり、そのためヴァーツラフの怒りにふれて拷問にかけられ、カレル橋からヴルタヴァ(モルダウ)川に投げ込まれて死んだ僧でした。
 
この出来事に後代のカトリックは、民衆の間からヤン・フスと、フス派軍を率いて常勝したヤン・ジシュカの記憶を消すために、第三のヤンを作ろうとして次のような話を付け加えたと言われています。
 
ネポムツキーはヴァーツラフの王妃の告解(ざんげ)僧でした。ある時ヴァーツラフは、王妃に愛人がいるのではないかと疑い、それをはっきりさせるために、ネポムツキーに王妃の告解の内容を話すように命じました。しかしカトリック信仰にとって告解は、その権威を維持するための秘跡の一つであり、聞いた内容は決して人に漏らしてはならないとされています。そのためネポムツキーは沈黙を守り通し、拷問にも屈しませんでした。そこでヴァーツラフは怒って、彼をカレル橋からヴルタヴァ川に投げ込み溺死させました。
 
しかし彼を川に投げ込んだ時五つの星が輝き、棕櫚(しゅろ)の葉をもった天使たちが彼の魂を天上に導いたと言われています。また人々は岸に流れ着いた彼の遺骸を埋葬しましたが、後に彼の墓を開いてみると、頭蓋骨の中で舌だけが腐らないで残っていました。カトリックでは聖人に列せられるためには、いくつかの奇跡が必要ですが、ネポムツキーには沈黙を守り通したために、その舌が神聖なものとなったとする、この奇跡が大きな力を持ちました。歴代のローマ法王によって彼は1721年に福者に、1729年に聖人に認定され、プラハでそれを祝う列聖式が盛大に行われました。これはチェコにおける対抗宗教改革の頂点をなすもので、本小説でもその様子が詳細に描かれています。
 
そして頭上に五つの星を付け、戒告の秘蹟を象徴する十字架を胸にいだいたネポムツキーの像が、プラハのカレル橋を始めとしてチェコ全土に広まり、片田舎の教会にもそれが見られるようになりました。
訳者は検索にgoogleを使っていますが、キーワード「nepomuk sochy」で検索して画像一覧を見ると、本プロジェクトのトップ画像のカレル橋の彼の像だけでなく、チェコ各地に残る実に多様な像(sochy)を見ることが出来ます。

 

 


 

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