家賃0円ハウス 暮しのすべてが無料の生活圏をつくりたい

支援総額

2,197,000

目標金額 2,000,000円

支援者
120人
募集終了日
2021年4月30日

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2021年03月09日 11:58

家賃0円ハウス|第6回|大人と共存するための大作戦


 若い人は親に理解されない。どうにか理解されたい、と悩んでいる人が多いですね。よく相談をされます。端的にいうとあなたのやりたいことを持続していれば、いずれ簡単に理解されます。ただ始める前は、まったく理解されません。当然です。あなたがこれからやろうとしていることは、新しすぎてご両親にはついていけないのです。ですが、あなたは親の考えを否定してはいけません。むしろ肯定してください。生き方はそれぞれに違っていてもいいのです。若くて柔軟なあなたがまずそのことを熱を持って伝えてあげてください。少し時間がかかるかも知れません。いずれ必ずあなたのことを両親は理解してくれます。
 あなたがこれからやろうとしていることを、誰かから理解されるのを目的にしてはいけません。この連載では何度もいっていますが、やっていることが楽しいかどうかなのです。よくおぼえていてください。ご両親は関係ありません。他人の評価はどうでもいいのです。あなたが興奮しているかどうかです。ワクワクしているかどうかです。まず試してみてください。親がやれせてくれない? 簡単です。これから書くことは荒業で、ご両親や社会を納得させる方法です。さきほど書いた熱を持って伝えるとは真逆の方法です。どうしようもないときの切り札としてお使いください。

 

 ①持続
 ②評価
 ③お金

 

 端的に言うとご両親の世代が納得する理由はこれだけです。あなたがするべきことが、もう見えてきているのじゃないですか? この3つのなかでどれが簡単にできますか? 
 わたしは②③をとりあえず無視しました。①の持続、これはお金なくても、それこそどんなに窮屈な社会でもできるのです。
 戦時中に便所に隠れて漫画を描いていた、手塚治虫先生をずっと見習ってわたしは生きています。戦時中は漫画を描いているだけで非国民だったのです。学校で漫画が見つかると、指導という名の暴力を受けてることになります。手塚治虫先生は戦火のなかで漫画を描きつづけました。家族が寝静まったあと、布団にもぐって闇の中でランプをつけます。そのほのかな灯でペン先の絵を照らしたのです。手塚治虫先生は死ぬ間際に、病院のベッドに横たわっていました。もう昏睡状態で漫画は描けません。ですが、手はペンを握っているような仕草で動いていたようです。息子さんは手塚先生の手にペンを握らせてあげたそうです。すると手塚先生は柔かな顔になったそうです。きっと先生は昏睡状態でも新しい漫画を体の中に生み落としていたんだと感じています。持続はどんな社会でも肉体の状態でもできます。手塚先生は戦時中でも死を目前にしても描いていたのです。あたなにもきっとできるはずです。わたしは手塚先生のように生きたいです。過去に生きた芸術家たちのように、死ぬまで創造しつづけて生を全うしたいです。それは売れていなくてもできます。手塚先生は売れてなくても死ぬまで描きつづけたと思います。

 

 

 親は無視してまずは、手を動かしてください。熱心に持続する姿を見たら親もきっと関心するはずです。人は持続している営みに感動するんです。あなたの持続を見ても感化されないご両親でしたら、ずいぶん損得経済に毒されている恐れがあります。その場合は持続は効きません。うちの父もそうでした。その場合は特効薬があります。あなたはウソをついてください。あ、そうそうウソはいけませんね。この連載を読んでくれている人ならもうウソではなく、あなたが生むべき言葉は何だかわかっているはずです。そうです。ミュトスです。ミュトスとは創作物語なのです。ですが損得から生まれたウソとはまったく違います。ミュトスとは自然から湧きあがったイメージなのです。あなたはしっかりとイメージを持ってください。
 
 いまから7年ほど前の話です。わたしは東京から引っ越して因島に住み始めたところでした。トークイベントに誘われて出演しました。ポツポツと仕事の依頼も来ていました。それでも父はまったく納得していません。トークをしても当時のギャラはせいぜい5千円くらい。それが一月に1〜2回あればいいほうでした。合計1万円です。
「そんなもんで食ってける訳ないだろ! せめてバイトでもしろっ!」
 そう何度もドヤされました。当時はわたしは「もう絶対にバイトしない」と覚悟を決めていました。それに月に10万円くらい作家で稼げているイメージを根拠なく持っていました。根拠のない自身は世の中では批判的に捉えられますが、肯定すべきものではないのでしょうか? これから何かをする人に根拠がある訳がありません。根拠のない自信は楽観的なものです。楽しいものなのです。自信にも楽しいイメージを持ちましょう。アホと言われてもオッケーです。誰も味方がいなければわたしに連絡ください。あなたの根拠のない自信を全身で肯定します。
 
 ある日。トークイベントに誘われたので、実家でバイクを借りて尾道まで出かけようとしました。父は激怒しています。

 

「ギャラはいくらなんじゃ! そんな食えもしないもんに時間を使うな!」
 

 わたしはイメージが湧いてきたので
「ギャラは10万円だよ」
 と言いました。本当はそのトークイベント、じつはギャラなしでした。ですがあまりに、わたしは堂々と10万円と言葉を発したのです。父は手のひらを返したように、

 

「気をつけて行ってこいよ!」
 

 笑顔で見送ってくれました。わたしは失礼だけど父のことをアホだと思いました。あ、また汚い言葉を書いてしまった。いけませんね。父はアホではありません。きっと素直な人なんです。お金があれば幸せだった裕福な人生を定年まで送れたのです。なので父のように考えて当たり前だと思います。10万円くらい月に収入があれば島での暮らしが余裕でやっていけることくらいは、当時の父にも理解できました。ようするにですね、あなたのイメージしていることが、社会現実の中でまったく達成されていなくても、あなたはあなたのイメージを言い切って生きましょう。ウソはいけませんが、ミュトスを伝えてください。そうすれば両親は簡単に納得してくれます。しかし間違ってはいけないのは、ホラを吹けって話ではないのです。重要なのは、あなたがやりたいことで楽しんでいることです。全身が歓喜していることです。それが毎日できていたら両親の批判なんて世界から消えてなくなります。あなたの人生はあなたの人生なのです。両親の人生ではありません。両親が幸せに生きたやり方で人生を計画できるほど、人生は単純ではありません。計算できないし偶然に満ちているのです。あなたはむしろ企画したことより、突発的に誕生したことを受け入れて変化してください。
 わたしは絵を描いたり本を書いたりすることが、いまだに楽しくてしかたありません。いまでは父もめちゃめちゃ応援してくれています。わたしに直接は言わないですが、親戚や元会社の同僚とかには自慢しまくってるそうです。わはは。しかもまだ会社で働いていて、どんどんブラックになってしまった社内に苦しむ元同僚に

 

「まだ会社で働いとるんか! うちの息子を見習って新しい生き方しろよ!」

 

 とまで言っているそうです。ふふふ。この父の変貌ぶりはわたしも計算外でした。わたしは父の発言に感化されるようにさえなりました。最近では

 

「わしらの時代は働けば働くほど裕福になれたんじゃけどなぁ。いまの若い子たちにそう生きさせるのは窮屈すぎるし、違うんじゃろうな。これからは遊ぶような感覚で生きることじゃな。大ちゃん(わたしのこと)やその友だちを見ていたら心からそう思うんじゃ」

 

 とまで言ってくれています。父はもともと文学が好きで鋭い洞察力を持っています。そんな父ですら、評価もお金もまったくない息子が以前は不安でしかたなかったのです。長い間、損得社会に同化して生きていたので、洞察力が鈍っていただけなのです。あなたたちの両親もきっとそうです。人間や生命そのものは歓喜するために生きているのです。戦後からしばらくは会社で正社員で働くことにも歓喜はあったと思います。いまも会社で働くことに喜びを見い出している人がいます。その人たちはそのままやっても幸せに生を全うできるでしょう。否定するつもりはありません。ですが、いま苦しい人はそこから逃げ出してください。両親から反対される場合はわたしのようにミュトスを使ってください。お金と評価をミュトスに変えるのです。あなたが楽しく創ったものに対してあなたが持ったイメージを両親に語ってください。イメージは湧き水です。宇宙の奥底から流れるように言葉を歌ってください。

 

 

 2016年くらいには、わたしの作家活動は随分と評価されるようになりました。ですが全然儲かりません。わたしには月10万円くらいは稼げているイメージは、ずっとありました。実際には当時の年収は60万円だったので、月にすると5万円程度です。ですがわたしは「月収10万円!」というミュトスを発しつづけました。まあ、親友からは嘘つき呼ばわりされましたが、全然平気です。わたしには確かなイメージがありましたから。すると翌年には年収120万円くらいになったのです。月10万円くらいの収入になりますね。イメージは現実化します。わたしの中でまったくお金は重要ではありませんが、世間では違います。その部分だけ世間に合わせていたらいいのです。食えてなくても食えてるって言い切ってください。作家を目指していますとか言ってはダメです。「作家です」とどうどうと言い切ってください。「収入も安定してます」と言い切ってください。世の中は単純なのです。評価とお金をミュトスしてください。

 

 ①自分のやりたいことが職業であると言い切る
 ②月収10万円であるというミュトスを伝える

 
 まずはここからはじめてください。両親はある程度納得してくれます。まわりの目も変わってきます。この社会は政治的にはすっかり複雑になってしまいました。ですが職業や、やたりたいことに対しては、単純なのです。あなたは社会を舐め切って楽しいことをするだけです。わたしがはじめてクラウドファンディングしたときに、200万円以上も支援を集めると聞いて、古い友人からは「260万円? 世の中なめるな!」とメッセージされたことがあります。きっと心配してくれて思わず怒ってしまったんだとは思います。いまはもう誰も心配すらしてくれません。わたしは世の中を舐めたから出来たことがたくさんあります。そうじゃなきゃ、0円で住むことができる共同体なんてつくろうと思いついても実行することなんてできません。まずはこのマジメ腐った社会をナメナメして楽しくやりたいことをやってださい。
 
 わたしは自分のうんちを発酵させて4万円で販売したことがあるって以前の連載でも書いたと思います。ジップロックにつめて1袋、4万円で個展会場で販売したのです。最初は売約済みのシールを貼ってうんちが売れたと、ウソをついていました。わはは。あ、ウソではありませんね。うんちはお金よりも価値があると思っているので、4万円なんて安いと思っていました。これは地底から湧きあがるイメージなのでミュトスです。個展に来たお客さんはうんちが売れていることにビックリしていました。わたしはその顔をみてニヤニヤしていました。ミュトスは上品なものだけではできていません。泥臭いギャグを含んでいるのです。うんちは4万円で売れるのは、わたしにとってギャグだったのです。そのギャグに感化された素敵な人たちがいました。なんと本当に4万円で買ってくれたのです。3つも売れました。アートで食っていきたいけど、作品が売れないと悩んでいる人は、売れてなくても売約済みのシールを貼ってください。すると何故か売れるようになります。一つ本当に売れたら「キャンセルになった!」と言って売約済みシールを剥がしてください。じつはわたし6年前は個展のときにそうしてました。当時は何とか作家活動で生計をたてる作戦を数々試しました。その後はいつも絵を買ってくれる人たちに、メールで絵の写真を送って展示前に購入してもらったりしていました。すると初日から売約済みのシールがついています。
 これはあくまでわたしのやり方です。あなたが楽しいと思う作戦を立ててください。もちろん出来そうな人はマネしていただいても結構です。世界はトレースでできています。ですがコピーはたんなるコピーに何故かなりません。わたしのマネをしてもあなたのオリジナルになっている筈です。なるべくフザけた作戦を立ててください。あなたのイメージのなかにある作戦です。
 楽しみまくってつくった作品が、だれかに届かないのはおかしいと6年前に思ったのです。いまや絵はかなり売れています。もうシール作戦をしなくても大丈夫になりました。あなたにも才能があります。あなたが創造することが楽しいのであれば、その才能は間違いなく本物です。まわりの人が気がついていないだけです。あなたなりの価値とお金のミュトスを炸裂させてください。
 さらには家賃0円ハウスに住むことをオススメします。ここに住めば、ほんのちょっとの収入でも生きていくことができます。家賃光熱費が0で畑や狩猟もできたら月1万円もあればめちゃリッチかもしれません。あなたは1万円で1枚絵を売ればいいだけです。楽しんで絵を描いてください。集中してください。すると心が安定します。そのときは1万円の絵を1枚売る作戦を立ててください。簡単です。6年前にほぼ無名だった、わたしのうんちが4万円で売れたんですよ。うんちより絵を売るほうがずいぶん簡単なはずです。あなたのやりたいことで生活するのも簡単です。楽しく持続するだけです。そう信じ込みましょう。
 
 この文をアトリエで書いていると弟のたかちゃんが部屋に入ってきました。
「今日って温泉に行くん?」と聞かれました。わたしは
「昨日、ミワコちゃん(わたしの妻)が行くっていってたよね? 行くんじゃないの?」
「だって、ミーミー(わたしの妻のこと)言ってることコロコロ変わるやん。計画通りいかんからイライラするわ」
 

 わたしは先ほどから人生の計画について書いていたので、びっくりしました。ミワコちゃんは自由で毎日を楽しんでします。それは何も計画しないからです。厳密にはさきほどの温泉のように

 

「明日は種まきしよ!」とか「パン焼こう!」「絵を描こう!」

 

 とか因島の椋浦という場所にお店をつくろうとしていたり計画はたくさんあります。しかし、それはお楽しみがたくさんある状態を楽しんでいるのです。計画を達成することが目的ではありません。朝起きたらパンを焼くと言ってたのに、部屋を覗くと絵を描いているときもあります。それはその瞬間にパンではなく絵を描きたくなったからです。先ほども書きましたが、人生は計画されたことよりも偶然を取り入れた方が豊かになります。ミワコちゃんの生活は豊かそのものです。わたしも彼女のように書くことにしています。事前に用意したプロットを書くだけではつまらないのです。その瞬間に浮かんできたイメージを書いています。そうすると書くことは楽しくなります。書く行為を重々しく感じている人も多いですね。もっと会話にように適当に書いてください。会話って間抜けだし適当でしょ? お酒のんで話している適当な感じで書いたらいいのです。そんなんじゃ伝わらない? そもそも言葉はあなたの考えを完璧につたえる機能は持っていません。あなたの言いたいことが相手が知っているときだけ伝わるのです。ほとんど誤解されている場合もあります。言葉の本質は思考することです。自分で考えることが重要なのです。完璧に伝わってしまうと人は考えることをやめます。便利に今の計画に満ちた損得社会に満映しています。会話は感覚的です。音楽的とすら感じています。だから誤解をふくめて何か感じるのです。感覚とはその瞬間に生まれるものです。事前に用意できるものではありません。湧き水のように奇跡的にあふれでるものなのです。水道の蛇口をひねれば出る水とは全く違います。水は地底からと空から降り注ぐものなのです。

 

 人間は生涯、シュミレーションをしながら生きているそうです。頭の中はずっとずっと未来への計画を立てています。あとは過去に起こったことから、推測するリスクヘッジをしています。わたしはこれらのことを無駄なことだと思っています。だって計画がある程度は必要かもしれないですが、その通りにはならないでしょ? むしろ計画通りならないときに、偶然生まれたアイデアが物事を推進させたりするのです。リスクヘッジをしすぎているのがいまの社会です。究極のリスクヘッジは何もしないことです。ですが自粛することでさらに生まれるリスクに社会は悩まされてはいませんか? 損得だけで経済をつくってしまったことから生まれたリスクで何かが崩壊しようとしています。それよりも楽しいことをイメージしましょう。イメージが湧いた瞬間にやってみましょう。やったことに対する責任? 責任という概念は損得社会の象徴です。若いあなたは責任を無視して大丈夫です。文句言ってくる奴がいたら、わたしが責任を持って対処します。若い人が負わされる責任なんて、この世界にはありません。もし責任を負うべき人間がいるとしたら大人です。大人が責任から逃げまくってるのに、若者に押し付けられるのは気が狂っているとしか思えません。
 
 あなたは楽しんでやりたいことをやってください。概念とは複数の人がそうだと思い込んでいるフィクションです。損得のフィクションに巻き込まれてはいけません。あなたのやっていることが、たった1人でも好きだといってくれたら価値になります。誰も好きと言ってくれない? あなたは損得の世界の住人に囲まれすぎているのかも知れません。わたしにあなたの作品や音楽や写真などつくったものを見せてください。まずはそこから試してみるのもいいかも知れません。わたしは若い人たちの作品にいつも感化されています。あなたはあなたのイメージを信じてください。親とあなたの人生は別のものです。ご両親はあなたの人生を本当は肯定したいのです。

 この社会を生き延びる方法はそれぞれに無限大にあります。もし思いつかなかったら連絡ください。わたしの出来うる限りの知恵を渡したいと思います。

 

 09067355815
 chiisaikaisha@gmail.com

 

 ラカンが「真理とは欲望を諦めないこと」とどこかで書いていた気がします。記憶違いだったかも知れません。ですがこの言葉がいま体のなかをグルグルまわっています。前回の連載では欲望は個人的なものなので、誰にも伝達しないって書いていた気がします。ラカンの哲学を受けて考えが変わりつつあります。まず欲望することから知恵は生まれるのかも知れません。世界や自然界は幸にあふれています。その幸を摘みとりたいと欲望します。その欲望に悪はなく、むしろ世界を肯定しているものに感じるからです。ジル・ドゥルーズはコミュニケーションはセルフ•エンジョイメントで出来ていると哲学しています。セルフ•エンジョイメントを直訳すると自己享楽です。つまりあなたの楽しさのことです。あなたが楽しいと世界も楽しいのです。あなたが楽しいことがコミュニケーションなのです。そうドゥルーズは哲学しました。楽しく欲望してください。損得ではない自然への欲望です。それはとても素直なことなのです。とにかく他人の目は気にせず持続してください。それはどんな社会でもできます。手塚先生は戦時中でも持続していました。ベルクソンは哲学者のなかでも「持続」という運動についてもっとも問いを深めた人だと感じています。持続運動を創りだすためには、直観が必要であるとベルクソンはいいます。直観とは「経験をその源泉まで探りにいくこと」とベルクソンは説いています。あなたはよりあなたらしい直観を源泉まで探りにいってください。苦しい人は損得経済にまどわされないで。必要なものはすべてあなたの体のなかにあります。
 
 

リターン

30,000


原画『欠けた何かをおぎない合うこと』

原画『欠けた何かをおぎない合うこと』

○原画『欠けた何かをおぎない合うこと』
岩絵具/顔料/色紙
242×273mm

○書籍『家賃0円ハウス』+お名前クレジット&作者のサイン付き

申込数
0
在庫数
1
発送完了予定月
2021年9月

30,000


原画『Sympathy for The human』

原画『Sympathy for The human』

○原画『Sympathy for The human』
岩絵具/顔料/色紙
242×273mm

○書籍『家賃0円ハウス』+お名前クレジット&作者のサイン付き

申込数
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在庫数
1
発送完了予定月
2021年9月

30,000


原画『欠けた何かをおぎない合うこと』

原画『欠けた何かをおぎない合うこと』

○原画『欠けた何かをおぎない合うこと』
岩絵具/顔料/色紙
242×273mm

○書籍『家賃0円ハウス』+お名前クレジット&作者のサイン付き

申込数
0
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1
発送完了予定月
2021年9月

30,000


原画『Sympathy for The human』

原画『Sympathy for The human』

○原画『Sympathy for The human』
岩絵具/顔料/色紙
242×273mm

○書籍『家賃0円ハウス』+お名前クレジット&作者のサイン付き

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1
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2021年9月
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