そのような謀があるとも知らずに、殺し屋ジェームス・ハンスはお気に入りの葉巻をふかしていた。アルセイドは部屋に塵を見るのも嫌うほどの神経質で、依頼をするときは必ずこのスモーキングルームに彼を通していた。

 それに大きな窓からは彼自慢の庭園を望むことができる。自然と一体化した風影式をとっており、色とりどりの華麗な薔薇が咲き乱れている。

 部屋の中は長い冬から解放され、暖炉をつけなくとも温かい。窓から差し込む光が大理石の柱をより白く見せた。

 執事は出払われていて部屋には二人しかいない。言葉少なにありきたりな会話を交わし、それが途切れたころに依頼の話になる。毎度のこととはいえ、ジェームスはこの張り詰めた空気があまり好きではなかった。

「いつ見ても見事な庭園ですね」

 しばらく続いた沈黙を破るようにジェームスは口を開いた。アルセイドの趣味は薔薇と毒だ。こう切り出せば相手の反応は目に見えていた。

「そうかね。最近素晴らしい薔薇を手に入れたのだが」

「ぜひ拝見したいですね」

 その言葉にアルセイドは満足げに微笑み、気持ちよさそうに白髪まじりの口髭をなぜた。

 しばらくして召使が鉢植えの一輪の薔薇を持ってきた。鮮やかな真紅の薔薇だ。先のとがった花びらが幾重にも重なりあい、大輪を形作っている。

「この間のオークションで大枚をはたいて買ったものだ。形も美しいが何よりもこの香り・・」

 自慢げに早口で語り始め、アルセイドは薔薇の茎に手をやり自分の鼻を近づけた。

 その瞬間、顔をしかめて茎から手を離した。親指の腹から薔薇の花びらへ血がしたたり落ちた。まるで真紅の薔薇から生きた血が流れたように生々しかった。ジェームスはそれを見て思わず高揚し、そんな自分を嘲笑してみせた。

 アルセイドは怒りをあらわにし茎をへし折った。つい先ほどまで自慢のコレクションだった一輪の薔薇は、無残にその花びらを床に散らした。

 ジェームスはその様子を驚きもせず静観していた。彼はアルセイドが自分に危害を加える者を許したことなど一度もないと知っていたからである。現にその怒りの矛先を今まで自分の手で抹殺してきたのだ。

 そんな依頼主を正気の沙汰ではないと思いながらも、大金を快く払う彼は大事な取引相手に違いはなかった。

 ジェームスは胸元からチーフを取り出すと相手に差し出した。アルセイドは一言礼を言うと傷口を押さえ、急に鋭い眼光をジェームスに投げかけた。

「実はもうひとつこの世から消したい薔薇がある」

 ジェームスは話が本題に入ったことを悟って顔を少しこわばらせた。

「プリムローズ。私の姪だ。今年16になる」

 言いながらアルセイドは写真を内ポケットから取り出した。

「どうだ。美しい娘だろう」

 ジェームスは思わず息を飲んだ。まるで人形のような華奢な肢体。背中まである緩やかなウェーブの髪。そして何もかも見据えたような凛としたまなざし。まだ少女だが大人びた表情だ。

 ジェームスは葉巻を灰皿に押し当ててて、捻り潰した。

「まだ子供ではないですか。簡単に仕留めることができてしまう。そんな仕事ではつまりませんね」

 彼は誘惑を振り払うために強く言い放った。こんなに美しい少女を殺してしまったら、人を殺す欲望が強くなることが目に見えていたからだ。

「頼もしい限りだが、こんなに簡単な依頼で金が稼げるのだ。悪い話ではないだろう。それに私はこの依頼にかけている。金を出し惜しむつもりはない」

 アルセイドは机の引き出しから小切手を出しペンを走らせ、つかつかと歩み寄るとジェームスに無理やり手に取らせた。

「前金で100万ポンドだ」

 ジェームスは不敵に一笑した。

「何かわけがありそうですね。あなたほど恵まれた生活をしている人がこんなに美しい姪御さんを殺したいだなんて」

「訳など彼女を一目すれば分かることだ。それから彼女と一緒に暮らしている召使たちも始末してくれ。仕える人間もいなくなるからな」

「家族はどうするんですか。まさかおひとりで住んでいるわけではないでしょう」

「その判断は君に任せよう。殺す必要もないかもしれないがな」

 意味ありげにそう言うと、アルセイドは言葉を続けた。

「今プリムローズは両親と数名の召使とともに余暇を過ごしているころだ。一人娘の彼女は両親から溺愛されていて、自分のために建てられた別荘に誕生日が近づくと2か月ほど滞在することになっている」

「16歳を目前に散らせるには惜しい薔薇ですね」

「確かに。だがこれもわが一族の名声に関わることだ。いたしかたあるまい」

 人一人の命などアルセイドにとっては先ほどの薔薇と変わりはない。むしろ愛情が注がれていた分薔薇のほうが存在価値が上なのかもしれない。

 殺しを依頼してくる人間など身勝手な輩ばかりだ。

 ジェームスは心の内で辟易しながら、葉巻に火をつけた。

「それから屋敷内を調べてほしい。報告をまとめたものは10万ポンドで買い取ろう」

「それは願ってもない報酬ですね。でもまだ気が乗らないのです」

「これ以上はまだ支払えない。君の仕事次第だ」

「金ではないのです」

「まさか心が痛むとでも言うのか」

 ジェームスは含み笑いをしてその返事はしなかった。

 プリムローズは写真で見るより美しいに違いない。そのような獲物を殺すことはこの先そうないかもしれない。

 彼の視線は自然と床に散らばっている花びらに移った。

 煙をゆっくりと吐き出すと、ジェームスはおもむろに小切手を内ポケットにしまった。

「わかりました。引き受けましょう。屋敷の住所を教えていただきたい」

 ジェームスがそう言うと、アルセイドは隣の部屋からガーソンを呼んだ。

 ガーソンは肩を震わせ勢い良く立ち上がると、標的の待つ隣の部屋に向かった。ドアを開けた瞬間、その男の顔がすぐに飛び込んできた。

 そこには殺し屋と呼ぶにはかけ離れた、あまりにも小綺麗な男が座っていた。広い額と伊達眼鏡が彼の知性を感じさせる。パイプが主流の今日、高級な葉巻を嗜好しているところなど、何も知らなければ上流階級の一紳士と思うだろう。

 この男がこれから自分が殺す相手・・そうガーソンが緊張を高めているとき、隣でアルセイドが彼を紹介し始めた。

「道案内および見届け役のガーソン・ストーンだ」

 ガーソンは喉が渇いて声も出なかった。挨拶もしないその様子に、ジェームスはすぐにガーソンがちゃんと教育を受けてきた者ではないと悟った。身なりはきちんとしているが外見だけだ。彼が使い走りの人間であることは間違いはなかった。

「見届け役ですか」

 いつもはそんな人間はついてきたことがない。ジェームスは早くもアルセイドの行動に疑問を持った。

「ああ。今回は特に間違いを起こせないのでね。彼には色々と任せていることもある。気に障ったかね」

 その弁解にジェームスは一笑して答えた。

「とんでもない。気を付けるにこしたことはないですからね。それでは今日はこれで」

「先に出て待っていてくれたまえ。ガーソンの身支度がある」

 アルセイドの要求にジェームスは素直にうなずくと立ち上がり、薄手のコートを手に取った。ドアの前まで来ると彼は踵を返した。

「先ほど素敵な薔薇を拝見しましたので、今度何か送らせていただきます」

「気にすることはない」

「いいえ。それでは紳士に対する礼儀にかけてしまいますので。それではストーン君、私は先に外へ出ているよ」

 にこやかに彼は言うと退室した。その瞬間、ガーソンは勢いよくしゃべりだした。

「アルセイド様、他のことならなんでも致します。僕に人殺しなどできませんよ。第一、彼は殺し屋なんかではないくらいいい人だったじゃないですか」

「外見で人を判断すると痛い目にあうぞ。彼はああ見えて数々の仕事をこなしてきた殺しのプロだ。最初に人を殺したのは実の母親だぞ」

「母親・・」

 ガーソンは絶句して二の口を継げなかった。

「油断のならない男であることは確かだ。だが私はもう一人おまえの他に仕事を命じている。一緒に同行はしないが少しは心強いだろう」

 アルセイドはエメラルドグリーンの瞳をわずかに細めるとガーソンを抱き寄せた。

「私は人を試さなければ信用をすることができない悲しい人間だ。このような大変な仕事をやってのけてくれたら、おまえは私を裏切らないと信じることができる。すべて終わったら私の息子となって一緒に暮らそう。だがそのためには親族の内情を知ることも必要なのだ」

 ガーソンはアルセイドの思いがけない言葉に驚き、彼のぬくもりとともに確かな愛情を感じた。家族の愛情を知らずに育ったガーソンは戸惑いながらも喜び、アルセイドを抱きしめた。

 この人には報いたいと心から願って。

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