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 プリムローズ・ホイックリ―の屋敷は街からだいぶ離れた小高い丘の上にあった。ジェームスはハイキングで道に迷った人間に扮し、この屋敷を探る計画を立てた。

 地図を片手に二人はなだらかな坂道を歩いた。汚れた靴も今かいた汗まみれのシャツも必要だ。ジェームス自慢の車で行くわけにはいかなかった。

 ジェームスはまた、二人が兄弟である設定まで作った。仕事に徹底した演出を凝らすのも彼の嗜好の一つだった。

 実際に彼らは本当の兄弟のように会話を楽しみながら半ばハイキングを楽しんでいた。美しい野鳥や草花を見つけては笑顔さえお互いに見せていた。この二人の不気味な関係を知らなければどこにでもいる仲睦まじい兄と弟だった。

 何度も坂を上ったり下ったりしている間に辺りが霧に覆われてきた。目的地に迷わないよう天候と相談しながらこのハイキングは続いた。

「ストーン君、足場が悪くなってきた。気をつけたまえ」

 いつの間にか二人の脇には大きな崖が口をあけていた。足元には鋭い岩が突き出ている。本来の道から外れてしまったようだ。

 ガーソンは慣れない山歩きでジェームスの足をたびたび引っ張った。ジェームスに時折手を差し伸べられながら先を急ぐ。そのたびにガーソンはまだ犯してもいない罪に罪悪感を覚えた。

 日がだいぶ傾き始めたころ、道がなだらかになり花畑に着いた。霧はすっかりと晴れ、春の優しい空気に包まれている。

 その花はプリムローズだった。踵ほどの丈に淡い黄色の頭。薔薇と呼ぶにはあまりにも素朴だが、愛すべき可憐な花だ。

 花畑は見渡す限り黄色いじゅうたんだった。どうやら溺愛されているというお嬢様の屋敷の敷地内に入ったようだ。

「あ、ジェームスさん」

 ガーソンの声と指の先にプリムローズが立っていた。夕陽で燃えるような山を背に、彼女はまるでオブジェのように立ち尽くしている。

 その時夕陽に透けた花々が黄金色に輝き始めた。金色のプリムローズの長い髪もきらきらと光り、若草色のドレスによく映えた。

 彼女の美しさはジェームスの想像以上だった。吸い込まれそうなアクアマリンの瞳。雪のような白い肌。通った鼻筋。そして薔薇色の唇。

 だが写真で見たような聡明なまなざしではなく、どこかうつろな表情で二人を見ている。

「何か様子が変ですよ」

 隣で言うガーソンにジェームスは頷いた。

「とにかく話しかけてみよう。哀れな迷い子としては早く食事にありつきたい」

 ジェームスは冗談めかして言ったが、こちらがまいってしまいそうなくらい腹が減っていた。

「同感です」

 ガーソンも逸早く同意し、プリムローズに歩み寄った。

 その様子を見て、プリムローズはくるりと踵を返し走り出した。

 とっさにジェームスも走り出した。気持ちは獲物を見つけた猟師に近いのかもしれない。彼は考えるよりも先に本能で彼女の背中を追っていた。

 山歩きで疲れてはいたがすぐにプリムローズに追いつき、プリムローズの細い腕を捕まえた。

 振り返るプリムローズを間近で見た瞬間、ジェームスはその美しさに思わず言葉をなくした。鼓動が高鳴り、しばらくの間見とれてしまった。

「兄さん」

 遠くで呼ぶガーソンの声にジェームスははっとして我にかえり、慌ててプリムローズの華奢な腕を離した。

「失礼しました」

 ジェームスはやっと口を開いた。

「貴女があまりにも美しいので言葉も出なかったのです」

 社交界でたくさんの貴婦人と会う機会はあったが、こんな台詞を本気で言うのはこれが初めてだった。しかも彼女はジェームスより一回りも幼い少女だ。

「実は弟とハイキングに来たのですが道に迷ってしまったのです。歩いても迷うばかりだし、日もだいぶ暮れてしまいました」

 そこで言葉を切った。ここまで言えば察してくれると思ったからだ。だが相手は空を見るようにジェームスを見つめ、瞬きもしない。

 ジェームスが困惑している間にガーソンが息を弾ませて追いついてきた。

「ひどいな、兄さん。急に僕を置いていくんだもの」

 ガーソンは本当の弟のようにジェームスに愚痴を言ってみせた。

「慣れない野宿をするよりましだろう。それよりも私を助けてくれないか。先ほど失礼なことをしてしまい、口もきいていただけないんだ」

「だめだな、兄さんは。綺麗な人を前にするとすぐにそれだ」

 ガーソンが茶化すとプリムローズはまるで花が開くように微笑んだ。その美しさにジェームスはまた彼女を見つめるよりほかできなかった。

「お嬢様」

 夕闇から声がすると一人の青年がブロンズの髪をなびかせて走ってきた。召使らしい粗末な服はあちこち土で汚れている。彼はずっとプリムローズを探していたのだ。

「リチャード」

 プリムローズは初めて声を出し、リチャードに抱き着いた。リチャードはそれを受け止めながら、ジェームスたちから彼女を離した。

「プリムローズ様、こんな時間まで出歩かれてはいけませんよ。あやまって崖にでも落ちては危険です」

「大袈裟ですね。彼女はそんなこともわからないような子供には見えませんよ」

 ガーソンが口を挟むとジェームスはそれを制した。

「やめなさい、ガーソン。見ず知らずの人に向かって失礼ではないか」

 無邪気に人をからかうガーソンにジェームスは内心狼狽してリチャードを見た。

「実はお嬢様にもお願いをしていたのですが・・」

「わかりますよ。その姿を見れば一目瞭然です。道に迷われたのですね。お泊めすることはできませんが、屋敷まで来ていただければ地図をお渡しいたしましょう」

 冷たいグレイの瞳はそれ以上の妥協はしないと二人に告げていた。淡々とした口調の中にジェームスは閉鎖的な何かを感じ取っていた。

「ありがとう。助かります」

 ジェームスは帽子をとり頭を下げたが、リチャードはそんな彼を無視してプリムローズの手を取り歩き始めた。

「失礼な人ですね」

 ガーソンが耳打ちをするとジェームスはふっと微笑した。

「彼がどんな人間であろうと、いなくなる人間のために心を乱す必要もないでしょう」

 リチャードと離れて歩きながらジェームスは小声で答えた。

「なぜ芝居を続けるんですか。標的は目の前。しかも今は背を向けている。ここでズドンとやればおしまいじゃないですか」

 本当は実際にそんな光景など目前で起きてほしくはない。ガーソンは声が震えるのを押さえながら、平然を装って言った。

「屋敷内の調査も依頼されていますからね。彼らから訊くこともあるでしょうから、ここは穏便に行きましょう。殺すことはいつでもできますからね」

 確かにその通りだった。ジェームスにとって二人を殺すことなど訳もないことだ。ガーソンは怖くなり鼓動が早まるのを感じていた。

「それに今回の獲物は今まで見たことのないような美貌の持ち主。一気に殺してしまうなんてもったいないじゃないですか」

 笑みを浮かべながら何事でもないかのように言う彼に、やはりジェームスは殺し屋なのだとガーソンは再確認をした。前を歩いている二人の運命はもう決まってしまったも同然なのかもしれない。

 このような恐ろしい男を果たして自分は殺すことができるのだろうか。

 ガーソンは背筋を凍らせながらも動揺を悟らせまいと必死で笑顔を作った。

 その時、ガーソンはジェームスの眉間にしわが寄っているのを見た。一瞬見せたその辛そうな表情に、違和感を感じながらも彼は思わず口をつぐんだ。

 しばらくして屋敷に着いたが、リチャードは後ろにいた二人に断りなく中に入っていってしまった。

 呼びかけても応答がない。あたりも次第に暗くなってきた。

「もう、我慢できません。中に入りましょう」

 ガーソンはしびれを切らして言った。

「いや、それは紳士のすることではない」

「礼儀知らずなのはお互い様ですよ。それにここに入らなければ僕たちの目的は何も達成できないじゃないですか」

 ジェームスはその言葉に「その通りだ」と肩をすくめた。仕方なく扉を開けて二人は屋敷の中に入った。

 

 

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