7つの冊子に記録された被爆体験を一冊の本にし、未来の世代に繋ぎたい

7つの冊子に記録された被爆体験を一冊の本にし、未来の世代に繋ぎたい

支援総額

1,519,000

目標金額 1,500,000円

支援者
114人
募集終了日
2021年12月24日

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2021年11月24日 06:45

「原爆、忘れまじ」第一集から 「妹のこと」

「妹のこと」
 M・Kさん(当時 十七歳)

 わたしはそのとき、先隣の庭先にある防火用水の水を、その家の主婦に頼まれて手伝っていた。家を出るとき、飛行機の爆音を聞いたが、さして気にとめなかった。警戒警報が解除されていたからである。朝から暑い日が降りそそぎ、今日も一日、暑くなるなと思いながら、先隣の庭先へ行き、水槽をそこのおばさんと「一、二の三」と気合を入れてひっくりかえした。金魚が二匹、緑色に腐った水と一緒に流れ出てはねていた。
 わたしはその一匹をつかんで、そばにあった洗面器の中に入れ、もう一匹をつかんだかつかまないか、その瞬間、原爆はわたしの頭上で炸裂した。炸裂といっても、わたしはドカンという爆発音を聞いていない。ピッカーと青白い光が、あたりのものを浮きあがらせたようにも見えたし、また、あたりのものが光の海の底に沈んだようにも見えた。そして強烈な圧縮音としか言いようのない「バッシッ」という衝撃で、三、四メートル離れたところにあった掘りかけの防空壕に吹きとばされた。
 わたしはとっさに、「やられた」と思った。つまり敵の直撃をうけたと思ったのである。ここで死ぬのかと思い、口惜しいような情けないような気持ちで、雨あられと降りそそぐ瓦礫の中で、必死に自分を支えていた。
 どのくらいそうしていただろうか、あたりがやっと静かになったので、頭をあげてみると、もうそこは別の世界になっていた。さんさんと輝いていた太陽は消えうせ、あたりが暗くなり、よく見えない。しばらく目をこらしてみると、家が押しつぶされているのが目に入った。
 それまでの知識では、空襲では家は吹きとぶものと思っていた。事実、そう教えられていた。爆弾は大きな穴をうがってあたりのものを吹きとばすと……しかし、目の前の家は、吹きとぶのでなく、踏みつぶしたように屋根が落ちていた。そして目の前に、この世の人とも思えない人が現われて来た。今まで見たことのない様相である。近所の人に違いないのに、まるで見覚えがなく、その人たちも血を流しているわたしを見ても、声一つかけてくれなかった。
 ふっと気づいて足元を見ると、先程まで一緒に水を替えていた先隣の主婦が倒れているのである。よく見ると、爆風によってずたずたになって死んでいた。あまりのことにわたしは動転して、一体、何がどうなっているのか考えようとしても考えがまとまらず、とうとうやられたという絶望感に襲われた。
 母が倒壊した家の中から這い出て来たとき、ああよかったと思ったとたん、背中が火がついたように痛み出した。やけどをしていたのだが、母の顔を見るまでは、痛みも感じず呆然としていたのである。
 その痛みは強烈だった。母が、「やけどをしている、どうしてだろう」と首を傾げたが、わたしにも理由はわからなかった。ピカッと光った閃光を、熱いとは感じなかったから、原因がわからなかったのだが、あとでわかったのだけれど、その何万度という熱で、人間の体から皮膚をはぎとったのである。
 すぐ前の神崎小学校が救護所になっていたが、小学校もつぶれ、仕方なく江波の陸軍病院へ行った。途中で、あまりにも物すごい負傷者なので、直撃にしてはおかしいと思った。陸軍病院に向けて大行列ができていたからである。真っ黒にすすけた人、大やけどをした人、血を流した人、だれもまともな恰好はしていなかった。ぼろぼろの布をまとい、髪は逆立ち、顔はふくれ上がり、目も鼻もわからない。本能的というように、江波の陸軍病院を目ざしているのであった。その列の中に入れば、自然に陸軍病院に着く。蟻の行列のように人々はもどかしげに歩いた。
 江波の病院に着くと、もう大勢の人でごった返していた。今思いかえしても、そこが広かったのか狭かったのか記憶にないが、傷ついた人たちが長蛇の列を作っていたのと、あとからあとからつめかける怪我人の中には、腸のとび出した人もいて、よく歩けるものだと、わたしは感心したのを憶えている。
 医薬品はすぐに底をついたらしく、わたしの番がまわって来たときは、バケツのアルコールはどろどろ、ガーゼは雑巾のようになっていて、思わず身をよけたが、兵隊達が荒あらしい治療をしていた。そのせいか、背中の痛みは一向に去らなかった。
 わたしには妹が二人いるが、上の妹が市役所の裏の雑漁場町というところに建物疎開のあとかたづけに行っていて、安否が気づかわれたが、どうすることもできなかった。
 翌朝早く、そこを出発した。まず自分達の焼け跡をたしかめ、妹が帰った形跡がないのを知ると、町の中に入って来た。母とわたしと下の妹の三人である。驚いたことに街は死の街に変わっていた。大小さまざまの死骸がころがり、水のあるところに集中して折り重なっていた。
 わたしは息をのんだ。どうして一晩でこんなに変貌したのか。一体どんな爆弾だったのだろう。噂に聞いていた殺人光線というのではないだろうか。広島全体をなめつくすほどの爆弾、それも警報解除のあと、落された。兵隊や警防団たちは、何を見ていたのか。わたしは怒りにふるえ、本当にガタガタとふるえていた。
 母が急に足を早めだした。あたりには沢山の女学生達が無惨な恰好で死んでいたが、それには目もくれず、まるで糸をたぐられるように急ぎ出した。わたしは前日、怪我をしていたから追いつくのが辛かった。
 住吉橋、明治橋と渡って、鷹野橋に出て、母は右に曲がった。日赤の前をすぎ、電鉄に来たとき、母はそこで足をとめた。そしてはじめて声を出した。「うちのエニ子はおらんね」すると、足元から「おかあちゃん」という声が立ちのぼった。弱よわしかったが、まぎれもない妹の声であった。そのときの感動をいまも忘れえない。もう少しそこに着くのが遅かったら、妹はどこかに運び去られているところだった。兵隊達がトラックにそのあたりの死傷者を積みこんでいる最中であった。
 わたしたちは巡ぐり会ったことを神の加護と思い、喜び合ったが、妹は、「目をやられた」と言い、目で互いの無事を確認できないのをくやしがった。そして「水、水」と訴えたのだがあたりに水はなかった。
 身動きも出来ない妹を日赤病院に運んだが、そこもまた足の踏み場もないほど死傷者で埋まっていた。そこでは三分の二以上やけどしたものには手当をせず、かわりに「水をやったら死ぬぞ、水をやったらいかんぞ」とわたしに言った。わたしはその言葉にうなづいた。
 母が耳よりなことを聞いて来た。小便がやけどに効くというのである。母は、臆せず人前で小便をし、それを妹の体に塗っていた。いまもその光景を思いうかべると、胸がいたくなる。妹はしきりに水を欲しがったが、わたしは水を飲むと治らんからと言って応じなかった。
 そこにいても仕方ないので、また江波の知人を頼ることにした。下の妹が焼けあとから押せばどうにか動く手押車を見つけて来て、それに乗せ、朝来た道を引き返して行った。
 江波の知人宅の家には井戸があって、冷たい水がふんだんにあったが、わたしは頑として妹にやらなかった。「水、水」と悶える妹をわたしは見ていた。非情な姉と思ったことだろう。いまもそれがざんきに耐えない。
 妹は全身、大やけど、身動きもできない重態であったが、意識ははっきりとしていて、そんなになった体で、まだ国のことや天皇の身を案じていた。骨の髄まで軍国主義をたたきこまれていた当時のものは、こうだったのである。だが、国や天皇は彼らのために何をしただろう。その当時そうして死んだものが、あわれでならない。
 その夜妹は死んだ。あれほど飲みたかった水を一滴も飲ましてもらえないで、ただただ国のことを思って死んだ。わたしは彼女を見守っていたが、彼女が息を引きとったとき、激しい怒りにふるえていた。「どうして、なぜ、だれが、妹をこんなにしたのか。妹が何をしたというのか」わたしははじめてそのとき目覚めたような気がする。今日のわたしは、その時点で生まれたと言っていい。
 それからまた妹を引っぱって五日市へ行った。火葬するためである。広島市内でも至るところで死体を焼いていたが、ゴミのように山積みにして焼いていたので、わたし達はそんな火葬はしたくなかった。一人で焼きたかった。だからもう腐りかけた妹を引っ張って、五日市まで行ったのだが、五日市の火葬場も足の踏み場はなかった。釜が作動していたかどうか記憶にないが、みんな地面に穴を掘ってそこで焼いていた。わたし達もいち早く穴を占拠し、すばやく焼いた。それもやはり母の叱咤があってのことだったが、次から次に運びこまれる死体は、見るまに山積みになり、悪臭と人を焼く臭いと入りまじって、わたしはなんどか吐気をもよおした。母は我が子が焼けるのをじっと見守って火の番をしていた。
 白骨になった妹の骨を、わたし達母子は拾ったが、何に拾ったのか記憶がない。妹を焼いたあとの穴を、もう人が待ちうけていてゆっくり拾えなかったのを憶えている。わたしたちは追い立てられるように白骨になったばかりの妹を抱いて、その場を離れた。
 妹は、僅か十五歳、蕾の乙女であった。その蕾は開くことなくその生涯を閉じた。こういういたいけない死者は妹ばかりではない。平和という言葉すら知らずに死んで行った彼女たちに、わたし達がいまできることは、この戦争のない世の中を守り抜くこと、核兵器廃絶をめざすことである。世の中はいま、大きく右に旋回しているが、これをくいとめるのがヒロシマ・ナガサキである。わたしは妹が嘆くようなことだけはしたくない。安らかに眠ってほしいと思う。あの全身赤むけになった体を鞭打つようなことだけはしたくない。彼女たちが本当に安らかに眠れるのは、あの世ではなく、この世の恒久の平和、ゆるぎない平和の中である。
 

リターン

3,000


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3,000|応援コース

・感謝の気持ちを込めてお手紙を送らせていただきます。
・リターン費用がかからない分、いただいたご支援金はクラウドファンディング手数料やリターン費用を除き、「原爆、忘れまじ」の制作費用に充てることができます。

支援者
17人
在庫数
制限なし
発送完了予定月
2022年8月

5,000


5,000|「原爆、忘れまじ」セットコース

5,000|「原爆、忘れまじ」セットコース

・復刻したこの7冊に、あらたに作成する解説冊子を加えた8冊を箱入り書籍として制作します。
・5,000円を一口として、一口につき8冊箱入り書籍1セットをお送りいたします。二口のご支援であれば、箱入り書籍2セットとなります。
・ご支援いただいた全ての方に、解説冊子編集委員会から編集中定期報告(毎月予定)を送ります。亡くなった被爆者の方が残された資料や掲載されなかった証言などを、編集中の議論を紹介しながら報告します。
・編集委員会に寄せられた支援者のお便りもご了解を得て解説冊子に加えさせていただきたいと考えています。

支援者
42人
在庫数
955
発送完了予定月
2022年8月

10,000


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10,000|応援コース

・感謝の気持ちを込めてお手紙を送らせていただきます。
・リターン費用がかからない分、いただいたご支援金はクラウドファンディング手数料やリターン費用を除き、「原爆、忘れまじ」の制作費用に充てることができます。

支援者
41人
在庫数
制限なし
発送完了予定月
2022年8月

30,000


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30,000|プロジェクト参加コース

・あらたに作成する解説冊子にてご支援者様のお名前を掲載させていただきます。
・「原爆、忘れまじ」を通じて、被爆体験について語り継がれていくにあたり、本リターンをご支援いただいた方のお名前も記録され残される形となります。

※お名前の掲載に関しては希望制とさせていただきます。
※ご不要の方については、お手数ですが質問事項にて「不要」とご記載ください。

支援者
10人
在庫数
制限なし
発送完了予定月
2022年8月

100,000


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100,000|プロジェクト参加コース

・あらたに作成する解説冊子にてご支援者様のお名前を掲載させていただきます。
・「原爆、忘れまじ」を通じて、被爆体験について語り継がれていくにあたり、本リターンをご支援いただいた方のお名前も記録され残される形となります。

※お名前の掲載に関しては希望制とさせていただきます。
※ご不要の方については、お手数ですが質問事項にて「不要」とご記載ください。

支援者
5人
在庫数
制限なし
発送完了予定月
2022年8月

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