「原爆、忘れまじ」のことがNHK名古屋で放映されました
皆様、ご無沙汰しています。 「原爆、忘れまじ」のことがNHK名古屋で2月28日放映されました。 「原爆、忘れまじ」が少しでも広がる助けになると嬉しいですね。これからも、若い世代に届…
もっと見る皆様、ご無沙汰しています。 「原爆、忘れまじ」のことがNHK名古屋で2月28日放映されました。 「原爆、忘れまじ」が少しでも広がる助けになると嬉しいですね。これからも、若い世代に届…
もっと見るずいぶん長い間お待たせしましたが、皆様のお力添えで完成した「原爆、忘れまじ」復刻版と「お礼状」を本日発送いたしました。 発送に使ったのはヤマトのメール便です。今回発行・印刷に協…
もっと見る「原爆、忘れまじ」復刻プロジェクトの公式ホームページです。 プロジェクト関係の資料がいつでも見られるよう今後も維持していく予定です。 https://www.wasuremaj…
もっと見る8月5日の『中日新聞』朝刊県内版と本日の『毎日新聞』朝刊県内版に、復刻事業のことが紹介されました。ありがとうございました。(添付写真は『中日新聞』) 8冊の冊子を入れる箱がまだ届い…
もっと見る7冊の「原爆、忘れまじ」の復刻版に続き、新たに編集をした8冊目の冊子が、今週刷り上がりました。 暖かいオレンジ色の表紙のイラストは、漫画化志望の20歳代の青年、本文中のイラスト…
もっと見る「編集委員会だより(ニュースレター)第3号」ができました。以下の「資料室」にあります。「お知らせ」のページからご覧ください。 ホームページ(資料室) https://www.w…
もっと見る「編集委員会だより(ニュースレター)第2号」ができました。以下の「資料室」にあります。「お知らせ」のページからご覧ください。 ホームページ(資料室) https://www.w…
もっと見るご支援いただいた皆様 その後の報告が遅くなって申し訳ありませんでした。 やっと「編集委員会だより(ニュースレター)」とホームページ(資料室)ができました。トップページはまだデザ…
もっと見る今回のクラウドファンディングは、多くの皆様のご支援で無事達成することができました。心から感謝いたします。本当にありがとうございました。 インターネットの空間はまるで大空に向かっ…
もっと見るS・Nさん (当時21歳) 私は昭和19年(1944年)8月1日より、長崎三菱兵器製作所大橋工場へ、女子挺身隊員として勤務していました。 1945年8月9日朝、夏の青空はあくま…
もっと見る映画のご紹介です。(「サイカルジャーナル」から) 核問題に関心がなかった被爆2世の女性が制作 竹内道さんとサーローさん 映画は自主制作で、上映が実現するまでには紆余曲折がありま…
もっと見るY・Hさん (当時17歳) 本当のことをいうと、もういやですよね。あんなにすさまじい事を思い出すのは‥‥‥。 8月1日の空襲で、三菱造船の建物は窓ガラスはほとんどありませんでし…
もっと見るN・Mさん (当時17歳) 昭和20年8月11日両親姉妹と朝早く国鉄の汽車で小長井駅から長崎へと向かいました。昨日(8月10日)は道ノ尾駅でストップでしたが、今日はノロノロ運転で…
もっと見る原爆が投下されたとき、長崎や広島の街には、朝鮮半島から渡ってきた人や留学生、それに連合軍の捕虜などがいました。 戦後、それぞれの国に帰国したこれらの人たちや、海外の国々に移り住んだ…
もっと見るM・Fさん (当時13歳) 広島市上流川町、広島女学院高等女学校の校舎2階、2年2組の教室で、体を悪くして、学徒動員に行けなかった残留班4人で、図書室から本を持ってきて読んでいま…
もっと見るS・Aさん (当時21歳) 今年の夏で44回目の忌わしい思い出の日を迎える。長い日々であったがすぎれば束の間である。 あの日は、朝食の途中であった。思い出したくない死者に対して…
もっと見るS・Kさん (当時33歳) 被爆前、大手町八丁目に住み、夫は県庁警察部警務課に勤務し、そこで爆死しました。 長男6年生が、私の実家三次市に疎開していましたので、私は昭和二十年五…
もっと見るK・Aさん (当時二十歳) 私は長崎で被爆した者です。6人家族で静かで平和な家族でしたが、一瞬にして一人ぼっちになりました。私は幸い投下中心地から三キロ地点におりましたが、家は中…
もっと見る核兵器禁止条約と日本 ドイツの「参加」見習え 2021/11/26 6:00 12月にも誕生するドイツの新政権が核兵器禁止条約の締約国会議にオブザーバー参加するという。核なき世界…
もっと見る岸田文雄様 第 100 代総理大臣へのご就任おめでとうございます。広島の代議士である貴殿が 日本国のリーダーとなられたことを心強く感じています。 2018 年 12 月に貴殿と…
もっと見る72歳で他界した叔父は、定年退職後、原爆資料館で通訳のボランティアをしていました。 勿論、定年退職後に英語も習って。 私の叔父は2人が白血病でした。祖父は被爆しています。 広島の祖…
もっと見るH・Tさん (当時 二十一歳) 夏八月、終戦、月日は巡り今年は四十回目の終戦の日を迎えます。あの日、あの場所にいたら、当然あの場所にいるはずの私なのに。 八月五日夜の空襲警報の…
もっと見る第一回の復刻版編集委員会を開きました。 Zoomで千葉県から最年少(20代)の被爆3世も参加し、今後編集委員会のホームページを作成するなどSNSを積極的に活用していくと同時に、We…
もっと見るK・Aさん (当時十二歳) 毎年八月六日を母の命日ときめて、姉と二人で供養して四十年間、あの日のことは、忘れようとしても忘れられるものではありませんでした。 当時、父親はすでに…
もっと見るY・Nさん(当時二十歳) ピカッと一瞬閃光が走り、次の瞬間には片方に寄せつけられ建物の下敷になっていました。あの日から四十年、幾多の友は逃れる事すら出来ず灰となりました。 昭和…
もっと見る「原爆、忘れまじ」は第一集から第七集まで作られました。それぞれに十数人の被爆した女性の手記が掲載されています。その手記の一部をこの「新着情報」で少しづつ紹介しています。 二回目は…
もっと見る「妹のこと」 M・Kさん(当時 十七歳) わたしはそのとき、先隣の庭先にある防火用水の水を、その家の主婦に頼まれて手伝っていた。家を出るとき、飛行機の爆音を聞いたが、さして気に…
もっと見る3,000円
・感謝の気持ちを込めてお手紙を送らせていただきます。
・リターン費用がかからない分、いただいたご支援金はクラウドファンディング手数料やリターン費用を除き、「原爆、忘れまじ」の制作費用に充てることができます。
5,000円
・復刻したこの7冊に、あらたに作成する解説冊子を加えた8冊を箱入り書籍として制作します。
・5,000円を一口として、一口につき8冊箱入り書籍1セットをお送りいたします。二口のご支援であれば、箱入り書籍2セットとなります。
・ご支援いただいた全ての方に、解説冊子編集委員会から編集中定期報告(毎月予定)を送ります。亡くなった被爆者の方が残された資料や掲載されなかった証言などを、編集中の議論を紹介しながら報告します。
・編集委員会に寄せられた支援者のお便りもご了解を得て解説冊子に加えさせていただきたいと考えています。
10,000円
・感謝の気持ちを込めてお手紙を送らせていただきます。
・リターン費用がかからない分、いただいたご支援金はクラウドファンディング手数料やリターン費用を除き、「原爆、忘れまじ」の制作費用に充てることができます。
30,000円
・あらたに作成する解説冊子にてご支援者様のお名前を掲載させていただきます。
・「原爆、忘れまじ」を通じて、被爆体験について語り継がれていくにあたり、本リターンをご支援いただいた方のお名前も記録され残される形となります。
※お名前の掲載に関しては希望制とさせていただきます。
※ご不要の方については、お手数ですが質問事項にて「不要」とご記載ください。
100,000円
・あらたに作成する解説冊子にてご支援者様のお名前を掲載させていただきます。
・「原爆、忘れまじ」を通じて、被爆体験について語り継がれていくにあたり、本リターンをご支援いただいた方のお名前も記録され残される形となります。
※お名前の掲載に関しては希望制とさせていただきます。
※ご不要の方については、お手数ですが質問事項にて「不要」とご記載ください。