プロジェクト概要

プロジェクトの終了が報告されました

 

2014年9月の集中豪雨により発生した京都府にある神社境内の

土砂崩れ対策を実施し、安心な暮らしと憩いの場所を取り戻したい

 

はじめまして。私は、日本三景「天橋立」で有名な京都府宮津市にある和貴宮(わきのみや)神社の禰宜(ねぎ)を務めている嶋谷知彦と申します。私は、近年の過疎と少子高齢化の影響で、氏子(うじこ)が減少し無人化した周辺神社の管理も代行しており、市街地の丘陵「桜山」にある本荘神社もその一つとなっていました。

 

そのような状況下で、2014年9月の集中豪雨により、本荘神社境内の側面が土砂崩れとなり、隣接する民家に危険が迫り、命に関わる事態となりました。地元の皆さんと京都府へ要請を続け、対策工事を頂くことになりましたが、工事前に行う「測量費用」に関しては、法律で本荘神社が負担しなければならず、工事が難しい状況となってしまっています。

 

隣接住民が安心して暮らせるように、またかつて市民の憩いの場として親しまれていた桜山地区を取り戻せるように、測量費のご支援をお願い致します。

 

2013年9月、集中豪雨で土砂崩れが発生し、「災害対策基本法」に基づき、宮津市によるブルーシートを貼る応急措置が施されました。

 

憩いの場所が失われていると同時に

危険と隣り合わせで過ごしている方がいます

 

丘の上に位置する本荘神社の境内には、桜山児童遊園があり、地域住民を中心とした周辺自治体の負担で維持され、市民に慣れ親しまれてきました。しかし、過疎と少子高齢化による住民の減少が続き、遂に一昨年前に遊具が撤去され、人の訪れが少なくなりました。

 

また、本荘神社境内の崖が集中豪雨によって崩れ、本荘神社のお社には被害がありませんでしたが、この3年間、梅雨、雷雨、台風、積雪等の度に、崖の側に暮らしている皆さんの危険と不安は相当なもので、住民の方々の安全な暮らしを守りたいと考えておりました。

 

2014年10月、集中豪雨で更なる土砂崩れが発生し、民家に一層危険が迫りました。

 

2015年5月 梅雨を前に更なる土砂崩れに備え、宮津市によって「矢板」が設置されました。

 

市民の皆さんを守り、憩いの場としての機能を取り戻すために

京都府へ要請を続けました

 

対策工事ができないかと京都府に要請を続け、宮津市議会議員を勤められる星野和彦氏に相談したところ、関係者との調整や法律の検証等を推進いただき、本荘神社が果たしてきた「市民の憩いの場」としての「桜山」再興に向け本格的に動き始めることになりました。

 

[時系列の概況]

2013年5月 神社の境内「桜山」北東部で法面がずれ始める。

2013年9月 集中豪雨で土砂崩れが発生し、「災害対策基本法」が適用される

        宮津市によるブルーシートを貼る応急措置で対応。

2014年10月 集中豪雨で更なる土砂崩れが発生。

2014年12月 宮津市議会本会議の一般質問に於いて、星野和彦議員が本件の対策

        を採り上げ、井上正嗣市長のご尽力を賜り、地元自治会の皆さんと

        共に京都府への「急傾斜地の崩壊による災害の防止に関する法律」

        適用に向けた陳情と関係者との調整を開始。

2015年5月 梅雨に備え、宮津市による矢板設置工事が実現。

2016年3月 京都府と宮津市で「急傾斜地の崩壊による災害の防止に関する法律」

        に基づく本格的な対策工事の予算化が実現。

 

2016年3月時点の土砂崩れ現場。「矢板」に代わる根本的な対策工事が待たれます。

 

対策が行われることで、安全な暮らしを取り戻せます。

しかし、工事前の測量費用を負担しなければなりません。

 

工事は、「急傾斜地の崩壊による災害の防止に関する法律」に基づき行われ、鉄筋コンクリートで蜂の巣状に斜面を固め、その合間に緑を植えるというものになります。今回、京都府が請け負うため、その斜面は、上記法律に従い、本荘神社から工事を行う京都府宮津市へ無償譲渡することになりますが、その際に測量をすることが欠かせません。

 

そして法律では、神社がその測量費を負担しなければならないとされています。神主と氏子不在の本荘神社だけで、負担することが難しく、測量費用を皆さまにお願いしたと思っております。

 

※土砂崩れ対策工事は、2016年6月~2017年3月を予定しております

 

2015年12月4日、京都府から住民及び関係者へ「万町地区災害関連緊急土砂対策事業に係る事業計画」の説明会が開催されました。

 

京都府が行う土砂崩れ対策工事「斜面対策工(吹付枠工+鉄筋枠工)」の説明資料。

 

安心でたくさんの笑顔が生まれる桜山地区となり、

全国の維持が困難な神社の先例となっていきます

 

​工事が完遂できましたら、近隣住民の危険と不安を取り除くことができ、再び市民の憩いの場として桜山が復活することができると考えております。また、由緒ある桜山地区を残せることで、歴史を後世に伝えていくことができます。現在、宮津市が取り組んでいる「宮津天橋立の文化的景観地区」選定を目指す第一歩ともなり、今後より多くの方に足を運んでもらえる機会となるでしょう。

 

本荘神社だけではなく、近年の過疎と少子高齢化で氏子(うじこ)が減少し、全国で多くの神社が維持困難な状況に直面しています。本件のような災害が発生した時、全国の無人化した神社の「対処法の先駆け」となることを祈念し、最後まで進めさせて頂きたいと思います。そのためにも、皆様からの温かいご支援をお待ちしております。

 

毎春、本荘神社の参道は桜の名所になります。

 

●桜山地区の歴史●

 

細川藤孝(後の幽斎)・忠興父子による「宮津城」築城前の戦国時代には、大久保山城がありました。作家の三浦綾子さんが著した「細川ガラシャ夫人」の小説に於いては、父・明智光秀が山崎の戦いで羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)に敗れ、討ち取られた悲報を、娘の細川玉子(後のガラシャ)が、この大久保山城で聞いています。

 

本荘神社は、江戸時代から明治維新まで約百年間に亘り宮津藩(7万石)を治めた本荘家を祀るもので、本荘家は、江戸時代のシンデレラ物語の主人公として時代劇にも度々登場する「桂昌院」の異母弟 本荘宗資が大名に取り立てられ、息子の資俊より松平姓を許されました。元々、紫野にある今宮神社門前の八百屋の娘・お玉さんは、数奇な運命を経て、春日局に見染められ、徳川3代将軍・家光の側室となりました。その後、5代将軍・綱吉(生類憐れみの令で有名)を産み、桂昌院として大奥で絶大な権力を振るいました。

 

幕末には、第6代藩主 本荘宗秀が寺社奉行、大阪城代、京都所司代、老中、第2次長州征伐副総督等の幕府要職を歴任しました。

 

明治6年の廃城令で現存する遺構がほとんど残っていない旧宮津城の二の丸庭園から本殿と石橋・灯篭が移設されました。境内の桜山児童遊園跡広場は、幕末の黒船騒動に備えて砲台を作る為に山を削った跡で、その西側は、太平洋戦争時の防空壕がありました。今から71年前の1945(昭和20)年7月30日の宮津空襲は、一般市民から戦死者15名、負傷者一説に約60名にのぼったと言われ、桜山の防空壕跡は、宮津空襲の惨劇を伝える唯一の場所です。

 

第6代藩主 本荘宗秀公墓所と石橋
明治維新後に廃城となり、跡形もなく無くなった旧宮津城二の丸庭園から移設された石橋と灯篭です。

 

●リターンについて●

 

本荘神社へのご芳名奉納
3,000円
本荘神社の奉加帳にご芳名を記載させて頂きます。

 

本荘神社への奉加帳と木札へご芳名
7,000円
本荘神社への木札によるご芳名の奉納、並びに奉加帳へご芳名を記載させて頂きます。

 

木札によるご芳名の奉納やお守り授与
10,000円
7,000円に加えて
代行管理する和貴宮神社のお守りを授与させて頂きます。

 

 

和貴宮神社のお守りを贈呈
30,000円
7,000円に加えて
代行管理する和貴宮神社のお守りを贈呈させて頂きます。

 

 

明治35年から続く本荘家の家紋「九つ目」の和菓子をお届け
50,000円
30,000円に加えて
本荘家の家紋「九つ目」の和菓子
*宮津の老舗「白藤屋 菓子舗
*明治35年創業(創業110年)

 

本荘神社のお社と境内

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