支援総額
目標金額 1,000,000円
- 支援者
- 74人
- 募集終了日
- 2015年1月9日
日本で出会ったアフリカとエイズ
先日、なんで南アフリカ?ということを少し書かせていただきました。
今日はそこにたどり着く一つのきっかけになった、私が日本で出会ったアフリカとエイズが交錯していた日々を書いてみたいと思います。
担ぎ込まれる末期患者たち
10数年前当時、私は首都圏の公立病院で医療ソーシャルワーカーをしていました。
精神科で5年働いた後、その頃は救急救命センターや感染症、難病、小児科の重症の子どもたちやご家族にかかわる日々。
救命センターや感染症科には、首都圏のいろいろなところから、外国人患者さんも運び込まれてきて、その多くは滞在ビザが切れてしまっていたことや、あるいは日本で病院にかかることを怖がって病気をこじらせてしまった人たちでした。
さまざまな病気の方と出会いましたが、特にその頃に向き合うことになったのが、末期のエイズ患者さん。
末期で運ばれてくるたくさんの外国人の患者さんたち。
いつまで、どこまで辛くなるまで病状に耐えていたんだろう・・・と胸が痛むほど重症の状態。もう名前の確認すらおぼつかなくなっている方もいました。
家族であったり、友人であったり、誰かしら見守っている近親者が見つかる場合がある中で、アフリカ出身の患者さんは独りきりで孤独でした。
在住の同郷者はいるのだけれど、怖くて病院に来れないのでした。
何が起こるのか。医療費はどうなるのか。万が一の場合どうしたらいいのか。
わずかの情報を頼りに、キーパーソンを見つけながら、医療費の問題を解決したり、亡くなられた場合にご遺体をそのまま帰国させるのであればそのための費用の募金活動のお手伝いだったり、通訳だったり、やむを得ず火葬する場合にそういった文化について教えたり。
残念ながらあまりにも末期すぎて、ほとんどの場合が亡くなられてしまう場合が多かった。
彼らは、どこでHIVに感染したんだろう。
HIVに母国で感染したのだろうか。検査しないまま、夢の実現を願いながらの来日だったのだろうか。
同郷の皆へのエイズ教育はどうしたらいいんだろう。
母国へ仮に帰国する場合、そこでの医療はどうなっているんだろう。
気になることだらけでした。
そんな中で、うっすらと、自分の中で「いつかアフリカとエイズが交錯している場所へ行っている自分がいるような気がする」イメージが浮かび始めたように記憶しています。
今、日本でも在日アフリカ人のネットワークの支援を行っている友人たちの働くNGOとも出会い、当時を思い出すと、いろいろなことが必然で今自分はここにいるんだなと思う。
でもその中で本当に多くの出会った人の命とお別れしてきたことはとっても悲しくさびしく悔しい記憶として、常に自分の隣を歩いています。
エイズにわずかながらスポットのあたる12月
孤児たちは学校の年度の修了の時期。
学業が手につかず落第してしまう孤児もいます。
十分な治療を受けられない環境でのエイズ死は本当に辛いものです。
子ども達が体験したことは、消えてはくれないけれど、親を失ってもこの世界が安全で安心できて楽しいこと、美しいことにあふれていると子ども達が思えるように。
世界が本当にそうなるように。
願いながら、まずは今回の8万食の給食プロジェクトを達成させられたら・・・と思っています。
やっと20%達成に近づいてきました。
どうぞこれからも応援よろしくお願い致します!
リターン
3,000円
●エイズ孤児の描いたイラスト入りサンクスレター
●アフリカンビーズのレッドリボンバッジ
- 支援者
- 45人
- 在庫数
- 制限なし
10,000円
●エイズ孤児の描いたイラスト入りサンクスレター
●アフリカンビーズのレッドリボンバッジ
●サポーターの方の働く福祉施設で作った手作りお菓子の箱詰め
●サポーター認定証(エイズ孤児の写真とメッセージ入り)
- 支援者
- 19人
- 在庫数
- 制限なし
30,000円
●エイズ孤児の描いたイラスト入りサンクスレター
●アフリカンビーズのレッドリボンバッジ
●サポーターの方が作成販売しているイタリア産オリーブオイルなどを使ったオーガニック石鹸(5000円相当)
- 支援者
- 9人
- 在庫数
- 制限なし
100,000円
●エイズ孤児の描いたイラスト入りサンクスレター
●アフリカンビーズのレッドリボンバッジ
●全国巡回した写真パネルの表にお名前を入れてセチャバセンターの壁一面を飾ります。
- 支援者
- 3人
- 在庫数
- 14