プロジェクト概要

 

江戸は日本橋に集った、ひとりぼっちの若者たち。
そのプライドは
「紺のれん」にあり。

 

時代は江戸。

故郷にいられなかった出稼ぎに来たひとりぼっちの若者達が、日本橋に集まりました。

 

彼ら一人一人が生き残りを賭け、日々の工夫を凝らして、それぞれの仕事で一番になったものが、時代に選ばれ【江戸前の技や老舗】となっていったのです。

 

その誇りと歴史を語る、お店にかかる「紺のれん」。江戸の貧しいひとりぼっち達は、汚れの目立たない紺地ののれんで自分の仕事を誇り語るようになりました。

 

そして、「富嶽三十六景」を江戸一番の繁華街日本橋で売り出し大当たりを取り、出世のチャンスを掴んだひとりぼっちの永遠のチャレンジャー「葛飾北斎」

 

今、江戸風情のなくなってしまった日本橋の街の景観に、今年で170回忌を迎える葛飾北斎の代表作「冨嶽三十六景」を「紺のれん」で表現することができたら…。

 

この度のプロジェクトは、そんな私1人の想いから、走り出しました。

 

今回紺のれんとして製作する作品の1つである、日本橋がモデルとなった『お江戸日本橋』


 

「浮世絵」の代表作、

葛飾北斎の「富嶽三十六景」を紺のれんに。


江戸前の老舗と浮世絵好きが高じてもう40年も日本橋を歩き回っている「日本橋の達人」こと日本橋めぐりの会代表の江戸じい、川崎晴喜です。

 

これまで日本橋めぐりの会では、お江戸日本橋の誇る[100年以上続く現在の老舗(伝統老舗)]と、これから[100年続いて欲しい未来の老舗(未来老舗)]の関係者がお店のご案内をさせていただく「江戸前老舗めぐり」をはじめとして、日本橋の魅力を発見・発信する取り組みを続けてまいりました。

 

一人の浮世絵好きとして、その製作元が今も続く日本橋の老舗だったことを知って、衝撃を受けたときに「これからも残って欲しい、ぜがひでも応援したい」と強く思い、現在の活動に至ります。

 

 

江戸時代、ひとりぼっちで頑張ってきた旦那衆は、もう4代目となりました。

彼らとのお付き合いの中で、もう老舗にはいなくなった番頭さん達の代わりに、微力ですが、今の老舗を次の時代に繋ぐためのお手伝いをしてまいりました。

 

そして、彼らのお店の常連客やお得意様になって下さる方々を増やす為に「老舗は人生の宝」と思っていただけるようなオリジナルの探訪ツアーを企画・実行しています。

 

 

お江戸日本橋は何処へいった?
かつての景観を追体験するために。

 

日本橋はここ400年の歴史と文化の基準として存在してきた町です。

 

日本橋のガイドを30年していますが、来訪者の皆様から「お江戸日本橋って聞いて来たけど、ビルばっかりでこれじゃあ六本木や丸の内と変わらないじゃないの」
という落胆のお言葉を沢山頂戴しております。

 

「紺のれんと浮世絵が風に吹かれている街」

「火消の木遣りや大相撲の触れ太鼓や三味線の音」

「佃煮を煮る匂いや、路地に生活が残り人声の聞こえる町」

 

来訪者の皆様は、そんな「お江戸日本橋」を期待して来られます。

 

現在の日本橋。周りにビルなどが立ち並び、統一された景観であることがわかります。

 

当時の日本橋。昔の風情が伝わってきます。

 

一方で、現在の日本橋は大型再開発のために、どこもかしこも似たような高層ビルとチェーン店が立ち並ぶような、個性のない光景になりつつあります。

 

江戸時代当時、日本橋は『歴史と文化の灯台』と、そして『老舗は人生の宝』とされてきました。迷ったり自信を無くした時は、日本橋に来て老舗の知恵を知れば必ず解決策が見つかって、前向きにやり直すことができる。本来の日本橋とは、そんなところです。

 

せめてビジュアルだけでも、お江戸らしい浮世絵風景で飾ることができたら…。

 

そんな思いから、葛飾北斎が170回忌を迎える本年、彼の代表作「富嶽三十六景」を紺のれんにして日本橋の通りに飾ったら、当時の江戸情緒を追体験することができるのではないか?と考えました。

 

そこでこの度、葛飾北斎の代表作:「富嶽三十六景」から【凱風快晴】、 【神奈川沖浪裏】、【尾州不二見原】、【江戸日本橋】の4作品を、江戸の歴史を語る紺のれんにうつして製作。さらには製作した紺のれんを日本橋の江戸前老舗や船宿に飾ることで、日本橋の景観に江戸情緒を取り戻す挑戦をはじめます。

 

 

日本橋400年の歴史に、

今年で170回忌を迎える北斎の名を刻む。


今年は、世界一有名な日本人画家 葛飾北斎170回忌です。

 

葛飾北斎は、墨田区で生まれたことは広く知られておりますが、実際に北斎の浮世絵の代表作「冨嶽三十六景」を売り出していたのは、日本橋馬喰町の版元「永寿堂西村屋与八」であることは、あまり知られておりません。


そもそも浮世絵とは、呉服屋や花街、芝居町とのタイアップで、時代の最先端のファッションを流行らせる媒体でした。北斎も他の浮世絵師と同様に、「冨嶽三十六景」までは役者絵か美人画を描いていました。

 

それなのに、どうして突然「富士山」ばっかりを描くようになったのだろう…と疑問に思ったことが、私が北斎に興味を持ったきっかけの1つです。

 

やがて、北斎が描く江戸の下町の通りはすべて右に江戸城、左に富士山が見えるように作られていることに気づきました。

 

そしてそれは当時江戸に集まったひとりぼっちの若者達が、毎日日本一のお城とお山を見て、必ずいつか江戸の町で名を馳せてみせるぞと思いながら暮らしていたことを証しているのです。

 

そしてそこに目を付けた北斎の筆力が、大江戸と世界をうならせ【凱風快晴】で描いた富士山をはじめとした「景色絵」という新ジャンルを開拓し描くことによって、世界一有名な日本人画家となったのです。

 

 

 

葛飾北斎の代表作「冨嶽三十六景」は日本橋馬喰町で売り出した、メイドイン日本橋商品であることを、今回のプロジェクトで広く知っていただくことで日本橋の400年の歴史に葛飾北斎の名を刻みましょう。

 

 

北斎の愛した土地と、

日本橋をつなぐ架け橋に。


「冨嶽三十六景」は多くの人気を呼んだ為、追加10枚が加わり、全部で46枚あります(描かれた箇所は、なんと8都県しかありません)。

 

今回、北斎の富嶽三十六景をうつした紺のれんを4作品4枚製作します。

この挑戦を皮切りに、残り42枚の製作を地道に続けることで、日本橋とモデル地区の皆様とが、それぞれへ続く道と冨嶽のれんでつながり、そこから街づくりの絆が産まれていくことができたなら…と切に願っています。

 

日本橋と、各地域の皆様を繋ぐのが、葛飾北斎の「富嶽三十六景」です。

 

皆様とこれから先、どんどん繋がって、街と街との絆を深めていくために、まずは、4枚ののれんを無事製作し日本橋に飾るところから始めます。

皆様、どうか応援のほどよろしくお願い申し上げます。

 

 

リターンにつきまして

 

一口1万円のご協力をいただいた方へ

完成したのれんとの記念撮影会にご招待。

 

命日の4/18に告知して36日間で、北斎好きの皆様の愛と感謝を形にして、どの場所からも富士山が見えた江戸の下町通りの風景を再現して、撮影会にご招待します。

 

 

 

【Readyfor限定!完全非売品のリターンもご用意】

 

一口5000円のご協力をいただいた方へ

限定非売品「日本国道路元標メダル」をお渡しします。

 

これは、日本橋架橋100周年で橋の修復を行った時に初めてわかった国の中心で道路の起点でもある「重文日本橋」の裏面の佐藤総理大臣の揮毫文を史上初めて明らかにした物で、20代目の現在の日本橋が架かった日の日付のサインがある大変貴重な本物のモニュメントデータで製作した物です。

 

「日本国道路元標メダル」を、「重文日本橋」をお守りする地元住民発で史上初めて製作しました。地元の旦那衆でもお持ちになってらっしゃらない方がいる程の貴重品です。江戸前という基準を作った町「日本橋」の粋と誇りの中心のモニュメントをこの機会にぜひ、お持ちになって下さい。

 

 

 

一口5万円のご協力をいただいた方へ

限定非売品「日本国道路元標プレート」をお届けします。

 

これは、昭和と江戸をつなぐモニュメントとして史上初めて製作した物です。「重文日本橋」の真ん中にある国の中心と道路の起点を表す「日本国道路元標」という佐藤栄作総理大臣の直筆と、橋の両側4か所の橋銘板に揮毫された最後の 将軍 徳川慶喜公直筆の漢字の「日本橋」と平仮名のにほんばしを表裏に組み合わせた地元民の思いがこもった本物のデータで製作した特別返礼品です。

 

浮世絵のれん製作協賛金協力者様への返礼品として、「日本国道路元標プレート」を、「重文日本橋」をお守りする地元住民発で史上初めて製作しました。地元の旦那衆でもお持ちになってらっしゃらない方がいる程の貴重品です。江戸前という基準を作った町「日本橋」の粋と誇りの中心のモニュメントをこの機会にぜひ、お持ちになって下さい。

 

 


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