この物語のモデルとなったミス・リリアス・パウル。 新生療養所が開所されてから 2 年後の 1934年、新生療養所へ着任しました。当時 33 歳とまだ若かったミス・パウルは、カナダで教職についたものの、日本での結核の流行を知り、日本で看護奉仕をしたいと願い、看護学校と伝道師養 成学校で学びなおした人でした。

1935年に、2 代目総婦長となりました。

 


新生療養所の中でも、ミス・ パウルは、気品あるふるまいから、静かな迫力を醸して、職員たちからおそれられる存在だったようです。
もと患者の方々による記録を見ると、入所中はあまりに規則に厳しいミス・パウルの態度にいい気分のしない人もあったようです。

しかし、病を克服して日常 生活へ戻ったのちに、その看護の適切さ、質の高さを実感するとともに、ミス・パウルをはじめカナダ聖公会の人々の偉大な支えを痛感しているようすがうかがえます。

 


ミス・パウルは、第二次世界大戦中の 8 年間の帰国期間をはさんで 1966年に 65 歳で定年になるまで、新生療養所で奉仕をつづけました。その間、各地 の国立療養所や大学病院の看護師・看護学生を受け入れて指導教育を行い、また看護師養成所の講師を務めて、日本の看護の発展にも尽くしました。

 

 

 

 

ミス・パウルが当時寝泊まりした宿舎は、現在はミス・パウル記念館として、新生病院に隣接しています。和洋のどちらの雰囲気も感じさせる赴きあるたたずまいから、ミス・パウルの当時の暮らしを偲ぶことができます。

 

 

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