地域人文化学研究所の代表理事・天野が、寿ゞ家再生プロジェクトを始めたきっかけは、足助の町並みが重要伝統的建造物群保存地区に選定される経緯が深く関係します。

 豊田市の職員としての顔も持つ天野は、豊田市と東加茂郡足助町(旧足助町)の合併(平成17年)を機に、当時文化財課に所属していたこともあり、足助の町並みの保存活用に関わるようになりました。実は、豊田市と旧足助町の合併協議の中には、文化財的な手法による町並み保存の計画はなく、都市整備的な景観整備による旧足助町の中心街区としての整備が行われる予定でした。

 しかし、当初進められていた計画の中には、足助の町並みが歩んできた文脈とは異なる整備の提案など、本来守るべき町並みの本質的な価値が崩される危険性も含んでいました。善意で事業を進める側はもちろん、地元の方にもこれに気付く人はなく、その様子を見ていた天野は、市の方針にある意味逆らうように、重伝建制度を利用して町並みの本質性を保存・活用しながらまちづくりをすることを、町並みに住む人たちに向かって提案し、その実現に向けた行動を起こしました。

 この行動は、所属の決定もなしで制度的な補償も約束も何もできない状態での天野個人の見切り発車でした。しかし、これまでにその土地が積み上げてきた歴史や文化の重みや、時代性や材の使い方などを含めその建物がその姿でそこにある理由など、町並みが語る物語を住民の方に認識してもらい、その土地の本質を生したまちづくりのため、行動を止める理由はありませんでした。

 地元の自治会長会にまちづくりの選択肢として重伝建を提案した後、建物を取り壊す予定があると聞けば、その中止を所有者と交渉したり、都市整備部局の地元説明会に同席して、足助町の各町へ重伝建制度の説明に回ったり、足助まちづくり推進協議会の中に伝建部会を設置するなど、業務の範囲なく活動を進め、町の人たちを巻き込みながら町並み保存活用の気運を高めました。

 そのような活動の中で、住民の方から「お前にだったらきれいに騙されてやる。」と指をさされて言われたり、元伝建部会の方が活動を振り返って「天野の熱意にほだされた」と話してくれたり、一個人として町並みの保存活用に協力してくれた人たちへの、これも一個人としての天野の義理と人情が、保存の先のまちづくりの形を見せたいという思いとして、寿ゞ家再生につながっています。

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