永遠に清冽な何か　「ニューヨークの唇」について

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蝦名泰洋さんの遺歌集『ニューヨークの唇』は、22年の秋にクラウドファンディングで資金を募り（応援くださったみなさま、ありがとうございます）、去年の6月刊行することができました。歌集『ニューヨークの唇』両吟集『クアドラプル　プレイ』のリターンもあります。

去年の8月に「デーリー東北」に書かせてもらった記事を載せます。

　

★★

 

息づく「永遠に清冽な何か」　　野樹かずみ

 

 

　二年前に癌で亡くなった蝦名泰洋さんの遺歌集『ニューヨークの唇』が、七月二十六日の三回忌を前に刊行されました。
　

　月を追う途中の子どもにあいさつをさよならみたいな青いハローを
　

　冒頭の歌。歌人が遺したこの世界への心からの挨拶を受け取ってほしいと思います。
　歌集は三部構成。第一部「ニューヨークの唇」は、生涯の最後の日々に、蝦名さん自身が纏めてくれました。

 

　何度でもぼくの強さを信じ直すニューヨークのニューヨークのビルの幽霊
　落ちている海かと思うあおむけの君がまぶたをひらいた瞳
　彼はもういないと告げるわたしから紙漉町を過ぎるわたしへ

 

　同時多発テロを受けて書かれたものや、弘前を舞台にした一連。蝦名さんは自分の人生や生活を詠みませんでしたが、繊細な傷つきやすい心のままに世界を受け止めていて、それはむしろ読む人の心の声になっていく気がします。なぜなら心は、誰の心も傷つきやすいものだから。

 

　桟橋は廃墟となりて数本の杭がかたむきぼくを待っている
　全校の運動会に人が消えひとりで踊るオクラホマミキサー

 

　亡くなる数か月前の歌たち。蝦名さんは東京で一人暮らしでしたが、三十年前に、私が蝦名さんから最初に受け取った手紙は十和田湖畔からのものでした。魂は美しい湖に帰ってゆきたかったでしょうか。
　蝦名さんの生前、私たちは短歌両吟（短歌による連句のようなもの）を続けていました。両吟歌集『クアドラプル　プレイ』（書肆侃々房2021年）を刊行しています。第二部は未収録の短歌両吟から、野樹が選歌構成しました。掛け合いのなかで生まれた軽妙な歌も。
　

　ごはんできた過去のすばらしいあなたより明日のしょぼいあなたを選べ

　

　こんな励まし方ってあるかい、と笑ったのでしたが、いつか泣きながらごはんを食べるようなとき、この歌を思い出して前を向こうと思います。
　第三部には著者三十代の、生前唯一の歌集『イーハトーブ喪失』（1993）を再録しました。

 

　かたくなにほほえんでいる降りてきて泣いていいよと誰かいうまで
　はじめからジョバンニなどはいないのに樹下ジョバンニの長靴冷える
　おおぜいの他人の中に君はいてだれでもなかったそのときはまだ
　

若い人たちに読んでほしいです。「悲しくなければ歌は生まれず、うれしくなければ歌は作れない」という不思議を、歌人は静かな熱量をもって生き抜いたと思います。収録の五百数十首の短歌には、彼が人生と引き換えにしても守りたかった何か、永遠に清冽な何か、が息づいています。

　　　（デーリー東北　2023年8月15日掲載）　

 

表紙の挿画は、日本画家の田代勉さんの「蒼い木馬」