昨年10月半ばに負傷者の方にお会いし、絵の展示許可をいただいて動き始めた本展。許可をいただくまでは、実現するかどうか全く分からなかったので、いざ開催できるとなったら、やはり資金が必要だ……という現実にぶちあたり、本プロジェクトを始める前に、助成金を申請しました(結果は不採用でしたが)。

 

申請にあたって、第三者による推薦状が必要だったため、美術批評家の土屋誠一さんにお願いし、ご快諾いただきました。

 

芸術性の高さを判断基準にしている助成だったので、美術/芸術といった観点から展覧会について書いてくださいました。まだ、展覧会の内容もそこまで固まっていない頃に、このように展覧会を評価してくださったことを有り難く思っています。

せっかく素敵な文章を書いていただいたので、展覧会を理解する一助になればと思い、土屋さんの許可をいただき、公開いたします。

 

申請が通るように、良く書いてくださっているのだとは思いますが、このような意味合いももった展覧会にできればと思っています。

 

 

展覧会によせて

 

 本展覧会は、2005年に発生したJR福知山線脱線事故を手掛かりにしたものである。先の東日本大震災が顕著であるように、現在われわれはリスク社会(ウルリヒ・ベック)に生きざるを得ない時代の只中におり、美術もまた、社会と遊離した自律した芸術として振る舞えばこと足りるわけではなく、社会との紐帯を模索しなければならない。

 今回木村奈緒によって企画されるこの展覧会は、10年前の惨事である列車事故を主題として、その事故に巻き込まれた当事者の人々の作品を中心に、絵画によって記録された様々な当事者の視点から、この事故の集合的記憶(モーリス・アルヴァックス)を現在において可視化させるという試みである。大参事や大事件が起こったにもかかわらず、時間の経過とともにその事実を忘れてしまうという日本人の国民性や、あるいは現代人一般の心性に対して、この展覧会は、絵画という表現によっていかに記憶の抹殺からわれわれが脱却し得るのかという極めて重要な問いかけになるはずである。同時に、「高級」と思われがちな美術という制度に対する、コンテクストの再配置ともなり得るものであろう。以上のように、この展覧会は、極めて野心的なものになると考えられる。

 また、漠然と絵画を並べるだけの展覧会を開くだけではなく、事故当時の報道資料の展示や、当該事故を検証するシンポジウムなども予定されており、脱線事故を単に回顧するのみならず、今日の高度にリスクをともなった社会を、美術という表現を軸として多角的に検証するものとなっており、問題提起の射程は極めて広範だ。さらに、起こってしまった災厄に対して、美術という表現はいかにしてその事実に応答できるのか、という、人間の根本的な表現への意欲をも問うものであり、人間の芸術行為それ自体を再確認する契機ともなり得ることを期待するものである。

 

土屋誠一(美術批評家、沖縄県立芸術大学准教授)

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