【LOVEちゃんは、なんで相馬なの?】5/11 お答えします

「なぜLOVEさんは相馬市の出身でもないのに、気持ちが向かう先が相馬だったの?」

 

一番よくいただく質問です。

 

はい、出身は大阪府高槻市です。

住んだことがあるのは、イギリスブライトンはロッティンディーン(赤ちゃんの時なので記憶なし)、アメリカメリーランド州はベセスダ、大阪府吹田市、箕面市、大阪市都島区、あと、神奈川県川崎市、あとはずーっと東京都内、以上です。

 

とても単純なきっかけがあります。

相馬市出身の女の子に「相馬にきて?」と言われ、

思わず「え?あ、うん」って言った自分がいたからです。

 

(2018年2月、彼女の母校、相馬市飯豊小学校のウサギ小屋にて。)

 

2011年のちょうど今頃、GWの時期の出会いでした。

東京に募金活動にきていた当時14歳の女の子。

肝っ玉が座っているというか、怖いもの知らずというか。

敬語を使ってても壁を感じさせない、絶妙な距離感。

有無を言わせぬまっすぐさ、としか言いようのない、何かがありまして。

 

ファーストコンタクト、こんな感じです。

 

「募金ありがとうございます」

「どっから来たの?」

「相馬市です。お姉さん、ゲーノージン?」

「いや、ちょっと違う、ミュージシャンだよ」

「相馬きて?」

「え?あ、うん」

 

...とこんな感じ。ここまでが、通常ライブのMCやラジオでお話しする答えです、笑。

 

この話には、7年目の今に至るまでの続きがあります。

お時間許せばお付き合いください。

 

まず、その時背後に立っていた彼女の父親(中学校の先生)に、ご挨拶申し上げましたら、

 

「はい、私が父です。これ名刺です。いらっしゃるときにはご連絡ください」

 

と、これまた有無を言わせぬ貫禄で言っていただき。

 

私がスタッフと「行きましょうか」「ええ、そうしましょうか」と、スケジュールを合わせたのが、その直後の7月。

 

彼女はお父さんと一緒に、確か、郡山駅か福島駅まで迎えに来てくれました。

相馬まで、まだ道もガタガタでしたけど、寄り道しながら2時間くらい。

(2011年7月)

 

車の中に、よく知らないミュージシャンを乗せて、それまでに私の事を調べたのか調べていないのか、「本当に来たんですね、ふふふ」と不敵に笑う14歳。

 

「今夜はばあちゃんのご飯。」

「にいちゃん、まあまあ踊れるよ。」

「母ちゃんは幼稚園の先生だよ。」

 

などと、事実を事実のまま述べ、私の知らないあの子がどうしたこうした、と14歳ならではの会話と、震災直後の景色への説明を同じテンションで聞かせてくれました。

そのまま「ガイガーカウンター怖い?」などと聞いてくるので、私も「うん、まあそりゃ初めて見たから」と返せば、「歌、うまいんだね」「うん、ありがとね」などと不思議なテンションで会話は続きます。

 

彼女なりに気を使ってくれていたのはまちがいないのですが、

同時に、絶対、ちょっと、面白がってた気がしてなりません。

自分と似てるな、いや、この状況でこのテンション、私の上を行ってるな、と思いました。

 

そこから、彼女とお父さんに同行。

 

高校、中学、体育館、バレーボール部員、おばあちゃん、お母さん、お兄さん、犬、猫、馬、近所の人、会社の社長、役所の方、後輩、先輩、教え子、など、今考えたら、いい具合に人に気を遣わせるような紹介もなく、とにかく次から次へと私は相馬の人たちと知り合いました。

(2013年2月)

 

最初の頃、「またきてね」は特に無かったと思います。

「ありがとうございました」「お元気で」の交換だったと思います。

 

気があった、としか言いようがありません。

不思議だな〜。

 

普通、もう少し、なにかお互いに目的があってもいいものですが。

あの時は、彼女には、多分、目的はなかったし、要らなかったのかもしれません。他人に期待する事より大事なモノにもう気づいていたのかもしれません。

 

それがよかった。

何も邪魔なものが介在しないで、次々と人と出会わされるという引力。

それが14歳の少女が起こした、私も見たことがなかった種類の、最初のミラクルだったんじゃないかと今になって思います。

 

 

高校の卒業式も、同じテンションで「きて」と言われ、行き。

彼女が東京の大学を受験する前夜(!)は、東京の我が家にケロッと泊まられ。

(友達と長電話してて寝ないんだこれが!!ハラハラしました)

上京して、初めて私のライブをみに来た時も

「LOVEちゃん、髪、まいてオシャレしたんだね、ふふふ」って、感想そこ?みたいな。

 

その間、大阪と東京でそれぞれラジオレギュラーを担当していた私の元には、

LOVEちゃん東北行ってるならいろいろ教えて、これを伝えて、あれを持って行って、と、とにかくメッセージが集まります。

 

いくことが全てではないとしたら、今日ここにいるという事でできる事がある、と思える場所を作りますので、じゃあライブハウスまでいらしてください、私も顔見てみなさんと話したいし、という原点から今日ここライブは始まります。

 

(2016年と2017年は、今日ここライブ後に梱包イベントも。それまで自宅でやってましたが、これもリスナーさん達が申し出てくれて開催!)

 

文房具を送る事にしたきっかけは、このプロジェクト概要で述べた通りです。

 

という、少女との出会いからのつながりのつながりのつながりの先、くらいで、今日ここライブに絶大な現場力を分けてくれた現地チームも出会い、相馬でのイベントの実現や、SOMA BLUE絵の具プロジェクトも立ち上がるに至ります。

 

(2014年、原釜尾浜海水浴場。いつも海へ案内してくれます)

 

7年前からいつも会うときは制服か部活着を着ていた彼女は、今年21歳になりました。

 

先日の相馬開催「今日ここライブ」へは、就職活動の合間に、地元に帰ってきて、ボランティアスタッフとして参加していました。

そんなイベント前夜、初めて彼女が震災の話をして泣き出すところをみました。

 

それは、7年間、私なりに、彼女が考えていることはこうなんじゃないか、と思っていたこと、毎年胸の内で更新していた想像との答え合わせのようでした。

 

「私は家族も家もあったから、被災者だと思った事はない。

傍観者になりたくなくて、相馬にいたからできることもあったし、

でも相馬だって人によって皆それぞれ思いは違うし、

それでも相馬に生まれてよかったなって思うから、

出会った人たちに恥ずかしくないように生きていきたいだけ」

 

いろんな世代の人たちが、いろんな立場の人たちが、どこにでもいます。

なくしたものも違えば、得たものも違う。人生は命の数だけ。

震災に限らずかもしれません。

 

私もそう思ってます。長らくそう思い続けています。

「みんな」を一つに捉えることの難しさも、その自由さも、幼い頃から私自身、感じているテーマでもありましたし、さらに彼女との出会いから順に学んでいます。市内、近隣、県内、県外、国外と、その半径はいくら広げても狭めても同じ事だと思います。

 

だからこそなんですが、

今日ここライブも、文房具も、絵の具も、旗を上げた誰か一人の手柄になるようなやり方では、絶対に角が立つ。

角が立ったら面白くない。やる気も出なけりゃ空気も悪くなる。

そしたらもうみんな自分だけでいいやってなる、、、って構図は、嫌という程私たちは見てきていますもんね、もういいでしょう(^^)

 

可能な限り「みんな」が、自由な心で「ワクワク」できるもの。これまず大前提!幼な心と、大人の責任のバランスってそういうところで表現できるものな気がしています。

 

しかも絵の具、みたいなモノなら誰も傷つかないんじゃないか?

この青はとにかく美しいし。美しいだけじゃないし。

できるか?できるのか?

などと私なりにグルングルン考えて、やっぱりワクワクが止まらなかったので立ち上がったこのプロジェクト。

 

作ろうと思えば「みんな」で作れる時間が、そんな場所が、この世に一個でも多くあっていいな!あったらいいな!です。

 

私がそんなビジョンが持てた場所が、本当にたまたま、ですが、きっと必然で、相馬だったのです。

 

(2014年、原釜尾浜海水浴場。彼女が高校生の頃)

 

以上!

「相馬きて?」「え?あ、うん」これが、

 

「なぜLOVEさんは相馬市の出身でもないのに、気持ちが向かう先が相馬だったの?」

 

のきっかけ、お答えの全貌でした!

まあよくも長々と...そりゃライブでは話せる分量じゃございません、笑。

 

しかも、これからも理由は増えると思います。

時が経つことの、いい側面の一つですね。

 

引き続き、お気持ちたくさん寄せていただいて、本当にありがとうございます。

こんなに「頑張ってください」と活字をいただく事も新鮮で、やる気出ますね。

はーい、頑張ります!

ここからまたワクワクが広がりますよう。

 

LOVE xx

 

PS

毎日新聞全国版で記事にしていただきました。ありがとうございました。

 

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