未来や平和を考える場として。石原莞爾墓所記帳所を建て替え

未来や平和を考える場として。石原莞爾墓所記帳所を建て替え

支援総額

2,420,000

目標金額 1,000,000円

支援者
176人
募集終了日
2020年10月30日

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プロジェクト本文

終了報告を読む

 

ネクストゴール達成のお礼と残りの期間のご支援につきまして

 

皆様の温かいお気持ちが積み重なりネクストゴールの160万円を10月12日に達成することができました。誠にありがとうございます。おかげ様で、皆様のご支援で当初目標の記帳所ができる見通しになりました。皆様の応援のお気持ちをしっかり受け止めて前に進んでまいります。

 

10月30日のプロジェクト期限まで残すところ半月余りとなりました。残りの期間は目標金額を200万円と設定し、最後まで挑戦を続けてまいります。

 

これからいただく資金の使い道は、現在、記帳所内に置いている管理用具・資材などを別に保管するための物置スぺースを設置したいと考えております。

 

皆様のご支援により記帳所新設は現実のものになりましたが、さらに快適性・機能性を向上させた記帳所を目指したいと思います。新しい記帳所はご来訪いただく皆様が石原先生を感じ考えて頂ける場所を実現したいと考えております。皆様の引き続きのご支援お願いいたします。

 

2020年10月14日(水)追記

石原莞爾顕彰会代表 歌川博男

 

 

 目標達成のお礼とネクストゴールについて 
 

このたびは全国の皆様の温かいご支援が積み重なり、スタート2週目という早期の目標達成に皆様の応援のお気持ちがひしひしと感じられて感動しております。

誠にありがとうございました。
必ず良い記帳所に建て替えて皆様のお気持ちに応えたいと思っております。

本プロジェクトの実施期間はは10月30日(金)23時までです。

残りの期間で次の目標を160万円と設定させていただき、最後まで挑戦を続けたいと思います。


これからいただく資金の使い道は、下記2点です。
① 記帳所の快適性・機能性・耐久性を高めるために内装・窓・掲示スペース等をより良いものにする。また、記帳所に係る表示看板を掲げる。

② 当墓所の管理費用はご寄付・資料頒布・奉仕的労力で為されています。

今回事業への持ち出しが増えると厳しい経済状況になりますことから、

郵送経費・印刷経費・紙封筒、クラウドファンディング手数料などのプロジェクト準備・実施経費を補填する。
 

一人一人がよりよい未来や平和を考える場として墓所記帳所を存続し、より良い環境で皆様にお越しいただけるように、引き続きご支援のほど、よろしくお願いいたします。

 

2020年9月30日(水)追記

石原莞爾顕彰会代表 歌川博男

 

 

 

石原先生の墓所の保全管理を引き継ぎ、
全国からの来訪者をお迎えしています。

 

石原莞爾顕彰会代表の歌川博男と申します。私は戦後まもなく山形県遊佐町の西山開拓地で村作りを指導した石原莞爾先生の下に集まった人達の2世に当たります。

 

最晩年の石原莞爾 ご自宅にて

 

石原先生は昭和24年、私が5歳の時に亡くなられましたが両親と共に枕もとでお別れしたことを覚えています。当時の共同生活は解体して久しいですが、その地に石原先生の墓所が残りました。その墓所の保全管理を平成13年に引き継いで今日に至っています。今年は石原先生の71回忌を迎えましたが、来訪者は減じることがなくむしろ近年は増加傾向が続いています。全国からの皆様が気持ちよく墓参できるように墓所の整備に努めるとともに、お求めがあればご案内をさせて頂いています。

 

石原莞爾墓所

 

 

軍人にして真摯な信仰者。そして平和運動の実践者。
石原莞爾には、複数の面がありました。

 

(以下、敬称略)

石原莞爾は不思議な人です。没後71年ですがいまだに出版物や映像に石原の名が大なり小なりに取り上げられます。近刊の本に「石原の発した問いは消えることなく、今もわれわれに答えを迫っている」という一節があります。(出典講談社刊 保阪正康「昭和の怪物 七つの謎」)石原が遺した足跡や思想がいまだに取りざたされるのは何故か、昭和史を語るとき石原抜きにはできないことは考えられます。しかし、その中に今日を生きる私たちに問いかける何かがあるのではないでしょうか。

 

石原莞爾には複数の面があります。満州事変で絶対的劣勢な中、軍閥政府を制した軍人としての面が最も知られるところです。次に先見性のある軍事学者としての面。そして30歳頃に入信する日蓮聖人の信仰者としての面です。軍人にして真摯な信仰者、軍人は国策を遂行する立場です。

 

石原は祈りによる啓示を実践するべく、その隘路で苦闘したに違いありません。信仰が石原理解を著しく困難にしている-これは武田邦太郎(注1)が指摘したことです。その武田は「入信以後、信仰は石原先生の生涯のすべて」とまで言い切っています。さらに東亜連盟運動(注2)こそが石原の生涯の中心であり、平和運動の実践者として位置付けています。

 

昭和12年  満洲丸にて

 

石原を書く評伝の多くは、昭和13年12月の舞鶴期、続く16年3月予備役編入を失意の人としています。しかし実際はその逆で、病(注3)を抱えつつも精神的に最も高揚して活動に邁進した時期でした。石原が登壇する講演会はどこも満員の聴衆で満たされました。敗戦に打ちひしがれた多くの国民に無限の希望と勇気を与えたのです。最後に石原は東条英機や武藤章と対立するなど強面の印象ですが、下級兵士や農民、他民族といった弱い立場の側に立って行動した人でした。

 

(注1) 武田邦太郎故人、元参院議員。石原の信仰の同志であり最も親近した中の1人。

(注2) 東亜連盟満州建国後1932年結成、中国・朝鮮・日本が中心となり民族協和を目指した。日本は68支部20万会員、大陸にも相当数の支持者が存在した。1946年GHQの解散命令まで続く。

(注3) 病石原は中耳炎・膀胱腫瘍などの持病がありいずれも深刻な病状にあったが強い克己心により克服、活動していた。

 

東亜連盟新庄大会で講演する石原莞爾 昭和20年9月12日 1945

 

「主な年譜・経緯」

明治22年 1889   1月18日、山形県鶴岡市に生まれる。父親は警察官

          陸軍幼年学校から陸軍大学に進み軍人の道を歩む

大正08年 1919   30歳、このころ日蓮聖人の信仰者となる

大正14年 1925   11年からドイツ駐在、その帰途ハルビンにて「最終戦争論」発表

昭和06年 1931   9月満州事変、翌7年満州国建国、関東軍参謀として主体的に関与

昭和07年 1932   3月満州国建国・中・朝・日による協議により東亜連盟結成

昭和11年 1936     226事件起こる 戒厳司令部参謀として解決に当たる

昭和12年 1937   参謀本部作戦部長として中国との戦争不拡大を主張、武藤大佐と対立

           関東軍参謀副長として新京へ。東条参謀長との対立深まる

昭和13年 1938     「関東軍司令官ノ満洲国内面指導撤回ニ就テ」提出

          予備役編入願を提出して満洲国を離れる

昭和14年 1939   舞鶴要塞司令官(昭13.12) 中将拝命  9月第16師団長(京都)

昭和16年 1941  予備役編入(事実上の罷免)「戦争史大観」著したが発禁になる

                             軍閥政府の弾圧下、  東亜連盟運動を指導 立命館大学に籍をおく

昭和17年 1942  11月郷里鶴岡へ移る

昭和20年 1945  8月15日終戦を迎える 病躯をおして東亜連盟活動に全力を傾注

昭和21年 1946   占領軍司令部より東亜連盟同志会へ解散命令

           10月高瀬村開拓地(現遊佐町吹浦)西山農場入植、村つくりを指導

昭和22年 1947    5月極東国際軍事裁判酒田出張法廷に証人として出廷

昭和23年 1948  11月 16ミリトーキー談話記録 事実上の遺言といわれる

昭和24年 1949  8月15日未明、ご自宅にて同志に囲まれて逝去 60歳7ヶ月

          生前、お墓のあり様についてご希望を明確にされ同志に託した

 

 

飯盛山白虎隊墓地にて 会津若松連隊時代

 

 

墓所では年間約500名の来訪者をお迎えしています。

しかし先生の足跡を感じる大切な場、墓所記帳所が劣化。

 

私が墓所の保全管理を引き継ぎまもなく20年となりますが、現存記帳所の劣化が著しく建て替えの必要に迫られています。当墓所は全国各地から年間推定500名超の来訪者をお迎えしておりますが、特に基部の腐食はご来訪者様の安全にも関わりますことから、早急な対処が必要です。

 

記帳所の基部の腐食が進んでいます。

 

当墓所は従来から多くの皆様をお迎えしてきましたが、特に戦後70年を境に右肩上がりで漸増傾向が続いています。私の推測ではありますが、メディアで取り上げられた際に石原先生のことを知った方、近代史を学ぶ中で先生に興味を持った学生の方なども訪れておられるようで、毎年、老若男女、幅広い年齢層の方々がお見えになっています。

 

記帳所には芳名簿のほか感想ノート、石原先生の書(写し)や写真、資料などを置いて先生の足跡を感じ考える大切な場所になっています。今後ともこの大切な役割を継続することが当墓所の使命と考えており、記帳所を建て替えることを希望しています。

 

記帳所全景

 

 

皆様が安全で快適に記帳所を訪れることができるように。

記帳所の建て替えにご協力お願いいたします。

 

石原墓所敷地内にある現存プレハブ製記帳所を撤去し、新たに基礎のある通常建築により、耐久性・対候性・機能性(展示)を備えた記帳所に建て替えたいと考えております。来訪者の方々が快適に石原先生の足跡を感じ考えて頂けることを期待します。

 

今回みなさまからいただくご支援は、墓所記帳所の建て替え資金の一部として使用させていただきます。具体的には、延べ床面積185×350、約6.5㎡(現行より約0.5㎡広い)窓・引戸の出入口を備え、屋根は鋼板葺きにすること。また、室内壁面に写真・掲示物が展示でき、棚を設け関係資料(閲覧用・頒布用)が置けるようにいたします。

 

記帳所室内

 

<記帳所所在地>

山形県飽海郡遊佐町菅里字菅野35-12

※開館時間は設けていません。無人記帳所なので24時間利用できます。

 

 

永久平和の追求に捧げた石原莞爾の人生。

未来や平和を考える場として、墓所記帳所を存続していきたい。

 

石原先生の評価は分かれていますが、大方は満州事変を主導しいわゆる15年戦争に道を開いた人物とされています。しかしその実像は30歳の頃、日蓮聖人信仰にたどりついた以降は真摯な信仰者として一貫して永久平和の追求に捧げた生涯でした。私共は墓所を通して、石原先生の真の実像が伝え継がれるようにしていきたいと考えています。

 

石原先生が遺された幾多の言葉や文章その生き方は今を生きる私達に多くの示唆を与えてくれます。将来は戦争が消滅し永久平和が到来するとした歴史観、戦争を必要としない文明の創造など、石原先生を知ることで、一人一人がよりよい未来や平和を考える場として墓所が存在できるように、私共も微力を尽くしてまいります。

 

昭和22年4月30日酒田軍事法廷に出発、ご自宅前

 


 

 

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プロフィール

昭和19年生まれの76歳です。在職中は社会福祉施設で働きました。 平成13年に石原莞爾墓所の事務を引き継ぎ今日に至っています。 私の両親は亡くなって久しいですがゆるぎない信仰心を持っていました。石原先生と同じ日蓮教です。その後姿を見てきた私も信仰心はありますが深いものではありません。父母たちは信仰を子供に無理強いすることは全くなかったのです。しかし石原先生の生き方、人となり、父母たちの生き方は心から尊敬しています。石原先生の遺志を継いで生きた父母たちの思いをつなげていきたい、というのが今回のプロジェクトに向かった大きな理由です。私の趣味の一つを紹介します。頑健ではないですが20代頃から山好きになり、その頃住んだ平塚から丹沢山塊はよく歩きました。山形に来てからは山形新聞社刊「山形50名山」は全山、みちのく書房「やまがた百名山」は70座眼前の鳥海山は約40回歩きました。

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リターン

2,000


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石原莞爾関連の小文冊子1冊贈呈(武田邦太郎著)

武田邦太郎氏の小文冊子
1「永久平和基地建設のために」
2「東亜連盟誌復刻に寄せて」
3「永久平和と東亜国家連合」

いずれか1冊を贈呈いたします。(A5判10~17P)

※事前にお選びいただくことはできませんので、予めご了承ください。

支援者
49人
在庫数
936
発送完了予定月
2020年12月

2,000


alt

応援コース 2000円

応援いただきありがとうございます。お礼のお手紙を郵送でお送りいたします。

※複数口ご購入いただくことも可能です。

支援者
34人
在庫数
制限なし
発送完了予定月
2020年12月

10,000


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「永久平和の先駆 石原莞爾その生涯と思想・信仰 上」(武田平和研究所刊、自著)

「永久平和の先駆 石原莞爾その生涯と思想・信仰 上」(武田平和研究所刊、自著。B6判98P) を贈呈いたします。

支援者
79人
在庫数
912
発送完了予定月
2020年12月

10,000


alt

応援コース 1万円

応援いただきありがとうございます。お礼のお手紙を郵送でお送りいたします。

※複数口ご購入いただくことも可能です。

支援者
32人
在庫数
制限なし
発送完了予定月
2020年12月

30,000


alt

応援コース 3万円

応援いただきありがとうございます。お礼のお手紙を郵送でお送りいたします。

※複数口ご購入いただくことも可能です。

支援者
8人
在庫数
制限なし
発送完了予定月
2020年12月

50,000


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「永久平和の先駆 石原莞爾その生涯と思想・信仰 上」+小文冊子3冊

・「永久平和の先駆 石原莞爾その生涯と思想・信仰 上」(武田平和研究所刊、自著。B6判98P)

・武田邦太郎氏の小文冊子3冊セット
1「永久平和基地建設のために」
2「東亜連盟誌復刻に寄せて」
3「永久平和と東亜国家連合」

支援者
0人
在庫数
500
発送完了予定月
2020年12月

50,000


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応援コース 5万円

応援いただきありがとうございます。お礼のお手紙を郵送でお送りいたします。

※複数口ご購入いただくことも可能です。

支援者
3人
在庫数
制限なし
発送完了予定月
2020年12月

100,000


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石原に関する対談録「参風-会員登壇」を含む5冊セット

・武田邦太郎氏発行の石原に関する対談録「参風-会員登壇」(A5判35P)

・「永久平和の先駆 石原莞爾その生涯と思想・信仰 上」(武田平和研究所刊、自著。B6判98P)

・武田邦太郎氏の小文冊子3冊セット
1「永久平和基地建設のために」
2「東亜連盟誌復刻に寄せて」
3「永久平和と東亜国家連合」

支援者
3人
在庫数
297
発送完了予定月
2020年12月

100,000


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応援コース 10万円

応援いただきありがとうございます。お礼のお手紙を郵送でお送りいたします。

※複数口ご購入いただくことも可能です。

支援者
2人
在庫数
制限なし
発送完了予定月
2020年12月

プロフィール

昭和19年生まれの76歳です。在職中は社会福祉施設で働きました。 平成13年に石原莞爾墓所の事務を引き継ぎ今日に至っています。 私の両親は亡くなって久しいですがゆるぎない信仰心を持っていました。石原先生と同じ日蓮教です。その後姿を見てきた私も信仰心はありますが深いものではありません。父母たちは信仰を子供に無理強いすることは全くなかったのです。しかし石原先生の生き方、人となり、父母たちの生き方は心から尊敬しています。石原先生の遺志を継いで生きた父母たちの思いをつなげていきたい、というのが今回のプロジェクトに向かった大きな理由です。私の趣味の一つを紹介します。頑健ではないですが20代頃から山好きになり、その頃住んだ平塚から丹沢山塊はよく歩きました。山形に来てからは山形新聞社刊「山形50名山」は全山、みちのく書房「やまがた百名山」は70座眼前の鳥海山は約40回歩きました。

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