佐藤信(座・高円寺芸術監督)×おおたか静流「失敗できる場所」

 

対談

 

佐藤信

(子どもと舞台芸術大博覧会実行委員長、座・高円寺芸術監督)

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おおたか静流(子どもと舞台芸術大博覧会広報大使、シンガーソングライター)

「子どもと舞台芸術大博覧会公式ガイドブックより」

 

 

【ボーダー越える】

おおたか:

私は、ボイスアーティストという肩書きで、声で表現することを目指しています。具体的な活動には「声のお絵かきWS」。譜面を全く読めない方や、言語が共通していない場合、言語を発せられない障害の方など、あらゆるボーダーを越えて、声さえ発せられれば表現はできることを体感します。

 

譜面は使わずに記号を使ったり、アーティストに絵を書いてもらい、それをなぞるなど、いろんな表現を大事にしている。それとパフォーミングアート。背中を正面にして歌う「お背中音頭」がそれです。背中は影の存在であり死であり、裏側。でもそこに光を当てることによって、表も見える。陰陽の思想から教わりました。音楽を通して、あの世の方との出会いとか。地上の人が楽しくしていたら、あの世の人も出てきやすいとか、いろんな知恵や知識を学びながらやっています。言葉を失っても死ぬまでボイスは・・という意味では、舞台芸術の原子の粒は声では・・と思っています。

 

佐藤:

僕は芝居を書いたり、演出という仕事に、半世紀近く関わってきました。最近、終活としてそれを3つくらいにまとめました。

一つはシェア。共有する。

一つはネットワーク。個人と個人が結び合う。

もう一つはトランスボーダー、つまり境界を越える。

 

文化、世代、ジャンル、伝統と現代のの境界ですね。僕はその境界を踏み超えたい。今はそこの価値の転換への時代に来ている。

シェアハウスなど見ていると、安価に済ませるという発想だけではなく、一緒に暮らすという、新しい価値が生まれている。これまでの価値観と新しい価値観があり、今それがすごくせめぎ合っています。

僕は今後、境界を越えることの一つとして、個人的なお金を芸術的活動に全部使うっていう生き方をしようと思っている。先日横浜にアートセンターを作りました。一つは子どもたちのために。一つは近隣アジア諸国とのネットワークのために。またいろんな活動のために機会を提供したり、人との出会いを提供したり、発信をお手伝いしようと思っています。

僕は舞台の演出が主な仕事ですが、「舞台芸術は本質的にはパフォーマーのものだ」という認識です。パフォーマであるおおたかさんにとっての舞台の魅力ってなんですか?

 

 

【失敗してもいい、それが舞台】

おおたか:

実は私は録音が得意分野、もともとスタジオミュージシャンなんです。スタジオっていうのは、OKテイクが出るまで何度もやり直す。そのことにすごく馴れてしまって、おかしいなって。いわゆるパッションがスタジオにいるとなかなか出せない。緻密な作業を納得できるまでやれるのがスタジオであり、それが通用しないのが舞台で、とても怖い世界、やり直せない、おそろしい場所ですね。

スタジオを飛び出して、地道にステージを重ねる中で、ダンスや映像とのコラボが生まれて、舞台って何かすごい世界があるんじゃない?って。目に見える全てのものとの融合が、舞台では可能だなと思いました。

パフォーミングアートにも足を踏み入れていて、たとえば歌うダンス?踊る声?みたいな価値の転換や、境界を踏み越えたもの興味があります。

 

佐藤:

立場が違うと・・・。僕にとってはスタジオは怖い(笑)。映画や録音の魅力は、後に残ること、舞台の魅力は後に残らないこと、失敗してもいいっていうのが舞台やライブなんですね。スポーツで言う打率三割、ホームランもあるが三振ある、それでいい。

たとえばセリフを忘れたとする。忘れたことで少し傷はつくが、そこで、その日のパフォーマンスが悪くなるかというと、たいがいは良くなる。そこからお客の集中力もよくなるし、結果的に面白いものになる。

50年前、新劇の芝居では、セットが倒れてきても役者は知らんぷりして芝居をつづけていた。途中で裏方がこそこそっと元に戻す。でも、倒れたなって役者が言って、直しますって言って直しても、ライブは全然構わないと思う。ライブのそこが魅力です。

ライブは最終的には、見た人の中に出来上がる。ライブでは1mしか飛べない人が1m50cm跳んだライブは、2m跳べる人が1m80cm跳んだライブよりおもしろい、絶対に。全く演劇経験のない人が芝居を作ったら、それが一番おもしろい。普段を越えるパワーには、ものすごい迫力がある。そこに観る人がいて、演じる側と観客が一緒に作り上げるのが、ライブですね。

 

 

【舞台は子どもを元気づけるもの】

佐藤:

こどもにとっての舞台は、「元気づけるもの」「勇気付けるもの」でしょう。

世界中に歌や踊りってあるけど、今日は一匹も獲物がとれなかったとか、作物がとれなかったという歌はあんまりない。豊作ごとに歌い、大漁だと踊る。なぜかというと、普段の生活の中で、獲物は確実には取れないし、作物もそう。集団作業でしょ?ひとりがいやになったら困るわけ。元気付けなきゃいけない。みんなでもう一回やろうって気持ちになんなきゃいけない。

 

ブラインドウォークというWSがあります。二人一組。一人がアイマスクをつけて、50分街に放り出す。口は聞いちゃいけない。最初の15分は不安ですね。目が見えないから。その後不安がなくなっていく。生まれるのは完全に誘導している人への信頼感というか、文化が違っていても、終わったらものすごく仲良くなっている。必ず接触しなきゃなんないので、ボディランゲージです。そのやり方は教えない。10年やっているけど、一度も事故はない。その間の体験がすごく面白くて、それは何なのか? 

今の子どもたちには、体を使っての共感を是非体験してほしい。

舞台って実はそういうものでしょう。舞台を見ることによって、自分が人間なんだということがわかってくる。ひとりひとりの違いよりも、人間としての共通性ですね。自分の体ってこうなんだよってことが。

 

おおたか:

以前、私はクラシックの声楽をやっていて、背筋をのばして口を縦にあけ、発声練習をしていた。でも、なんの役にも立たなかった。他にもいろんな発声練習をしたけど、どれもうまくいかなくて、結局、自己流になっちゃったんですよ。

赤ん坊って小さい声帯なのに、寝転がってでも大きな泣き声で泣きますよね?声のお絵かきの時はその説明をして、寝転がったり、ギャーギャーしていいよって。自分が体を解放したらいい声出るんじゃないかなーって。クラシックからジャンルを変えた時に、実はすごく苦しんだんです。ゼロから発声をやり直したので、声が出ない~という人の気持ちはよくわかるんですよ。

 

佐藤:

声が出ない一番の原因は、大きな声を出したことがないこと。遊んでる空間が、今はすごく閉じられた空間だから、出ないのではなく、出したことがない。声もまた体ですよね。声帯は筋肉ですから。

声を出した後は整理体操やると声が枯れないよとか、くたびれないよとか。

体のことは子どもに教えたい。真似するのが、子どもはすごくうまいし、覚えるのも早い。小学1~2年であれば、ラジオ聞いてれば、落語の寿限無なんかすぐに覚える。それくらい吸収力が高い時なので、人を見る、体を見るって体験はとても大事ですね。

おおたかさんのライブでの子どもの様子はどんな感じですか?

 

 

【子どもはライバル】

おおたか:

私は空気で進めるタイプなので、プロットを決めないというか。だましだましっていう言い方はおかしいですが、「自分が今どのように、子どもたちの中に浸透しているか」を観察しながらじゃないと。ちがうなって思うと、ぱっと場面転換したり。集中できてないなって思うと、「ミュージシャンの側にいってきていいよ~」とか。いろいろ知恵を絞るようになりました。

基本的に、「子どもの集中力はそんなに長くないんじゃないか」と思っているので。でも、それは違うのかもしれませんね。

 

佐藤:

集中力のあり方がちがう。大人は頭で集中。本来の集中はリラックスでしょうね。子どもの集中時間は長い。傍から見ていると、飽きてると思うくらいですね。子どもに限らないけど、やりながら中身の形を変えていくという、先程のインプロの話はすごく大切、演劇は本来そういうものでしょう。

 

子どもたちのパフォーマンスにも、もっとそれを生かさなきゃいけない。学校公演で回るとなると、パッケージがきちんと出来て、それをコンスタントに再現できることが求められる。だけど学校は、それぞれに空間が全然違う。この間沖縄に行って、真っ暗になる芝居だったんだけど、暗くすると暑くなると。じゃ暗いのをやめたらいい。照明やめて風通しのいい中でやろうと。

僕は、ライブパフォーマンスとはそういうものだと思っている。パッケージを持って行ってやるのではなく、その場に合わせる。パフォーマーは信頼関係さえあればそれくらいのことはできる。

子どもの舞台の中では今、簡単にパッケージを考え過ぎてないか。こういうことしたら喜ぶだろうとか。でも実際は、子どもによってすごく違う。

 

おおたか:

子どもの方がすごく吸収力がある。おとなよりもずっと。そういう意味では、私は子どもを信頼していて、想像力や吸収力とか、大人なんて太刀打ちできないような表現力とか。子ども用の歌という形では、そんなに作らない。どんなに大人っぽい歌でも、「これは子どもの歌よ」って言いながら歌う。言い方一つ、お品書きひとつで変わるのでは?と思う。

子ども用ってことで、自分の表現を格下げにはしたくない。それは子どもを舐めていることになるし、自分の敗北だなと思う。子どもはすごいライバルくらいに思ってて、負けないわよー、アンタに。くらいに思ってる。

 

佐藤:

大事なのは視点ですね。一方で真逆なんだけど、子どもは子どもって視点も必要でしょう。子どもは大人ではない。特に小学4年生以前までの人格形成出来てない子どもたちを、おとなと同じように扱ってはいけない。

お母さんが「どっちの服好き?」って聞くと、お母さんがどっち選んで欲しいか、で子どもは選ぶ。そのサインを読み取るようになる。子どもは子どもだってことが大事です。パフォーマーにとって子どもは先生です。子どもから教わることがたくさんある。だから僕は、パフォーミングアーツをやる人は、一回は子どもと向き合って作品をやると、大事なことを思い出せる。できること、できないこと。子どもは人間の原型を残しているので、素直な反応を返してくれる。

 

 

【大人の役割は子どもの領域をつくること】

佐藤:

大人の役割って考えますか?

おおたか:声のお絵かきはルールを度外視しています。インプロですね。インプロというのは、自分で作曲して演出しないといけない。音符を読める人がインプロができないことも多い。そういう風に「体を張ってますよ」ってことを見せることが、大人としての役割かもしれません。

 

佐藤:

僕は、大人の役割は、子どもの領域を作るってことだ思う。座・高円寺でGWに「子どものアソビバ」をつくって、劇場を開放する。子どもが3時間以上遊び呆けられる場所って、そんなにない。託児で預かった子どもが、広い部屋を二人だけで走り回って嬉々としていたり、声を出して遊ぶこともそうだし。そのことに徹底的に付き合う、みたいなことがないと。そこに付き合う場所を作ることが、大人の役割かな。劇場は子どもの領域になり得るし、子どもを消費の対象と見ない考え方が必要でしょう。

劇場やアーティストにはすごく役割があると思っている。子どもと時間を過ごすことは、多分アーティストの表現行為と近い。アートって場所が子どもを受け入れる場所になるとよい。でも、評価するためのアートは子どものアートではない。

社会的単位として、子どもを支える単位が何なのか、考える時期に来ているとも思っています。

 

 

【広報大使としておおたかさんからのメッセージ】

おおたか:

私が一番怖いと恐れている舞台。怖いところには魔物が住んでます。魔物が住んでると、普段想像できないことが起きるんですね。逆に普段できないことができちゃったり。そのワクワク感を自分も味わいたいし、皆さんにも是非味わって頂きたいですね。

 

佐藤:

おおたかさんには、是非子どもための作品を作るアーティストを広める広報大使にもなって頂きたいですね。

 

 

 

 

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