支援総額
目標金額 10,000,000円
- 支援者
- 737人
- 募集終了日
- 2020年12月11日
森鴎外『舞姫』執筆の旧居 根津神社への移築プロジェクト【最終章】
#地域文化
- 現在
- 6,965,000円
- 支援者
- 152人
- 残り
- 13日
ナンシー関の消しゴムハンコ5147点を未来へ|歴史的遺産を守る挑戦
#本・漫画・写真
- 現在
- 8,225,000円
- 支援者
- 583人
- 残り
- 46日
【第1弾】福井城坤櫓(ひつじさるやぐら)復元プロジェクト
#観光
- 現在
- 837,000円
- 支援者
- 91人
- 残り
- 8日
緊急支援|中国チベット自治区の地震被害へのご支援を
#国際協力
- 現在
- 1,020,000円
- 寄付者
- 143人
- 残り
- 67日
英霊の「みこころ」とご事蹟を後世へ|靖國神社遊就館改修にご支援を
#地域文化
- 現在
- 42,514,000円
- 支援者
- 1,899人
- 残り
- 7日
盛岡の地に新しいシンボルを、みんなで。カワトクとともに、
#地域文化
- 現在
- 21,555,000円
- 支援者
- 1,076人
- 残り
- 21時間
えん罪のない世界へ!IPJサポーター
#起業・スタートアップ
- 総計
- 55人
プロジェクト本文
目標達成の御礼と引き続きご支援の御願い
「鷗外荘修繕プロジェクト」クラウドファンディングは12月8日午前10時に1000万円の目標を達成いたしました。
皆さま本当にありがとうございました。
皆さまからの善意を全身に感じております。尊いお金です。
《有り難い》という言葉しか思いつかないのが歯がゆいです。
強い想いでこれからも歩んでまいります。
今も増え続けるご支援に思いっきり感謝して…。
残り数日、駆け抜けます。最後まで引き続きよろしくお願いいたします。
水月ホテル鷗外荘
女将 中村みさ子
- 鷗外荘修繕プロジェクト -
明治のロマン主義文学の傑作「舞姫」は、森鷗外旧邸にて執筆されました。
水月ホテル鷗外荘は、敷地内に明治の文豪・森鷗外の旧邸を保存しております。
名作「舞姫」を執筆した日本間を「舞姫の間」と名付け、これまで80年間、お食事処、宴会場、コーンサート会場として皆様にご利用いただいておりました。
2020年。新型コロナウイルス感染症流行の影響を受け、
運営しておりました水月ホテル鷗外荘は、5月31日をもって閉館。
しかしこれからも、この森鷗外旧邸は保存していかなければなりません。
保存のため、どうかご支援のほどよろしくお願いいたします。
水月ホテル鷗外荘
代表取締役 中村菊吉
約80年間支えていただいてきた「鷗外荘」は、2020年5月31日に一度幕を閉じました。
改めまして、水月ホテル鷗外荘 女将の中村みさ子と申します。
森鷗外が「舞姫」を執筆・発表した旧邸として鷗外荘は約130年もの間、東京の台東区池之端にずっと建ち続けています。私たちは約80年間、この森鷗外旧邸を守ると決め、運営を続けてまいりました。
しかしコロナ禍によりお客様を受け入れられない状況をみて、今年の5月末をもって営業を中断するために閉館いたしました。
閉館を決めてから、多くのお客様に来ていただき、たくさんの嬉しいお言葉をいただきました。
‖ お客様の声
家族の大切な記念日はいつも鷗外荘でした。
鷗外旧居での接待は、ゲストにとても喜ばれました。
いつまでも鷗外荘での同窓会が続くものと思っておりましたので、まことに残念です。
鷗外温泉にいつも癒されていました。
毎年のおせちが楽しみでした。来年はどうしましょう。水月ホテル鷗外荘は東京のおうちでした。
鷗外温泉にいつも癒されていました。 残念です。
こ の 森鷗外旧邸は、必ず守らなければならない。
目標金額に掲げた1000万円は、森鷗外旧邸を守るために必要な修繕費と維持管理費に充てさせていただきます。
ホテル閉館後、移築や資料館の計画など、森鷗外旧邸を守るためのさまざまな方法を検討していますが、最善の方法を見つけるには、まだまだ時間がかかります。
検討と同時進行で、最優先である屋根瓦の修繕を行います。
私たちも責任をもって管理をいたします。この家が生き生きした姿でちゃんと残っていくために、どうぞご支援のほど何卒よろしくお願いいたします。
森鷗外 旧邸の歴史
森鷗外が『舞姫』を書き文壇にデビューした旧邸として築134年を迎えております。
森鷗外が赤松家のご長女だった登志子さんと結婚され、もともと赤松家の家だったこの場所が新居として選びました。ご結婚なさった翌年の明治23年(1890)1月3日にここで『舞姫』を発表された記録があり、ここが森鷗外の文学の発祥の地と言っていただいております。
ここに森鷗外が住んでいた頃は、ここから無縁坂を登りまして不忍池を回り、蓮玉庵という蕎麦屋さんに立ち寄ってこの家にお帰りになられたそうです。晩年の小説『雁』の舞台にもなったと言われています。
約80年前、この家が売りに出されており、先代が買い取ったところからずっと私たちは守ってまいりました。この旧邸には残すべきものがたくさんあります。
‖ 旧邸 隣接の庭
関東大震災にも、第二次大戦の空襲にも耐えたこの家は、庭に残る樹齢300年の榧 の木や、クロガネモチの木、玄関などは、当時の面影を今に伝え、まるで鷗外がその場に佇んでいるかのような明治の雰囲気が漂っています。
‖ 宮大工こだわりの建造方法
この家は、宮大工が建てているため、釘を一本も使わない組み込み式で、で作られており非常に頑丈に作られています。また、節を除いて木を贅沢に使っているため柱にはひとつも節がないことや、全体で家を支えるという考え方のもと大黒柱と言われるような太い柱がないことなど、当時の宮大工のお洒落さ・こだわりを窺い知ることができます。
森鷗外の旧邸というだけではなく、明治期の歴史的な建物としてもとても貴重なものです。
家に併設された蔵もあります。蔵は家から離れたところにあるのが一般的でしたが、この家は内蔵です。この蔵は、森鷗外生誕140年にあたる平成14年にお食事ができる特別室として装いを新たにしました。
舞姫の間の柱と比べると、こちらの柱は節が多くあり、太く作られています。人を招く場所とモノを入れる場所を明確に分けていた当時の思いを窺い知れます。
‖ 当時から残る家具
玄関すぐにある下駄箱は、森鷗外が使用していた当時のものが残っており、大切に磨きをかけ今でも使用しております。
新型コロナウイルス感染症の影響もあり、今回ホテルは閉館となりましたが、これまで多くの方々がこの旧邸を残すため、いろいろな形で支え続けてきた想いとともに、私たちはこれからもこの旧邸を守っていきたいと思っています。
森鷗外の旧邸はこの場に残していきたい。
現在もいろいろなところにご相談しながら、最良の道を探しております。
ホテルを閉館しているとはいえ、たくさんの維持費かかっており、約6,000万円以上の費用がかかります。まだ体力のあるうちにと閉館を決めましたが、次の道が決まるまで先行きが不透明な毎日です。
まずは、屋根の修繕のためにクラウドファンディングを立ち上げました。
いただいたご支援は以下の目的で使用させていただきます。
▼資金使途
・屋根の修繕費(瓦の吹き替え)
・クラウドファンディングプラットフォーム利用手数料
※本プロジェクトは、支援総額が期日までに目標金額に届かなかった場合でも、目標金額分を自己負担するなどして、必ず上記の実施内容の通り実行致します。
皆様のご期待に添えるよう、そして森鷗外の旧邸をこれからもしっかりと守っていけるように努めて参りますので、ご支援のほど何卒よろしくお願い申し上げます。
水月ホテル鷗外荘
女将 中村みさ子
応援メッセージのご紹介
森 千里(千葉大学大学院医学研究院 教授)
上野駅から池之端方面に不忍池を左に見ながら動物園通りを歩くと、やがて駅の喧騒は遠ざかり、静かな住宅街が広がる。その住宅街の入り口に、かつて曾祖父森鷗外が最初の結婚の新婚時代を過ごした旧宅が今も建っている。
この家は、妻、赤松登志子の実家、赤松家の持ち家であった。結婚は1889年のことなので、この家は建築から130年以上が経っている。伝統的な日本家屋であるが、母屋は宮大工が釘を使わずに造作し、柱には節の無い部分を使い、天井は杉の一枚板を使うなど、格式高い造りである。庭には小さな池と石橋があり、たくさんの種類の木が植えられて四季折々美しく、庭に立って植物のささやきに耳を澄ませているだけで心が落ち着く。
鷗外はこの家で近代日本の衛生的な街づくりについての構想を練り、小説「舞姫」を書いた。持ち主の移り変わりとともに何度かリフォームされているが、1923年の関東大震災、その後の第二次世界大戦中の空襲、バブル景気の狂った時代にも生き残った、「奇跡の家」と言ってよいであろう。戦後、ホテル「鷗外荘」として、最高の和食をいただける料亭に生まれ変わり、現オーナーに守られて今まで生き残ることができた。この建物を、「役割を終えた」として壊すことはたやすいことであろう。しかし、都会に残った数少ない明治時代の邸宅、森鷗外が日本の将来について思考を巡らせ、小説家として名を残すきっかけとなった家をこの地に残していくために、今生きている私たちにできることがあるのではないだろうか。
今回、クラウドファンディングで多くの方々から少しずつご支援を募集していると知り、私も森鷗外の末裔として少しでもお役に立ちたいと思う。鷗外を、この建物を愛してくださる皆様に心から感謝申し上げ、ご支援をお願いする次第である。
六草いちか(作家)
私と「水月ホテル鷗外荘」との出会いは、拙著『鷗外の恋 舞姫エリスの真実』がきっかけです。
鷗外荘にお招きくださる方があり、その翌年に水月ホテルに宿泊し、以来、鷗外荘は懐かしい人々や大切な方々との会食の場、そして水月ホテルは東京滞在中の定宿になりました。
街路に面して「水月ホテル」が建ち、中庭に日本庭園があり、そこに古いお屋敷。ここが料亭「鷗外荘」。それはかつての鷗外の住まいであり、ここで『舞姫』が執筆されました。
投宿中は、出かけるときに鷗外荘の前で「鷗外先生、行って参ります」と会釈し、戻ると「ただいま」とご挨拶することが日課となり、少し時間ができたときには、その木戸をくぐって鷗外先生に話しかけたり、また、ホテルロビーの喫茶スペースで、ガラス越しに鴎外荘の木々を眺めながらコーヒーを頂くのが至福のひとときでした。
その折々に感じたのは、東京では大きな災害が幾度となく起きているにも関わらず、この家屋が健在であったこと。奇跡としか思えませんが、老朽化を食い止めるため、創業以来、絶えず細かいメンテがなされていたと聞いています。
『舞姫』は、自身の体験から生まれた作品です。書いているときの思いや発表後のあれこれ……鷗外の思いが詰まった場所です。この先も、鷗外荘が知の遺産として、この地に残ることを、切に願っています。心から。
倉本幸弘(森鷗外記念会事務局長兼常任理事)
上野の丘を中心にして、その周辺には、長い時を経た建物が数多く残っています。けれども、その保存、維持は所有者個人の力では困難であるため、建て替えられたり、壊されたり、そのまま放っておかれて、朽ち果てていくものがあります。そのことは建物そのものがなくなるということにとどまらず、その街の歴史が失われることを意味します。そこで、今日、そうなることを惜しむ人々によって、ギャラリーやカフェなどの形で活用することで、そうした建物を維持・保存するという方法が考え出され、その活動が始まっています。
実は、八十年前にも、そうした方法が考え出され、実行されていたのです。上野の丘の麓、不忍池の畔にある「水月ホテル鷗外荘」です。それは、経営者個人の発想と努力によるものでした。この地にあった〈森鷗外旧邸〉を、その姿を残したまま、ホテルの一施設として取り込み、活用していたのです。それは、歴史的な建物を保存すると同時に、森鷗外という人を顕彰する営みでもありました。
今も残る〈森鷗外旧邸〉、そこは、ドイツ留学から帰って来たばかりの鷗外が住んだ建物でした。その期間は決して長いものではありませんでしたが、ここで「舞姫」「うたかたの記」といった彼の初期の名作が書かれました。彼を中心に、当時の知識人が集い、西洋の詩を翻訳した訳詩集「於母影」が編まれ、文芸評論の雑誌「しがらみ草子」が創刊されました。「衛生新誌」「医事新論」などの医学誌を通して、少壮の衛生学者としての鷗外の活発な発言がなされたのもこの場所からです。森鷗外の広範な学問、様々な芸術活動の全ては、この建物から始まったのでした。
今からおよそ百年前、森鷗外が、この地からほど遠からぬ千駄木の団子坂の上に居を構え、その晩年を迎えようとしていた頃に、世界中で、死者数千万―日本だけでも四十万人―を数えたという「スペイン風邪」が猖獗を極めていました。そうした危機の中でも、史伝「北条霞亭」の連載、「帝諡考」の起筆と、鷗外の芸術、学問の営みは弛むことはありませんでした。上野の丘への坂道を上って行く年老いた鷗外の姿がありました。丘の上には、彼が、総長として務めていた帝室博物館(現在の東京国立博物館)があったからです。今日、その姿を思い浮かべる時、学問と芸術の象徴のような森鷗外という人を記憶し続ける場としての〈鷗外の旧邸〉が、保存され続けることを、私たちは心より望んでいます。
山崎まゆみ(温泉エッセイスト・跡見学園女子大学兼任講師[観光温泉学])
水月ホテル鷗外荘が閉館する2020年5月31日、私は鷗外荘にいました。カメラやスマホを片手に、鷗外荘最後の日を写真に残そうとする人の姿。ロビーには、ひっきりなしに押し寄せる人たち。
エントランスから続く通路とロビーには花のスタンドが立ち並び、棚にも隙間がないほど花が置かれてありました。旅館の最後の日はひっそりと迎えるのかと想像していましたが、鷗外荘は賑やかでした。
鷗外荘の閉館のニュースはトータルで30以上のマスメディアが報道したそうです。その取材を全て受けてきたのが中村みさ子女将です。この日、みさ子女将が行く所は鈴なりのように人が連なっていました。
みさ子女将が夕食会場に入ると「みさ子さん!」と女性が駆け寄り、「みさ子さんがこれから何をされるか、期待しているんですよ」と話していました。鷗外荘も、みさ子女将も、終わっていません。
鷗外荘を保存・存続させるために、私はこのクラウドファンディングを応援します。
クラウドファンディングのご留意事項について
1) 本クラウドファンディングでのご支援は、寄附控除にはなりません。
2) このプロジェクトは目標金額の達成有無にかかわらず、支援をした時点で申し込みが確定し、その後のキャンセルはできませんのでご注意ください。また、支援確定後、コースの変更はできません。他コースを支援希望の場合は、追加支援をしていただく形となります。
3) ご支援時に入力いただいたご住所や、質問項目への回答は、支援確定後は変更できません。
4) 銀行振込にてご支援いただく際、返金先口座情報をお伺いいたしますが、原則返金はいたしません。ただし万一、お約束していたプロジェクトを実施できなかった場合や、振込金額が予約金額より超過している、もしくは不足しており追加で振込まれない場合に返金先口座を利用いたします。お手数ですがご入力をお願いいたします。
5) 体験型のリターンメニューについて、新型コロナウイルス感染症の拡大状況等により、実施を延期させていただく可能性もございます。そのようなやむを得ない事情による場合でも返金はいたしかねますので、ご容赦ください。
6) 本プロジェクトのリターンのうち、【お名前掲載】に関するリターンの条件詳細については、こちらのページの「リターンに関するご留意事項」をご確認ください。
7) 支援完了時に「応援コメント」としていただいたメッセージは、本プロジェクトの支援獲得のPRのために利用させていただく場合があります。
8) その他、支援に関するご質問は、こちらをご覧ください。
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プロフィール
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リターン
5,000円
お気持ちご支援コース
●お礼のメールをご送付いたします。
※リターンをお届けしないかわりに、いただくご支援をできるだけ多くプロジェクト実施のために使わせていただくコースです。
- 申込数
- 227
- 在庫数
- 制限なし
- 発送完了予定月
- 2021年1月
10,000円
鷗外荘ツアー(お茶付)
●お礼のメールをご送付いたします。
●女将 中村みさ子が鷗外荘をご案内いたします。(お茶会付き)
【日程】
いずれかの日程、お時間でご参加ください。
1/19(火):11時・14時
3/6(土):11時・14時
3/27(土):11時・14時
3/28(日):11時・14時
4/4(日):11時・14時
- 申込数
- 223
- 在庫数
- 制限なし
- 発送完了予定月
- 2021年1月
5,000円
お気持ちご支援コース
●お礼のメールをご送付いたします。
※リターンをお届けしないかわりに、いただくご支援をできるだけ多くプロジェクト実施のために使わせていただくコースです。
- 申込数
- 227
- 在庫数
- 制限なし
- 発送完了予定月
- 2021年1月
10,000円
鷗外荘ツアー(お茶付)
●お礼のメールをご送付いたします。
●女将 中村みさ子が鷗外荘をご案内いたします。(お茶会付き)
【日程】
いずれかの日程、お時間でご参加ください。
1/19(火):11時・14時
3/6(土):11時・14時
3/27(土):11時・14時
3/28(日):11時・14時
4/4(日):11時・14時
- 申込数
- 223
- 在庫数
- 制限なし
- 発送完了予定月
- 2021年1月