【福島をみつめる活動日記2/福島滞在2016.7.10.〜7.12.

《5年4ヶ月ぶりの“帰郷”/後編》

 

〜復旧復興のために、費やされた5年〜

 福島第一原発の事故により「避難指示」が続いた原発20km圏内では、これまで何が行われてきたのでしょうか。私は、震災直後から立ち入りが制限されていた南相馬市の20km圏内(小高区と原町区の一部)を中心に、年を追うごとの状況の変化を、映像で記録してきました。
“復旧復興”を目指すとして、国は住民不在の地域の中でも、様々な事業を進めてきました。瓦礫の分別や家屋の解体、道路の整備や開通、そして除染などです。もちろん、震災からの復興のためには必要なものばかりです。

 

   

(写真:2011年 バリケード設置、2012年「警戒区域」の解除 / 南相馬市)

   

   (写真:2013年 瓦礫の分別開始、荒廃したビニールハウス / 南相馬市)

   

(写真:2014年 本格的な除染開始、保育園の校庭の除染廃棄物 / 南相馬市)

 

しかし、必ずしも住民の方々の希望通りとはいえない部分もありました。

その状況を見ながら、そして迎えた7月12日を、住民の方自身はどのように想い、過ごしたのでしょうか。

 

〜待ちわびた5年、長すぎた5年〜

 2016年7月12日。南相馬市の20km圏内に出されていた「避難指示」が解除された当日の朝。私は南相馬市北部の鹿島区にある、仮設住宅にいました。知り合いの80代の男性が、引越しの荷造りに追われていました。

避難指示解除の当日、妻と娘の家族3人で、20km圏内の小高区にある自宅に戻ることを決めたといいます。

 

   

   (写真:引越しの荷造りの様子/2016年7月12日撮影)

 

軽トラックに荷物を積み込んで、走らせる道。これまで避難指示が続く中、何度も自宅へと往復したこの道も、きっとこの日は、特別な気持ちで車を走らせていたことでしょう。

そして、同行した20km圏内の自宅の庭先にあったのが、この石像でした。

 

 (写真:カエルの石像 南相馬市小高区にて/2016年7月12日撮影)

 

台の上には、カエル。そして、「無事帰る」の文字。

引越しの3日前に男性が建立し、神主を呼んで神事まで行ったといいます。

台座の側面には、「東京電力福島第一原子力発電所爆発事故により、避難生活5年」と記されています。

 

ようやく戻った我が家の居間で、男性は、自分の座椅子が置かれた定位置に腰を下ろし、語ってくれました。

「この像を見ていると、この5年が蘇るんです。だけども、悔んでるだけでは仕方がない。それも自分の運命だと。でも、これからは平穏に暮らします。」

そんな想いを込めました。「自宅に戻る」という、ささやかな“夢”。5年4ヶ月越しの悲願が叶ったのです。

 

 (写真:避難指示解除後の小高駅前商店街/2016年7月12日撮影)

 

 またこの日は、旧避難指示区域内で震災以来不通となっていた列車の運行が、ようやく再開されました。エリアの中心部に位置する常磐線の小高駅は、開通を祝って記念乗車する人や取材の報道陣で溢れていました。

 

   

 (写真:小高駅の駅舎、ホームに入る電車/2016年7月12日撮影)

 

 しかし、ひとたび山間部に目を向けてみると、そこには相変わらず、ひと気のない風景が広がっていました。南相馬市では、沿岸部や町の中心部より、西側の山間部が、より放射線量が高い傾向があります。

 南相馬市内で最も線量の高いエリアの、ある集落に足を運びました。ここには震災の翌年から、私自身も度々訪れては、避難中の住民の方の話を聞き、変わりゆく様子を記録してきた場所です。空間線量は0.44μSv/h(マイクロ・シーベルト毎時)。4年前の5分の1程に下がっています。それでも、周辺には除染作業員が細々と作業をする姿を除き、住民の姿は見えません。

 

  (写真:南相馬市の集落 空間線量0.44μSv/h/2016年7月撮影)

 

「私は、もう自宅には戻らないかなー。」

この集落に暮らしていた70代の男性の言葉です。いまから1年ほど前のこと、初めて、そんな気持ちを口に出されました。その方の息子さん一家は、震災後すぐに町を出ていました。その方のご両親は、避難先の慣れない環境の中で体調を崩し、震災の翌年に相次いで亡くなっていました。

7月12日、その方のご自宅の周りに設置された「除染作業中」ののぼり旗が目に入りました。作業員の姿はなく、これから除染を行うため準備中のようでした。

 

   

    (写真:スモモの実、ニホンザルの群れ/2016年7月撮影)

 

 静まり返った集落を歩いていると、たわわに実ったスモモの果樹園が広がっていました。木々からは甘い香りが漂います。そして、熟して次々と地面に落ちる果実の、「ボタ。ボタ。」というだけ音が、あちこちから響いてきます。

そして集落を後にしようと、車で走り始めてすぐのことでした。草むらでうごめく、“何か”が目に入りました。車を降りてみると、それは道路を我が物顔で横切る、数十匹のニホン猿の群れでした。

 

 同じ “避難指示が解除された” 地域とは言っても、ここまで実情に違いがあるということです。国の発表が報道される時、実際の状況は決してひとくくりには出来ないという事を、改めて多くの方に知っていただきたいと思っています。 

 

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