お早うございます。松竹大谷図書館の武藤祥子です。この連休中もご支援が続いて、現在58人の方から86万8千円のご支援を頂いて、厚いご支援と温かいコメントに勇気づけられております!

 

さて今回の新着情報は【音貞アルバム】に貼り込まれた資料の中から、サンフランシスコでの義援興行に関する新聞記事をご紹介します。

 

【音貞アルバム】 (撮影:浜田聡一郎氏)
【音貞アルバム】 (撮影:浜田聡一郎氏)

 

 

プロジェクトページでもご紹介していますが、明治32[1899]年、川上音二郎・貞奴一座は、欧米公演最初の興行地サンフランシスコで興行の売上金を全て持ち逃げされ、劇場代はおろかホテルの宿泊費も払えず、日本から持参した衣裳や小道具までも差し押さえられてしまいます。そんな音二郎・貞奴一座に、現地邦人たちが援助と義援興行の手を差し伸べました。

 

その義援興行に対して音二郎が新聞に寄せたお礼広告が、アルバムに残っています。

「御礼 今回有志諸君の御盡力に依りジャーマンホール演劇興行に付ては初日より賑々敷御来観被成下難有奉存候以御蔭毎日大入の盛況を呈し小生は不及申一座之者共博愛義侠なる同胞諸君之御高志の程奉感佩候不取敢紙上を以て此段御礼奉申上候 七月廿七日 川上音二郎 同一座
在留同胞諸君 [明治卅二年]」

 

また、そのお礼広告のすぐ上には、義援興行の演目に関する切り抜き記事が貼

り込まれています。 

サンフランシスコの最初の興行では時代物を上演していたようですが、義援興行では『八十日間世界一周』などの現代劇を上演したようで、新聞の切り抜きにも「―肩苦しき時代物よりも今度の当世的世話物の方がやるにも楽だろうし見ても面白い―」とあります。恐らく時代劇の上演に必要な衣裳などを差し押さえられたため、現代劇をやらざるを得なかったのだと思いますが、現地邦人には現代劇の評判は良かったようです。


また、「―ただし後の(興行の)余興は、到底前の(興行の)『道成寺』には及ぬ―」とあるのは、サンフランシスコの最初の興行で余興として出していた貞奴の『道成寺』の評判が良かった事を伝えているのだと思われます。貞奴の『道成寺』は、その後外国人の目を意識した『芸者と武士』という演目へと進化して、欧米公演で大反響を得ていきます。

 


義援興行の演目の一つ『八十日間世界一周』は、明治30[1897]年1月川上座で初演、大入りで公演が日延べ(延長)された人気演目でした。音二郎は、ジュール・ベルヌ原作版の主人公が英国人富豪であるのを日本人紳士に置き換えて、賭けの為に八十日間で世界を一周するところを、サンフランシスコからインド、香港、上海、横浜と巡るようにしました。そして一行が旅の途中でインド人婦人を助ける話が原作にあるのを、川上一座の芝居では、インドで日本人女性を救う場面として上演されました。サンフランシスコの義援興行ではこの場面の音二郎の台詞が、現地邦人達の心に響いたようで、「元来日本人の気性として外国で我同胞の難義するのを見棄てて置けぬ一向之を知らぬ振りして自分許り旨い物を食ふことが出来るものか」という台詞が、新聞に掲載され褒められています。

 

『八十日間世界一周』明治30年7月御園座上辻番付

 

『八十日間世界一周』明治30年7月御園座上辻番付(「東洋男子佳人ヲ救フ」部分)

 

さて、6日間の義援興行の収入で、川上一座は借金を返せたのでしょうか?

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