お早うございます。松竹大谷図書館の武藤です。

 

早いもので12月となりましたが、本日の東京はぽかぽか陽気でシャツ一枚で出歩いても大丈夫な暖かさです。とは言え風邪も流行っているようですので、みなさまどうぞお体お気を付けくださいませ。

 

さて現在、松竹芸能株式会社さんがクラウドファンディングプロジェクト「松竹芸能が上方演芸の歴史を紡ぐ。殿堂「角座」の一口支配人募集」を実行中です。

 

角座とは、そもそも承応(1652-1654)年間に建てられ、「角の芝居」と呼ばれた道頓堀最古の芝居小屋の一つで、歌舞伎の舞台に不可欠である「回り舞台」が初めて採用された芝居小屋でもあります。明治44[1911]年には松竹合名社の傘下に入り、演芸、そして新派など様々な演劇が上演された、松竹にゆかりの深い劇場でもあります。戦時中に空襲で焼失する悲劇もありましたが、昭和22[1947]年11月に復興開場。翌年夏に洋画の封切館に転向しましたが、昭和33[1958]年に演芸場として改装され、「演芸の角座」として昭和期には多くの著名な芸人たちが舞台を沸かせました。

そして2019年1月1日、角座という上方演芸の灯を守るべく、心斎橋に角座の名を継ぐ劇場が誕生します!

 

この伝統ある角座の名前を継ぐ劇場が「一口支配人」を募集しています。上方の芝居小屋、そして上方の演芸にご興味をお持ちの方は、是非下記のプロジェクトページをご覧ください!

 

「松竹芸能が上方演芸の歴史を紡ぐ。殿堂「角座」の一口支配人募集」

 

さて当館では、特に戦前の角座の資料を多く所蔵していますので、この機にご紹介いたします!《松竹大谷図書館所蔵・芝居番付検索閲覧システム》の「劇場」の項目に「角」を入力して検索しますと、約540件の番付がヒットします。

 

その中で一番古い番付は、約200年前の、文政4[1821]年1月歌舞伎の役割番付です。

3代目中村歌右衛門
3代目坂東三津五郎

演目は『けいせい双鏡山(かがみやま)』。役人替名(やくにんかえな=配役)には、三代目中村歌右衛門と三代目坂東三津五郎の名が見えます。共に文化・文政期を代表する歌舞伎の名優で、当時人気を競っていました

 

そして、角座は明治44[1911]年5月に松竹合名社の傘下に入りましたが、以来番付にも「松竹」の名が見られるようになります。下は「松竹」の名が確認できる、当館で一番古い番付で、明治44年9月のものです。右上に横書で「新喜劇 楽天會」とあります。

楽天会は、曾我廼家五郎のもとにいた中島楽翁と、「大阪俄(素人の即興的なお笑いから発達した大衆演芸)」で人気を博した鶴家団十郎のもとにいた初代渋谷天外が結成した喜劇団で、白井松次郎・大谷竹次郎兄弟の松竹合名会社の肝いりの劇団でした。

 

喜劇の祖とされる曾我廼家五郎・十郎の「曾我廼家兄弟劇」が明治37[1904]年に道頓堀の浪花座で誕生したことをきっかけに、喜劇は歌舞伎や新派と並んで劇場で興行が打たれるようになり、白井松次郎・大谷竹次郎兄弟も喜劇を重視していました。

左下に「松竹印刷部印行」の字が見えます(赤枠の部分)。そして、中央の配役名に「澁谷天外」の名があるのも見えます。

 

こちらは上の番付の裏にあたります。中央下に「松竹合名社」とあります。楽天会の喜劇俳優たちの顔写真入りの番付です。

楽天会は人気劇団となり、その後も角座で興行を打ちましたが、大正5[1916]年12月に初代渋谷天外が35歳の若さで病死、大正9[1920]年9月には中島楽翁も37歳で逝去し、大正11[1922]年に解散していまいます。

 

この番付は、喜劇が始まった明治時代から、すでに角座が喜劇と深い関わりがあったことを伝えているといえますね。

 

江戸時代までさかのぼる、長い歴史を持つ角座のプロジェクトのページはこちら

 

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