みなさん、こんにちは。(日本では)暑い日が続きますが、いかがお過ごしですか。
今日は、私たちが主に映像制作活動の拠点にするヨルダンにおけるシリア人の生活の様子について、本プロジェクトサイトより少し詳しく、ご説明したいと思います。今後私たちの活動をお伝えしていく上での背景となる部分です。

 

まず、ヨルダンにおけるシリア人の難民キャンプとして、よく取り上げられるのが「ザアタリキャンプ」というキャンプです。シリア・ヨルダンの国境から約30キロの土漠の中に突然作られた難民キャンプです。「UNHCR」と書かれたテント、各国の援助によって建てられた「キャラバン」と呼ばれるプレハブのような建物が彼らの住宅になります。15万人程度を収容していると言われるザアタリキャンプはシリア避難民が流入を始めてから数年で大掛かりな「街づくり」が進み、彼らのコミュニティもより独特で複雑なものになっています。

 

ザアタリキャンプにて。シリアに帰るためのバスに並ぶ人々。

生活苦から危険の残るシリアに帰ることを選択する人も多い。

 

具体的には、キャンプ中央にはマーケットが並び(通称シャンゼリゼ通り)、どこから仕入れたのか、野菜や日用雑貨、扇風機等まで売っています。商売をしたり、キャンプの検問所や運営側で仕事を得たりすることで、逞しく生活をする人々がいる一方、テントが立ち並ぶ「住宅街」ではキャンプでの生活を気丈に耐え忍ぶ人々、不安定な援助に頼るだけの主体性のない生活に苛立つ人々などもたくさんいます。当然のことながらインフラ整備も追いつかず、電気は各家庭に電球がつくくらいの電気があれば良い方で、水は悪くてお腹を壊す人々が多くいるようです。治安は悪く、検問所は夕方5時には閉まります。いたるところに有刺鉄線が張り巡らされているので、あるシリア人は「(キャンプを出てからも)有刺鉄線を見るとキャンプを思い出すから本当に嫌だ」と言っていました。目に見えない緊張感と、際どいバランスの上に成り立っているコミュニティがそこにはありました。

 

ザアタリキャンプにて。有刺鉄線が至る所にみられる。

 

このような状況を逃れて(多くのシリア人はここから逃れたいと思っています。)何とかしてキャンプを脱出した人は今度は親戚を呼び寄せ、ヨルダン国内で暮らし始めます。いわゆる「ホストコミュニティ」と呼ばれる、シリア人によるコミュニティがヨルダン国内には自然発生的に多く出来ています。多くは中規模以上の都市の(比較的家賃の安い)郊外地域に集まるのですが、彼らが最初に直面する問題は「家賃」です。シリアと比較して物価が高く、仕事がないからです。食べものや着るものは、充分とは言えないにしろ、アラブ人独特の助け合いの精神で、近隣でどうにか融通しあっているようです。訪問した殆どのシリア人家庭が「一番困っていること」に「家賃」を挙げていました。大まかな印象ですがシリアの同程度の住宅の家賃相場と比べると大体3~4 倍程度でしょうか。

 

ガレージの一角の部屋。

おそらく元々は守衛さんの待機場所として使われていた部屋。

住宅難で、こんな場所でさえも住居になっている。

そもそも住居用に作られた場所ではなく、臭いが篭りやすいのか、

入った瞬間に鼻をつく臭いを感じる。

またキッチンや水回りも住居用に作られたわけではないので

シャワーはなく、トイレの横に簡易式ボンベを置いて

キッチン変わりにしているなど、衛生面も気になる生活。

 

 

そのほかにも、地域におけるヨルダン人との軋轢、慣れない環境での生活、少し落ち着いた後で訪れる戦争体験からくる精神的な不安感、子どもたちの教育機会の低下や、就業機会がほぼなく、運よく仕事が見つかったとしても、能力の向上に繋がるような就業機会は限られていることなど、今後に向けての課題は山のようにあります。シリアでも戦争を体験し、やっとの思いで逃れてきたヨルダンでも苦しい生活を続けることになるのです。

僅かですが、希望もありました。多くのシリア人が同胞のシリア人支援のために立ち上がり、奔走しているという事実です。滞在中、様々なシリア人による支援団体に会う機会がありました。将来のシリアの復興のために何が必要か、彼らになりに考えて、議論して、行動している姿には胸が熱くなるものがありました。

今回のプロジェクトはそういった若いシリア人と協働で作るプロジェクトです。たくさんの方にプロジェクトを応援していただいて、シリアのプロジェクトメンバーも、大変嬉しく思っています。引き続き応援してください。よろしくお願いします。

 

新着情報一覧へ