
顕明と誠之助
葛藤しながらも、圧倒的な貧しさにのたうち回っていた高木顕明は、
大石誠之助と出会います。
誠之助は新宮の名士で医者で金持ち。アメリカ帰り、ついでに若い妻、無いものはない!誠之助を顕明はどう思っていたでしょう?
当然、虫の好かない奴だったことは確かです。
同じミッションを持っていて、興味はあるがいけ好かない奴、そんなところでしょうか。
しかし、彼らは市内で起きた差別事件を解決するために協働を始めます。
「虚心会」という会を作り、「いわれなき差別を打破する」為に、定期的に浄泉寺で町の名士や貧しい人々、大石、牧師の沖野まで集まって、皆で話し合うという画期的な営みです。
非常に面白いですね、明治期に寺で、住職、牧師、医者、新聞記者、教育者、警察署長、貧しい人々、中でも当時新平民と呼ばれ差別されていた人も集まって座談会が行われていたなんて。
新宮図書館に保存されている当時の教育者が書いた日記に、その「虚心会」のことがあります。文化度がとっても高かったのだと思います。あらゆる人々が集うというのは、何も太平洋食堂だけの話ではなかったようです。開明的な当時の町内の雰囲気はステキです。それは、大石、高木、沖野という三人が協力を始めた事によって空気が変わって行ったのだと思います。もちろん、フォロワーとしての若者世代も、続々と集まりました。
やがて彼らは牟婁新報という新聞社の新宮支局を作り、言論によって社会に抗議を始めます。牟婁新報には、後に幸徳秋水の平民社へと移る、管野すが子や、荒畑寒村が編集者として活躍していました。管野も当時では、牟婁地方では、女子アナなみの人気を誇っていたようです。もちろん、書く文章にファンが多かったわけです。昔って与謝野晶子もそうですが、女性ライターは憧れの的だったんですねえ。
顕明の面白い一面を、現在のご住職の山口氏から教えて頂きました。
彼は、にゃんと、与謝野晶子の大ファンで、彼女の似顔絵を持っていたり、短歌を書いたりする趣味がありました。その短歌は、あんまりお世辞にも上手とは言えないのですが、おかしみがあります。
そして、まだ見ぬ晶子への恋心を、メモっちゃったのが残ってます。
「歌人晶子ガ好キナンデスト ドクトル大石氏にイウト・・・・」
そういう人間味あふれるところに魅力を感じませんか?
そして、明星9月号を誠之助から借りて読み、「おとうとよ、君死にたまふことなかれ」を知ります。
当時、町内では都都逸やら、短歌や句会が猫も杓子も大流行。
誠之助を知ったのも、そこでの交流だったようです。
誠之助は都都逸では座布団十枚、いえ、立机といって、称号を貰う腕前。
はっきりいって、ここでも、顕明は嫌になっちゃったでしょうね、己の才能のなさに。
太平洋食堂のお芝居では、その人間臭い顕明を懸命として、青年劇場の吉村直さんが演じます。とってもチャーミングで面白い、青年劇場の看板俳優です!
リターン
3,000円
新宮公演プログラムに御名前を掲載
- 支援者
- 65人
- 在庫数
- 制限なし
10,000円
新宮の上演パンフレットへの記名
新宮公演のチケット1枚
- 支援者
- 46人
- 在庫数
- 制限なし
30,000円
新宮公演パンフレットへの記名及びメッセージ記載
新宮公演チケット3枚
- 支援者
- 12人
- 在庫数
- 制限なし
100,000円
新宮公演パンフレットにA4サイズ6分の1ページ広告を掲載
東京公演3枚、または新宮のチケット5枚
- 支援者
- 2人
- 在庫数
- 制限なし
300,000円
新宮公演チラシ(1万枚配布)裏面に6分の1スペースに広告掲載
新宮、東京公演パンフレット3分の1ページに広告掲載
東京公演8枚又は新宮のチケット12枚プレセント
- 支援者
- 1人
- 在庫数
- 完売