![維持が困難になった小さな神社を大きな神社の小宮として移築したい](https://readyfor.jp/rails/active_storage/representations/proxy/eyJfcmFpbHMiOnsibWVzc2FnZSI6IkJBaHBBN2tPQ3c9PSIsImV4cCI6bnVsbCwicHVyIjoiYmxvYl9pZCJ9fQ==--140528a9940302d98e9ae26255296670ca4fe2e4/eyJfcmFpbHMiOnsibWVzc2FnZSI6IkJBaDdDRG9MWm05eWJXRjBPZ2wzWldKd09oTnlaWE5wZW1WZmRHOWZabWxzYkZzSGFRTGdBbWtDbmdFNkNuTmhkbVZ5ZXdZNkRIRjFZV3hwZEhscGFRPT0iLCJleHAiOm51bGwsInB1ciI6InZhcmlhdGlvbiJ9fQ==--1853a891dd6bcfcfbe4fac5bdcd8ca724ef814f9/p133123-key-visual.jpeg)
支援総額
目標金額 1,000,000円
- 支援者
- 71人
- 募集終了日
- 2024年4月4日
小宮とは
よくよく考えてみますに、表題の「維持が困難になった小さな神社を大きな神社の小宮として移築したい」と言う意味について、どの様なことか理解しづらい方もおられるかと思います。
小宮として移したいという理由は本文で書いています。
実際に、どの様にするかですが、
既存の大川神社の施設は、全て取り壊します。
その上で、本文の画像に示すような小さな祠を移設先の神社に新築します。
この際、既存の神社を解体して移設先で復旧すればよいと思われる方もいるでしょうが、どこの神社でも小宮として受け入れられる場合、小さな規模で統一されているようです。
須津彦神社の小宮は、巾 0.9m 奥行 1.2m 高さ 2.0mの規模です。
多くの神社に小宮があり、数十の小宮がある神社もあります。
大川神社は大したことはない神社でありますが、小宮の中には由緒ある神社である場合もあるようです。
確かに昔は神社を建て御守りすることが生活の中に溶け込んだ行為であったのでしょう。
ですから、何処の地域でも、小さな集落でも多くの神社が作られ、守られてきました。
ですが、近代では生活様式事態が変わり、人々の関心は多岐に渡り神社を守ることなど億劫になってしまいました。
神社を守ることは私たちの文化であり大切なこととは思いますが、これほど多くの神社を守ることは無理でしょう。
このような意味で、神社の統合化、集約化は時代の流れと思います。
しかしながら、長年信仰の対象としてきた神社を物理的に廃棄してしまうことは忍びません。
広くは神社信仰を守るためにも、小宮として続けたく思います。
最後に須津彦神社にすでにある8つの小宮を紹介します。
宇多和津神社 隼総別命(はやぶさわけのみこと)応神天皇(在位270~310年)の皇子
女鳥の王(めとりのおう)隼総別命の恋人
明治8年、倉椅山字大下から須津彦神社境内に移す
稲荷神社 倉稲魂命(うかのみたまのみこと)伏見稲荷大社の主祭神
地浅の地より延宝年代(1673~1681年)に須津彦神社境内へ移す
八幡神社 誉田別天皇(ほむたわけのすめらみこと=応神天皇)
明治8年、東幸路山の麓(愛宕山境内)より須津彦神社境内へ移す
西之荒神(大西大神) 弘計天皇(おけのすめらみこと)
明治8年、大西山出鼻から須津彦神社境内に移す。
東之荒神(奥山大神) 億計天皇(おけのすめらみこと)
明治8年、奥山、尾崎山から須津彦神社境内に移す。
大社大神 大圀主命(おおくにぬしのみこと)伝説の神
明治8年、吉里の地に祭っていたのを須津彦神社境内に移す。
廣峯大神 須佐之男命(すさのおのみこと)伝説の神
明治8年、大西山字地玄谷之峰より須津彦神社境内に移す
若宮神社 祭神不詳
この中で、宇多和津神社と稲荷神社は今でも例祭を行っています。
大川神社も出来るだけ長い間、9月23日の例祭は続けたいと思います。
リターン
3,000円+システム利用料
小天橋
感謝のメールを送ります
大川神社のお札
移築後の写真
- 支援者
- 38人
- 在庫数
- 制限なし
- 発送完了予定月
- 2024年12月
10,000円+システム利用料
大天橋
感謝のメールを送ります
大川神社のお札
移築後の写真
- 支援者
- 25人
- 在庫数
- 制限なし
- 発送完了予定月
- 2024年12月
30,000円+システム利用料
飛龍観
感謝のメールを送ります
大川神社のお札
移築後の写真
- 支援者
- 8人
- 在庫数
- 制限なし
- 発送完了予定月
- 2024年12月