屋敷に戻るとガーソンはそのままジェームスのもとへ向かった。

 部屋の前まで来ると、ガーソンは大きく深呼吸をして笑顔を作った。

 ドアを開けるとソファで葉巻を吸ってくつろいでいるジェームスの姿があった。

 ジェームスはガーソンの姿を見て内心驚いていた。きっと逃げ出すに違いないと思っていたからだ。

「見てきましたよ」

「ええ。それで、どうでした」

 その問いに、ガーソンは光景を思い出してまた蒼ざめた。

「プリムローズ様はとても綺麗でした。朝露に濡れた黄色い花畑にしっとりと濡れて横たわっていて」

「彼女はまるで生ける芸術品のようだったからね。どうだい、絵画のように美しかっただろう」

 ジェームスは満足そうに煙を吐いた。だが、ガーソンは罪悪感からそれに答えられなかった。

「でもリチャードさんの方はひどかったです。部屋中に飛び散った血痕の中で、土色の顔色をして横たわっていました」

「感心だね。二人ともちゃんと見届けてきたなんて。博愛主義の君が殺された人間を見に行かなければならないなんて、さぞ心苦しかっただろう」

 言葉とは裏腹にガーソンの苦しむ姿を見て、ジェームスは内心ほくそ笑んでいた。

「僕はあの二人には幸せになってほしかったです。見届け役の僕がこんなことを言うなんておかしな話なんでしょうけど」

「自分の両親を殺してまで結婚などしても幸せになれるはずがない。召使なんて幽閉されたまま殺されて放置されていて惨いものだったよ。思わずこの私が十字を切ったほどだ」

 ガーソンは驚いて目を見開きジェームスを見つめた。

「あの二人がですか。そんな人たちには見えませんでしたよ」

「人は見かけにはよらないものだよ、ストーン君」

 君のようにね。

 思わずそう言いそうになり、口をつぐんだ。

 この目の前にいるいかにも優しそうな好青年が、自分をどう殺そうとしているのか考えると非常に興味深いところだ。わざわざ帰ってきたところをみると、何か秘策でもあるのだろうか。

 ジェームスは平然を装っていたが、澱んだ重い気持ちに胸中を支配されていた。

 心のどこかで戻ってきてほしくなかったのかもしれない。その気持ちに気づきながらも、心をかき乱すガーソンを許すこともできない。

「仕事が終わったのに、なぜまだ暗い顔をしているんですか」

 ガーソンはそう言って心配そうにジェームスを見た。その様子にまた憤りを感じる。ガーソンの純粋な瞳は決して汚れを感じさせない。まるで嘘偽りなく自分を気遣ってくれているように感じてしまう。

 これは演技だ。そう分かっているのに信じたい自分がいる。

 早く殺してしまいたい。早くこの存在を消してしまいたい。

「いや、まだだよ。私の仕事はまだ終わってはいない」

 君の仕事もまだ、終わってはいないはずだ。

 いつもなら標的に気づかれないように笑顔をたやさないジェームスだが、殺意が抑えきれずににじみ出ていた。

「そうですか」

 ガーソンはうつむいて、弱弱しく微笑んだ。その仕事とは自分を殺すことだと当然わかっていた。

「このワインはどうしたんですか」

「君が仕事をしている間にワインセラーからいただいたものだ」

「そうなんですか。嬉しいな。じゃあ乾杯して休みましょうよ。僕はともかくジェームスさんは働きづめなんですから」

 なるほど。それで休んだところを殺すつもりか。確かに素人でもそれなら簡単に殺せるだろう。だが君に勝ち目など、はじめからないのだ。

 ガーソンの優しさにジェームスは冷笑で返した。

 毒の入ったワイングラスにジェームスはワインを注ぎ、ガーソンに手渡した。

 自ら持ってきた毒で苦しむがいい。

 自分の分も注ぐと、二人はテーブルに向き合って座り、乾杯をした。

 ガーソンはワイングラスを見つめてうつむいたまま顔を上げようとしない。

 さすがに警戒しているのかとジェームスが見つめる中、ガーソンは静かに語りだした。

「僕は子供の頃に家族を亡くし、その温かさをほとんど知らずに育ちました。だからアルセイド様から養子にしてくださる話を聞いたとき、僕は本当に嬉しかった。貧しかった生活から一変してまともな生活をさせてもらって、本当に感謝しているんです。彼には報いたい・・ずっとその一心でここまで来ました。でも二人の最期を見て自分の過ちに気がつきました。僕は彼らを見殺しにしたのです。その罪は重いものでした」

 ジェームスにはこんな懺悔など必要はなかった。早くワインに口をつけてほしい。そうすれば何もかも終わる。

 そう睨むように凝視しているジェームスに、ガーソンはふっと笑顔を見せた。

「アルセイド様からいただいた仕事は二つありました。一つはあなたの仕事を見届けること。そしてもう一つはあなたを殺すこと」

 淡々と話す彼にジェームスは驚いて相手を見入った。

「お気づきの通り、僕は毒までアルセイド様から手渡されました。でも僕にジェームスさんを殺せるはずなどないじゃないですか」

 その言葉を聞いて、ジェームスは鼻で笑った。

「なるほどね。毒がないことに気がついて、次は自分の番だとふんで命乞いをするつもりか。本当に甘い男だね、君は。そんなことで私が標的を逃すとでも思うかね」

 そう言い放ち冷笑するジェームスに、ガーソンは口角を上げた。

「まさか。ただ、僕はあなたにお礼が言いたかったのです。たとえ演技上だったとしても、僕はずっと欲しかった兄を得ることができたのですから。その兄が殺し屋であろうと、罪を償わなければならない僕にとってはかえって好都合だったのかもしれません」

「君は何を・・」

 ジェームスの言葉が終わらないうちに、ガーソンは一気にワインを飲みほした。

「これで僕の裏切りを許してくれますか、兄さん」

 驚愕するジェームスにガーソンはにっこりと微笑んだ。

「これだけは信じてください。短い間でしたが、僕は兄さんができて本当に嬉しかった。そのあなたにこの罪から解き放してもらえるなら、僕は本望です」

「そんな馬鹿な。君はどうしてそんなに単純なんだ。私は君のことなど弟とは思っていないのだぞ」

 毒が入っているのを承知で自ら飲んでしまったのか。

 ジェームスは驚きとともにある種の感動に包まれていた。その時ガーソンが自分を本当に兄として慕ってくれていたことに気がついた。彼から感じた優しさのひとつひとつが本物だと、やっと信じることができたのだ。

「待っていろ。今、解毒剤で」

 ジェームスは声を震わせた。ガーソンの持っていた毒の種類など知る由もなかったからだ。

「君の持ってきた毒の名前は」

 アルセイドから手渡されただけなので、ガーソンにもそれは分からなかった。だが死を選んだ彼にとって、それは必要がなかった。

 ジェームスが必死になって自分を助けようとしているのが伝わってきて、ガーソンは温かい気持ちで穏やかに目をつむると最期の時を待った。

「兄さん、早く本当の自分の苦しみに気がついてください」

「私の本当の苦しみ? 何を言っているんだ。手遅れにならないうちに早く毒の名前を言ってくれ。調べるのに時間がかかる」

 夢中になってジェームスは怒鳴っていた。失ってしまう悲しみと恐怖で、彼はガーソンに駆け寄ると椅子から降ろし抱きしめていた。

「君を死なせはしない。お願いだ。私に君を殺させないでくれ」

 殺しの世界に入ってから、ジェームスの周りには裏切りなど溢れていた。それなのにガーソンに憤りを感じたのは、人の温かさなど無視してきた自分に愛を教えてくれたからだ。

「頼む。私は弟を失いたくない」

 ガーソンを抱いたままジェームスは泣き叫んだ。その涙が自分の頬まで落ちてくると、ガーソンは微笑んでかすれた声を出した。

「ありがとう・・兄さん」

 その慈悲深い笑顔が、自分が殺した母親の最期の微笑みと重なった。ジェームスは震えて思わずガーソンから離れた。

「なぜだ。これから殺されて死のうという時に、なぜ、私を責めてくれない」

 ジェームスがよろめくと、テーブルが揺れて赤ワインが白いクロスにこぼれて床に滴った。それを見た時、母親を殺したときの情景がフラッシュバックのように彼を襲った。

 殺してはならない。これ以上、大切な人だけは。

 ジェームスは夢中になって自分の鞄の中を漁った。効くかどうかは分からないが、自分の持っている毒の解毒剤を使おうと思い立ったのだ。

 急いで見つけてガーソンに飲ませようとした。

 だが、その時にはすでに、ガーソンは冷たくなっていた。

 ガーソンの顔を自分の胸に抱くと、ジェームスは声を押し殺して慟哭した。

 その時彼は自分がガーソンを愛していたことに、ようやく気がついたのだった。

 

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