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Pちゃん

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支援総額

0

目標金額 4,000,000円

支援者
0人
募集終了日
2021年4月30日

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2021年02月20日 12:25

「Pちゃん」出版用のクラウドファンディング開始

クラウドファンディング支援者様、

ますます御健勝のこととお慶び申し上げます。 日頃は大変お世話になっております。

 

2021年2月18日のフジテレビ番組「アンビリバボー」で「幸せなら手をたたこう坂本九さんが歌った曲の作詞秘話」が取り上げられました。 「上を向いて歩こう」で日本やアメリカで人気上昇の坂本九さんが街中で三人のOLが歩きながら「幸せなら手をたたこう」を歌っている歌に大きく引かれたが、その歌の作曲家や作詞家が誰かを聞いてもそのOL達は知らないとの事。 そのOL達は当時はやりの歌声喫茶」で歌を聴いたとの事。レコード会社に調べてもらっても分からない中で坂本九さんがこの歌をレコーディングしたら全国的に人気が出て、作詞を書いた木村利人大学教授から坂本九さんに連絡があり、この曲の作詞秘話が説明されました。 それで、木村利人先生の作詞秘話をもっと知るためにネットで調べましたら、下記の情報が載っており青色でここに貼り付けました: 

「幸せなら手をたたこう」 坂本九さんが歌った曲の作詞秘話

2020年8月20日 06時00分

故・坂本九さんが1964年(昭和34年)に歌ってヒットした「幸せなら手をたたこう」。この歌を作詞したのは、61年前にフィリピンを訪れた学生だった。 旧日本軍による加害の歴史への贖罪の念と、「苦しみや悲しみを乗り越えて命を尊び、日本人を受け入れてくれた地元の人々に応えたい」との思いがきっかけだった。(畑間香織)

学生は、早稲田大名誉教授(バイオエシックス)の木村利人さん(86)=東京都千代田区。木村さんは、早大院生だった1959年4月から2カ月間、農村復興のボランティアとしてキリスト教青年会(YMCA)からフィリピン北部のルソン島ダグパン市に派遣された。「ぼくの本当の戦争体験の始まりだった」

終戦から14年。フィリピンでは根強い反日感情と戦争の傷痕が残っていた。刺すような視線、弾丸痕のある市庁舎、戦時中に旧日本軍が住民を集めて虐殺したと記された教会…。タガログ語で「日本人、死ね」と言われ、「バカヤロー」「キサマ」と言葉をかけられた。人に会うたびに「家族が日本兵に殺された」と聞かされ、黙るしかなかった。

「戦争の被害者意識で凝り固まっていた」という木村さん。自分の無知を恥じ、罪悪感を覚えた。「アジアで正義の戦いをしていると教わっていたが、間違っていた。加害者だったと初めて知った」。天皇に命をささげ、殺すことが正しいとされていた旧日本軍にも思いを寄せ、「ぼくが殺していたかもしれない」という恐怖を抱いた。

木村さんは、フィリピン人の同世代のボランティア仲間と、地域になかったトイレの設置や、子どもたちのためにバスケットボールコートの整備をした。朝と夜の礼拝で聖書を読み、平和について語り合った。戦後同市を訪れた初めての日本人として地元のラジオ局にも招待された。日本が二度と戦争をしないために新しい憲法を制定したことを語り、住民の警戒心を徐々に解いていった。

滞在期間終盤のある夜、フィリピン人のボランティア仲間の一人が木村さんに言った。「日本人を殺してやろうと思っていたが、間違っていた。過去を許し、戦争をしない世界をつくろう」。木村さんは感極まり、手を取り合って涙した。

その時に毎晩恒例の聖書の時間で仲間と読んだのが旧約聖書の詩編47編の「すべての民よ、手を打ち鳴らせ。神に向かって喜び歌い、叫びをあげよ」。フィリピンの人と友情を築けた喜びを表していると感じた。

その翌日、小学校の校庭でフィリピンの子どもたちがいすを並べて手遊びをしながら歌っていた民謡のメロディーが耳に残った。帰途の貨物船で、その民謡に詞をつけた。聖書から「手をたたこう」の歌詞のヒントを得た。

特にこだわったのが「態度でしめそう」の部分。「幸せなら態度でしめそうよ」の歌詞は、12番まですべてに登場する。日本人が行ったことを決して忘れないが、人間として尊重し、受け入れてくれたフィリピンの人々が「態度で示してくれた」と感じた。宿泊先の小学校に焼きバナナやコーヒー、魚を差し入れてくれ、誕生日会に招いてくれた。中には戦時中、旧日本軍に厳しく尋問を受けた人もおり、感謝の意を歌詞に込めた。

帰国後、フィリピンでの経験を語り、仲間に歌を披露すると、歌声喫茶でも歌われるようになった。ある日、カーラジオから流れてきた歌を聴いて驚いた。自分が作詞した「幸せなら手をたたこう」を坂本九さんが歌っていた。

坂本さんが所属していた事務所「マナセプロダクション」によると、歌声喫茶で歌を聴いた坂本さんの強い希望でレコードにしたという。発売時は作詞・作曲者不詳として記載されていたが、木村さんが作詞者だと名乗り出て、作詞者は木村さんとされた。

「幸せなら手をたたこう」は、坂本さんが歌い、日本中に広まったとされる。現在では世界各国の言語でも歌われている。木村さんは「世界中に広まるとは考えてもみなかった。うれしい」と話す。

私も木村利人先生がフィリッピンで経験された15年後に似たような心温まる経験を現地の人たちと経験させて頂きました。 

当時シンガーミシン社のニュー・ヨーク本社の内部監査人を務めていた私は1976年にフィリッピンの子会社で6週間内部監査を行いました。 休みの日に50歳代のファイナンシャル・コントロラーがコロギドール(Corregidor)島に我々内部監査人を案内してくれた時に一度だけ戦争体験を話してくれました。 このコロギドール島で1942年にマッカーサー元帥率いるアメリカ軍とフィリッピン軍が日本軍に敗戦しマッカーサー元帥がオーストラリアに撤退した時に発した有名な言葉「I shall return!(私は必ず帰る!)」がフィリピン兵を勇気づけたと説明されました。 そして日本軍がアメリカ兵捕虜とフィリピン兵捕虜約8万人を日本軍の基地に歩いて連行したが、その距離は112キロもあり連行中に18,000人のフィリピン兵と650人のアメリカ兵が亡くなったとの事。 これが世界的に有名な「バターン死の行進(Bataan Death March)」で彼も「死の行進」を経験した一人と説明されました。 だが、この事を説明している中で私に対する憎しみは無く「歴史」として話してくれた事と監査期間中でも私にやさしく接してくれた事に感謝しました。 この様な悲劇を初めて聞いて驚いたと同時に戦争が正常な人間を悪魔に変えて行った現実は無視できないと思いました。 

私の自伝「Pちゃん」にはこの事も書き、20数ヵ国の文化の違う世界中の人達と一緒に働いた事で気が付いた事とは、それらの人々の共通点は「地球の様に丸く美しい心」であり、その「美しい心」が、コロナウィルスが犯した世界経済問題を復興させ安定させると思っています。 年金生活の私がReadyfor様のクラウドファンディング経由で資金調達が出来て「Pちゃん」が出版できることを望んでいます。 「美しい心」を持った日本の若者が、「Pちゃん」を読んで世界の人達も「美しい心」を持っている事を理解し、それらの世界の若者たちと一緒に経済問題の解決につながるプロジェクトを興すことを願っています。 

 

今後ともご指導、ご鞭撻を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。

リターン

50,000


Pちゃん

Pちゃん

感謝のメールをお送りします。
2021年12月を目安に出来上がった本を別途1冊お送りします。
コロナウイルスの影響によりプロジェクトもしくはリターンに延期や延長が発生する可能性がありますので宜しくお願い致します。

支援者
0人
在庫数
100
発送完了予定月
2021年12月

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