表題の東京オリンピックというのは1964年(昭和39年)に開催されたオリンピックのこと。

 

東京オリンピックオリンピック直後の日本の経済は大きく落ち込みましたが、外国との格差を知った社会は着物やもんぺの時代から洋服を着るように変わりつつあり、特に子供のブレザー婦人服は脚光を浴びたそうです。

 

当時の相馬市長は、女性の働く場づくりを進めていて企業の誘致に取り組んでいました。昭和40年に相馬市誘致第一号として㈱福装が進出し、その後も㈱東京ファッションや㈱三恵クレアなどの縫製工場が誘致企業として進出し相双地域に集まることとなりました。

 

30年ほど前は新しく縫製工場を始めるための助成金もあったことから、腕を磨いた職人が独立して次々と縫製工場が作られる時期もあったそうです。

 

ですが、前回の新着情報(『食べ物』は国産を選ぶのに『着る服』は?)でも触れたようにこの20数年で国内での洋服の生産はみるみる激減。

 

それでも技術力の高さや東京からの輸送面などの利便性で、今でも相双地域をはじめとする福島県内に多くの縫製工場が残っています。

 

 

 

 

くしくも再来年は2020年東京オリンピック。

 

相双地域の縫製工場では子育てしながら縫製の仕事ができる環境づくりも始めています。

 

食事は体の栄養。 服は心の栄養。

 

縫う技術を身に着けて、自分の服を作ることはもちろん

自分の子どもや友人に作ってあげれるようになったら。

そこにはきっと価格には代えられない感動や喜びがあるはずです。

 

始めてお年玉付き年賀はがきが発行された年の特賞がミシンだったくらい、ホームメイドで洋服を作ることがあこがれだった時代もありました。

 

このファッションショーがもう一度「服づくり」の楽しさを知ってもらうきっかけにもなればと思います。

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